第139話 おじいちゃん、お風呂はまだ入ってないでしょ
「ふとーん!!!!」
「あっ、こらっ。寝間着に着替えんか!」
部屋に戻った私は勢いよく布団に飛び込みました。そんな私に対し、イナリちゃんはやんわりと咎めてきます。
ですが、このまま何もせずに寝落ちしてしまうのはすごく勿体ないです。
「んしょっ……と」
むくりと体を起こした私が向かった先は、ホテルの機能として供えられている冷蔵庫です。
「何かあるかなー……」
「お前さんは落ち着きが無いのぅ……」
「だって、こういうのは調べつくさないと勿体ないじゃないですか」
「好きにせぇ。儂は茶でも飲ませてもらうわい」
イナリちゃんは私そっちのけで、部屋に置かれていた電気ケトルに水を汲みました。そのまま湯沸かしモードに設定。
待っている間に、備え付けのコップへと煎茶のティーバッグを入れて準備していきます。一連の流れが手慣れていますね。
私が部屋の中を漁っている間に湯が沸いたようで、イナリちゃんは湯を注いだ後、のんびりと煎茶を堪能していました。
現代的な狐っ娘ですね。テーブルに煎茶の入ったコップを置いた後、今は本を読んで過ごしています。
本の表紙には「はじめての魔法倫理」とか書かれていました。
事例を介して、魔法を使う際の倫理を考えてもらう為の書籍です。魔法を放って味方を巻き込んでしまったケースとか、冒険者なら誰しも通る問題について挙げられているので案外読むのは楽しいですよ。
私も念入りに読んだ方がいいというツッコミはナシですよ?
そんなイナリちゃんはさておき、私はホテルの室内を物色しまくっています。
テレビを付けてご当地番組を探したり、天気予報を見たりして地域ごとの違いを確かめるのは面白いです。
遠出した上で訪れるホテルというのはまるでダンジョンのようですね!どうしてこうも心躍るのでしょう。一つ探せば知らない情報がたくさん出てきたりするので、結構楽しいです。ホテルの室内という限られたリソースの中でも、沢山情報が得られたりするので琴ちゃんの好奇心は満たされます。
「イナリちゃーん!見て見て!ほら、アメニティありますっ!」
「それくらいどこにでもあるじゃろ」
「歯磨き粉とか使い切りなんですよねっ。あ、スリッパ見つけました」
「なぬ、そんなところにあったのか……」
あちこちを物色しては、思わぬ掘り出し物だって見つけてきます。
「イナリちゃん、見てくださいっ。箱の中にお菓子入ってましたよっ」
「ぬ……?ふむ、煎餅か」
「はい、イナリちゃん。1つあげますっ、私にもお茶を下さい」
「うむっ。分かった」
イナリちゃんがリアクションをくれるので、部屋の中を散策するのは楽しいです。
ですが、意図的に散策を避けた場所だけが一ヶ所だけあります。
いや、散策するだけなら良いんですけどね、気分的に何となく嫌なだけです。
……うん。
とりあえずそこの散策は、イナリちゃんに押し付けちゃいましょう!
「イナリちゃーんっ」
「ぬ、なんじゃ」
「お風呂、先に入ってきてくださいよっ」
「む……ぬ、ぬぅ……」
あっ、あからさまにイナリちゃんの尻尾がしおれました。露骨に嫌そうな顔をしています。
入らなければいけない、と入りたくない、の間でせめぎ合っているようですね。しおれた尻尾がぷるぷると震えています。
しばらく間を置いてから、作ったような笑みで言葉を返しました。
「……うむ。琴ちゃんよ、お主が先に入って良いぞ。ボスモンスターとの戦いで散々動いたじゃろ」
「そ、そういうイナリちゃんだって!近接戦闘メインだったじゃないですかっ」
「こういうのは若い者に譲るのが年長者としての役割じゃろ?」
「お年寄りに席を譲るようなもんですよっ。私は後で良いですからっ」
「うむむ……」
「ううう……」
何となく、分かっていました。
私は基本的にカラスの行水。
イナリちゃんは体質的にお風呂嫌い。
お風呂に好んで入ろうとしない、ダメ冒険者2人組なんですよね。
部屋割りを間違えていると言えば、それはそうです。
完全に拮抗状態へと陥ったのを感じ取ったイナリちゃんは、ふと休戦調停を申し出てきました。
尻尾がへにゃりとしおれています。
「ふむ、お主もあまりお風呂は好まんか」
「だってどうせ明日も汚れますもん。1日くらいなら良いじゃないですか」
「……全く、お主は。まあ、儂も同じ理由じゃがの……」
「あっ、それなら……ですよ?」
「ふむ?」
なるほど、打開の策が閃きました。こういう窮地でこそ打開の一手を生み出す発想力お化けとは私のことです。
いかなるくだらない状況であれ、全ての状況を覆す方法を探し出すのが琴ちゃんという冒険者ですよ!
という訳で私はイナリちゃんの頭をポンと叩きました。
耳に触れた瞬間、「ん……」と、全身が硬直してぴくっと震えたのは可愛かったです。抵抗しないのがまた愛らしいというか……。
「恵那斗もパパも居ませんし、“お風呂に入った”と嘘をつきましょう」
「……なんと真っすぐな目で、とんでもないことを言いだすんじゃお前は」
「バレなきゃ合法です」
「……認めるというのも複雑じゃの」
イナリちゃんの葛藤は分かりやすいですね。「むむむ」と唸り声を上げると同時に、尻尾が大きく左右に揺れ始めました。それから、不安そうに私を見上げては、きゅっとパーカーの裾を掴みます。
可愛い。抱きしめたい。
「ぬ……分かった。お前さんの提案に乗ろう」
「んふふ、可愛いなあイナリちゃんはっ」
「ふぬぅ!?」
あーもうっ、我慢できませんっ!
限界だったのでついイナリちゃんをぎゅっと抱きしめちゃいました。
ふわふわした尻尾を全身で堪能できるのは気持ちいいですね。
抱き着かれたイナリちゃんの小柄な身体がぷるぷると震えたかと思うと、ぎゅっと私へと抱き着き返してきました。可愛すぎません?
なんというのでしょうね、これ。すごく安心感があります。
ぬいぐるみみたい。
抱き着いた腕の中から、イナリちゃんはひょこっと頭だけを出してきました。
「ふぬぅ、案外こういうのは落ち着くのぅ……」
「ん~~……心地良い……」
全身でイナリちゃんを堪能していたのですが……、ふとイナリちゃんの表情が石のように固まりました。
それから、申し訳なさそうに話しかけてきます。
「……のぅ、琴ちゃんや」
「ん?」
「……64歳と、47歳」
「……」
「男性」
「……」
……。
私は静かにイナリちゃんから腕を解きました。
琴ちゃんは何も知りません。
琴ちゃんには何も分かりません。
イナリちゃんが発した単語の意味なんて、私には何にも分かりません。
分かってはいけないですよこういう話は!
やめましょう、現実を見せつけるのは。
この世界における敵というのは、やっぱり現実です。うう世知辛い。
「……あんまり、こういうのを意識してはいけないんじゃがの。ふと脳裏をよぎるんじゃ」
イナリちゃんは遠い目をして、明後日の方向を見ていました。ですが目線はどこにも合っていません。完全に虚無です。
とりあえず私は、黙って布団の中へと潜り込みました。
私の心の奥底に眠る田中 琴男がドン引きしている気がします。あと、本来の身体の持ち主であるメタトロンにもドン引きされている気がします。
色んな魂を背負った成れの果てがこれです。悪いか。
そんな茶番を繰り広げている時でした。
『琴、イナリちゃん。起きてる?』
「あっ、恵那斗!」
扉の奥から恵那斗の声が聞こえたので、私は布団を蹴飛ばして跳ね起きました。足を大きく投げ出して、遠心力を使ってベッドから飛び降ります。
それから小走りで扉まで駆け寄り、恵那斗を迎え入れました。
既に恵那斗は寝間着であるスウェットに着替えていました。元々の顔が良いので、まるでモデルみたいです。カッコいい~~!!
恵那斗はちらりと私の着こんでいる衣服を確認しました。私はお風呂に入っていないので、未だにパーカーと半ズボンのままです。
「琴、お風呂はまだ入っていないのかしら」
「……えー、あー……うん」
「もう、そんなことだろうと思ったわ……と、イナリちゃんはどこに行ったのかしら?」
「ん?あれ、どこに……あっ」
さっきまで一緒にいたイナリちゃんの姿が気づけば見えなくなっていましたね。おかしいな。
周囲を探してみると、ベッドの上でもぞもぞと何かが動いているのが見えました。
「……イナリちゃん?」
「のぅ、恵那斗君か」
私が呼びかけると、イナリちゃんは布団の中からひょこっと頭だけを出してきました。まるで亀です。
それから、つぶらな瞳で恵那斗をじっと見つめます。
「恵那斗君や」
「どうしたのかしら」
「のぅ、儂はお風呂に入ったからの?」
「……ふぅん」
イナリちゃんが堂々と嘘をついてきました。悪い大人です。
ですがそんな嘘などお見通しと言わんばかりに、私に視線を向けてきます。
……ごめんなさい。
私も恵那斗に怒られたくないので、裏切ります。
「おじいちゃん、お風呂はまだ入ってないでしょ」
「……」
「とぼけちゃダメですよ」
「……鬼め」
イナリちゃんは黙って布団の中から出てきました。和服姿のイナリちゃんが姿を現します。
それから、じっと私達を見上げてきました。
つぶらな瞳は、何かを伺っているようにも見えます。
小さく揺れる胸郭は、息を吸っては吐いて、を繰り返しています。
刹那。
「……っ!」
そんなリズムが微かにズレると同時に、彼女は影となって駆け出しました。
「あっ!イナリちゃん逃げた!恵那斗、捕まえて!」
イナリちゃんは恐ろしいことに「呼吸をズラす」という芸当を行ってきました。
人間の動きというのは、呼気時にパフォーマンスが高く出るとされています。逆に言えば、吸気時には微かに反応に遅れが出やすいんです。イナリちゃんは、逃げ出すタイミングでその“ズレ”を活用してきました。
更に小柄な肉体なものですから、簡単に捕まえることは出来ません。
「儂はそう簡単に捕まってやる気はないぞ!ほれ、悔しかったら追いかけてみるんじゃ!」
「こんなところで技術発揮しなくて良いんですよっ!恵那斗、回り込んでー!」
「世話が焼ける2人ねっ!」
「恵那斗、私まで含めないでよ!?」
今晩も賑やかに時間は過ぎていきます。
☆
「うっせェな……こっちまで聞こえてンぞ……」
俺——三上 健吾は、ホテルの窓を開けて外の景色を見やる。つっても、転落防止の為か微かに通気が出来るほどしか開かないのだが。
隣の部屋でぎゃーすかと琴きゅんらが騒いでいるのが聞こえる。うるせぇぞガキ共。お前らいくつだよ。いやマジで。
心の中でそんな愚痴をこぼしつつも、窓の縁に腕を乗せてから電子タバコを過熱させた。
紙タバコとは異なるフレーバー特有の独特の匂いが鼻腔を刺激する。
紙タバコと比較すればどこか煙臭いのはマシだが、それでも臭いが完全に消えるわけではない。今は恵那斗君が琴きゅんとイナリちゃんの部屋に行っており、一人だからこそできる時間だ。
ふう、と息を吐けば白い煙が空を舞う。宵闇の雲に、くゆらせた煙が重なった。
煙が虚空に溶けると同時に、様々な考えが浮かんでは消える。
「……ダンジョンっつうのは、なんだろうな」
俺の想像を超えた次元で、大きな何かが人知れず動いている。
それは分かる、だが俺のちっぽけな知能ではそれを掴むには至らない。
やはり、この謎を追求するカギとなるのは田中 琴。ただ一人だろうな。
あのクソチビはとんでもない強さを持っている訳でも、世界を救う勇者として選ばれた訳でもねぇ。
ただずば抜けた好奇心と連想力、それだけが彼女を田中 琴たらしめる要素だ。
じっとしていられない、中身が47歳男性とは思えないほどの好奇心に満ちた衝動性。扱いどころを間違えればむしろアイツ自身が諸悪の根源になるのではないかと思うほどに、落ち着きのない危なっかしさ。
田中 琴男は、世界の敵となってはいけない人物だ。
あの化け物じみた好奇心が世界の改変に向けられた瞬間……全ては崩壊の一途を辿るだろう。
それを可能にするだけの知識、発想、機転を持ち合わせている。
自分自身でさえも、好奇心の消費材料とするような冒険者だ。
クソガキには誰かがストッパーになってやらないと、マジで大変なことになる。
「……ま、アイツが皆を裏切るようなことなんざ、イメージ付かねェがよ」
つい危うい考え方になっていたことに気付き、自嘲の笑みがこぼれる。
田中 琴は信頼してくれる皆を裏切るなんて、絶対にしない。
多少暴走する時はあるが、それでも最低限のTPOは弁えている……と信じたい。あのクソガキのストッパーは恵那斗君に丸投げするのが適切だろう。
ぶっちゃけ琴きゅんは、人事部としても相当扱いづらい分類に入る冒険者だ。
そもそも、琴きゅんを完全に制御できる人間は存在しないだろう。
あいつは制御される側の人間ではない。人間社会のバグ的な立ち位置だ。
管理しようとする方が間違いだ。
そこんとこを分かってやれるのは、まあ古くからの付き合いである俺くらいのもんだろ。伊達にパパ呼ばわりはされてねーってこった、ははっ。
……ま、琴きゅんは大丈夫だ。
ダンジョンという存在が何であれ、あいつは負けたりしないだろう。
「……琴きゅんレベルの思考能力持ったやつなんざ、そう居ねェからな……」
それこそ、田中 琴男の思考を完全に切り取った存在でも現れない限りは、な。




