第125話 お風呂嫌い
「恵那斗、これ切ってもらっていい?」
「買ったばかりのものを粗末にするのは心が痛むわね……」
夕食を食べ終わった私と恵那斗は、少しばかり明日の出勤に備えて準備を行っています。
ショッピングモールで購入した、アウトドア仕様の大型リュックサック。背中に密着する面のところへと、恵那斗に手伝ってもらい大きく切り込みを入れていきます。
ほつれた糸が落ちてはいけないので、裁縫して補強してもらいました。恵那斗、何でもできる。エナえ〇んです。
それから、リュックサックに入れた切れ目の中に、イナリちゃんの大きな尻尾が収納できるか確認します。
「イナリちゃん、ちょっと背負ってみてください」
「ぬ、ぬぅ……ちぃとばかしリュックは重いが……ふむ!尻尾が入りきったぞ!」
「うん、写真撮るから見てもらって良いですか?」
「ふむ?」
イナリちゃんの反応としては上々です。リュックサックの切れ目の中にすっぽりと入り切った尻尾。一応スマホで写真を撮って、イナリちゃんにも確認してもらいました。
外見的には尻尾は完全に隠れています。代わりに幼い子供が背負うにはあまりにも大きすぎる、紅色のリュックサックが存在感をでかでかと示していますが……まあ、尻尾よりはマシですね。
それから、ファッション用品で購入した、白色のキャスケットを被ってもらいました。
「イナリちゃん、これ被ってください」
「ぬっ……ふむ。どうじゃ?耳は隠れておるか?」
「もう一度写真撮りますね」
私はイナリちゃんの全身像をスマホに収め、それから改めてイナリちゃんに確認してもらいました。
するとイナリちゃんの表情がぱあっと明るくなります。
「のぅ!尻尾も耳も隠れておる!」
「良かったです。これで無事に外を出ることが出来ますね」
「アイデアは琴ちゃんに任せるのが一番よのぅ、助かるわい」
イナリちゃんはいたくご満悦のようです。尻尾と耳が悪目立ちして外出できないのは可哀想でしたからね。このままではオタクの聖地しか歩くことが出来なくなるところでした。中身は64歳男性なので、そういう文化に関する理解は疎そうですし。
大型リュックサックとキャスケットという明らかに存在感を放つ幼女が爆誕してしまいましたが、まあ良しとしましょう。イナリちゃん変装モードです。
完璧に変装するなら和装束ではなく、普通の衣類も用意したいところですが……。
「和服以外って持っていますか?」
私の問いかけに、イナリちゃんは首をふるふると横に振りました。櫛通りの良さそうな髪が揺れるのは可愛いですね。
「ぬぅ、持っておらん。そもそも尻尾が邪魔でのぅ、着れる服が限られるのじゃ」
「……ですよねぇ……また今度見繕いましょうか」
「正直、この服でもいいんじゃがのぅ。全く、外に出れんというのは不便じゃったわい」
「ひとまず、解決して良かったですよ」
「うむ。助かったぞ」
うーん、まだまだイナリちゃんの衣服問題は解決しそうにないですね。今だって袴の隙間から尻尾を出している形ですし。和服の方がゆとりをもって着やすいので、どうしても和服一択になるんですよね。
まあ、案外和服とリュックサック、そしてキャスケットという組み合わせもありかもしれません。時代の最先端を行くイナリちゃんです。
しかし、尻尾と狐耳を隠したとしてもイナリちゃんは可愛らしいですね。
ふと込み上げてくる感情を抑えきれず、私はイナリちゃんの頭を撫でました。
「うーん、可愛いですねー……なんでイナリちゃんはこうも可愛いんでしょうか」
「ぬ、ぬぅっ!?何で撫でるんじゃ!くすぐったいぞ!」
「あっ、耳の感触がする。軟骨かな、これ……」
「分かっているのであれば離せいっ!骨の部分は神経が多いんじゃ。む、むずむずする……ぬぅ」
耳を触られたイナリちゃんは、きゅっと目を瞑って体を震わせてしまいました。そんな可愛らしい姿を見ていると、もっと意地悪したくなりますが……さすがに可哀想なのでやめておきましょう。
なるほど、イナリちゃんは耳が弱い。
新たな知見を得たので琴ちゃんは満足しました。
そろそろ就寝する時間も近いので、早くお風呂に入ってしまいましょう。
明日の外勤業務に響くと体に良くないからですからね。冒険者は身体を動かす仕事なので。
「イナリちゃんはお風呂に入りました?」
「……」
私がそう問いかけると、イナリちゃんは無言で寝室へと向かおうとしました。表情が強張っています。
その動作から何となく意図を悟った私は、背後からイナリちゃんにしがみつきます。
「イナリちゃーんっ」
「は、離せぃっ!なんというかのぅ、お風呂に入りたいという気分にならんのじゃ!」
「ゆあちーに不衛生だって怒られますよーっ」
「ぬ、ぬぅっ……!」
あっ、ゆあちーの話を出すと弱いですねこの狐耳幼女。
どうやら狐耳幼女になってから、お風呂が苦手になってしまったようです。私も人のことは言えませんが、お風呂を拒むのは不衛生ですよ。
……ん?カラスの行水?何のことでしょうか。琴ちゃんは分かりません。
都合の悪いことになると中年男性の聴覚に戻ってしまうので。琴ちゃんの特殊能力です。えっへん。
当然、身だしなみに気を配っている恵那斗がお風呂に入らないなんて許すはずがないですよね。私も恵那斗と同棲を再開してから、カラスの行水しないかどうか睨まれるようになりましたし。
「イナリちゃん、早くお風呂に入るわよ」
「う、むぅ……朝早くに入るから、いいかのぅ?」
「駄目に決まっているじゃない」
「ぬ……ここは撤退するが勝ちじゃ!」
「あっ!イナリちゃん逃げた!琴、捕まえて!!」
まるでお風呂から全力で脱走する猫です。
イナリちゃんは小柄な体格を利用して、テーブルの下を潜り抜けたりと私と恵那斗が捕まえに来るのを拒んできます。
ダンジョンの中じゃないというのに、すばしっこいですねこのおじいちゃん!?
「儂を風呂に連れて行きたくば、捕まえてみぃ!」
「逃がしませんよっ!」
「技術で儂に勝てると思わん方が良いぞ!」
もっとカッコいいシーンで言ってくれませんかそのセリフ!なんでお風呂を拒みながら言うんですか!
しかし、さすが冒険者として優れた実力を持つイナリちゃん。大口を叩くだけのことはあります。
イナリちゃんを捕まえるのに、結果的に5分ほど格闘しました。なんで夜遅くにこんな体力を使ってるんでしょう。
「っ……捕まえました、よっ……」
「お前さんも大概体力が無いのぅ……」
「う……っさい、で、すっ……」
元々私、そんなに体力無いんですって。虚弱琴ちゃんですよ?何度も病床のお世話になった琴ちゃんですよ?
息も絶え絶えになりながら、イナリちゃんの小さな体に全身でしがみつきます。
ですが、イナリちゃんは観念したようにため息をつきました。
「……ぬぅ、仕方ないのぅ。お前さんを振りほどくことなど容易いが、さすがに可哀想じゃのぅ……」
「明らかに、無駄な時間使いましたよ……ふぅ……」
「全く……こんなに賑やかな日など、いつ以来やら、のぅ」
そう呟いたかと思うと、イナリちゃんはふっと遠い目をしました。
しばらく間を置いてからハッとしたようで、苦笑を漏らします。
「ぬ、いかんな。つい湿っぽくなってしまうわい。後でブラッシングを頼んでも良いかの」
「あっ、良いですよ」
「尻尾って思いのほか敏感なんじゃの。お湯の温度にビクッとしてしまうんじゃ……」
ブツブツとぼやきながら、イナリちゃんは長い尻尾を左右に揺らしながら、リビングから出て行きました。
私と恵那斗は互いに視線を交わしながら、困ったような笑みを交わし合います。
「なんだかんだ、イナリちゃんも楽しんでるわね」
「正直、私は男性の時よりも嬉しそうに見えるなあ」
「ほんとにね」
「こんな日が続いたらいいんだけどね……ううん」
「ん?」
続いたらいい、じゃないですね。
他人任せの言葉じゃいけないです。
「……こんな日を、続かせないとね」
「そうね」
色々な含みを持たせた言葉でしたが、私だって色々と思うところはあります。
これまで自分本位な日々しか送っておらず、恵那のことさえちゃんと見ていなかったですもん。
仕事だけじゃなく、私生活もきちんとしていかないといけませんね。
明日から頑張ります!
明日から。
……なので、今日は。
「さーてスイーツ、スイーツ……」
三上パパが買ってくれたというスイーツを堪能することにしましょう。おーっ、チョコレートケーキだ!コンビニのロゴ貼ってる!どこで買ってきたか分かりやすいですね!
コンビニスイーツって手軽に買いやすいですもんね、うんうん。
……あっ、背後で恵那斗がため息をついているのが聞こえました。
「琴。明日、出勤前にランニングするわよ」
「えー!?ダンジョン攻略前に―!?」
「軽く身体を動かすだけでも違うものよ」
「きゅぅー……おに……」
恵那斗は今日も意地悪です。
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長い尻尾が引っかかるものだから、服を脱ぐだけでも一苦労というものだ。
以前の前期高齢者に差し掛かろうという頃の、肋骨が浮き出た肉体がふと懐かしく感じる。
「……これが、今の儂か」
今の儂には、かつての面影。金山 米治の面影など一切感じることはできない。
そこに居るのは頭部に三角錐状の耳を生やした、くりくりとした目をした黒と金のグラデーションが目立つ少女の姿だ。
鏡に映る儂の腰からは、これまた黒と金のグラデーションで構築された尻尾がゆらりと揺れている。
人体における仙骨・尾骨というのは、かつての尻尾の名残だというが……まさしく、そんな尻尾が現代によみがえったような気分だ。軽く触れれば、巨大な筆のようなふわふわとした触り心地が肌を刺激する。
「……くすぐったいのぅ」
耳と尻尾から意識を排除した時、そこに残るのは小学校中~高学年と推測できる幼子である。
濁りのない透き通った声に、脂肪分に富んだ、柔らかな身体。
少し刺激を与えればいとも容易く崩れてしまいそうな肉体だ。このような肉体に傷をつけるというのは、自身の孫を傷つけるような気持ちとなる為、極力避けたいところではある。
「……子供、か」
儂は複雑な胸中を押し殺すように生唾を飲み込み、それから浴室へと入った。折り畳み式の扉がきい、と摩擦音を立てながら動く。
それから、シャワーチェアに腰掛け、レバーを捻る。
すると、勢いよくシャワーの水が顔へと降り注いだ。
「わぶっ」
……耳に水が入ってしまった。狐耳というのは、頭頂部についていることからどうにもやりづらい。一度頭を下げて、耳に入った水を排出する。
下手すれば耳の中にシャンプーが入り込む可能性がある為、以前よりも洗身には慎重にならざるを得ない。
自分の体の変調を感じる度、「ああ、年を取ったな」と思うことが増えていた。出来ていたことが出来なくなることに、不安を感じるようになっていた。
いつか、自分の身の回りのことさえ自分で出来なくなり、やがて誰かの世話が無ければ生きていけないような身体になってしまうのだろう、と。
……まあ、今の儂も誰かの力が無ければ1人で生活が出来なくなってしまったが。
かつての儂は、いずれ来たる日に漫然とした不安を感じつつ、生きていた。
そんな中で、田中夫妻の身に降りかかった”異性化の呪い”という現象には強く関心が引かれた。
47歳という中年だったはずの2人であったが、久々に顔を見た彼らは10代の肉体を取り戻していた。若返り、とは異なる現象であるはずだ。恐らく、魂のみが異なる肉体に憑依しているのではないか、と儂は推測している。
だが、推測はどうあれ。この老いた身体をリセットできる、というのはいっそ魅力であるようにも感じた。その条件でさえも、儂のような冒険者にしか到達しえない領域であった。いっそ巡り合わせのようにさえ感じた。
ただ64歳という老いた身体だから、というだけではない。
男性の身体には、あまりにも辛い思いを残しすぎた。
——ねえ、お父さん。私、お父さんのお嫁さんになるっ!
——本当かい?嬉しいよ。じゃあ、お父さんも叶夜のお婿さんに似合うように、強くならないといけないね。
——うんっ!お父さんはね、誰にも負けないくらい!ずっと!ずーーっと、強いお父さんでいて欲しいのっ!
——任せてよ。お父さんは誰にも負けないくらい、強くなるよ。
「……強くはなったが、のぅ」
ふと儂は、思い立ったように全身から殺気を飛ばしてみることにした。
特別何かをしたわけでもないというのに、浴室の温度がやや冷たくなった気さえした。
殺気を発する、というのは恐らく冒険者の内では儂にしか出来ない技量であるだろう。
だが現実においては、殺気を放つなど一切役に立たない技能だ。
まあ、琴ちゃんというズボラ少女には最も効果的な技術であるが。
今や、あの子も47歳と扱うことなど難しいだろう。彼女もただ一人の、守られるべき少女なのだ。
とりあえず、ひとしきり全身を洗い終わった儂は、そのままお風呂を上がることにした。
だが、尻尾というのは非常に水を吸う。まるで濡れタオルのようになった尻尾をそのままに、浴室から上がることなど出来ない。
なので、雑巾絞りの要領で尻尾を絞った。それから、尻尾をタオルでぐるぐる巻きにして、水が零れないようにする。その後でドライヤーでしっかり乾燥させれば問題ないだろう。
寝間着へと着替え終えた儂は、ブラッシングを依頼する為琴ちゃんを呼ぶことにした。
「琴ちゃんや、すまん。ブラッシングを頼めるかの!」
しばらく時間を置いて、琴ちゃんはまるで儂の気を伺うかのように、おずおずと現れた。
「……なんで、お風呂で殺気を放ったんですか……?」
「ぬ?」
「ひっ。私、何か悪いことしました……?」
……浴室で一度、殺気を放ってしまっていた。それを琴が感じ取ったということだろう。
今の琴はちゃんは、まるで今にも逃げ出しそうな小鹿のようだ。
びくりと身体を震わせる琴ちゃんというのは、非常に愛らしい姿をしている。
もう一度殺気を放てば、きっと彼女は泣き出してしまうだろう。そのような儚さを醸し出す彼女に対し、儂は比較的敵意のない笑みを作る。
「なあに。少し練習をしておっただけじゃよ」
「れ、練習……?なんで、私、怒られる……?」
「ち、違うからのぅ!?」
琴ちゃんが明らかに委縮してしまった。
この子の扱いは非常に難しい……。




