第121話 不思議な家族
「のぅ、起きんか。琴ちゃん」
「んぅ……」
「全く。ソファなんかで寝おって……」
幼い女の子の声と共に、身体が揺さぶられます。どこか心地良さすら感じつつも、私の意識は徐々に覚醒。重い瞼を持ち上げて、声のした方に視線を向けます。
そこには、和装束を着込んだ狐耳の幼女がいました。男性時代に使っていたものでしょうか、明らかにサイズ違いのエプロンを身に着けていました。
……あれ?
ここ、ファンタジーの世界でしたっけ。
夢でも見ているのでしょうか。
「……んぅ……現実に戻る……」
「何を言っておるんじゃこの阿呆。ほれ、さっさと身体を起こせい、朝食も出来とるんじゃ」
「……こんな、狐耳の女の子……私、知らない……」
現実逃避するように、もう一度ソファへと寝転がります。そして、そのまま眠りに付こうとしました。
ですが、狐耳幼女はそれを許しません。
「ぬぅ、仕方ないの。不本意じゃが……ほれっ」
「ひぅ!?」
突如として、お腹を筆のようなものでなぞられたような気がしました。思わず情けない悲鳴を上げながら、身体をのけぞらせます。
ですが、その執拗な攻撃は止まりません。
「ほれほれ、目を覚ませい。お前さんが起きるまでやめんぞ」
「ひゃっ……ふ、あははっ……ごめん、ごめんっ。起きる、起きますっ」
降参せざるを得ず、私は両手を上げつつ目を開きます。
どうやら、狐耳幼女は自身の尻尾を使って、私のお腹をくすぐっていたようです。ズルいです。
彼女は衛生的に気になるのでしょうか。律儀に尻尾を触った手をアルコールティッシュで拭っていました。自分の尻尾なのに。
……ようやく、意識が覚醒してきました。
正直、未だに慣れないですね。
「おはようございます、イナリちゃん」
「儂はイナリちゃんなどではないが。金山 米治という名前がじゃの……」
「どっちでもいいじゃないですかっ。似合ってますよ、その服装」
「不本意……不本意じゃ……」
思い出してきました。
私達、田中夫妻は1人で生活が出来なくなったイナリちゃんこと、金山 米治さんの家に引っ越してきたんでした。
今日から、おじいちゃんとの共同生活の開始です。
そんな介護対象であるイナリちゃんは腰に手を当てて、難しい顔をしています。
「にしてもお前さんら、夫婦じゃろ。なんで一緒に寝ないんじゃ」
「恵那斗に言ってくださいよ、それ」
イナリちゃん宅に引っ越してきた私達ですが、家庭内別居は継続中です。私と恵那斗はそれぞれ別の寝室を用意しています。
……正直、私はソファで寝るのに慣れてしまったので、ほとんどベッドを使うことはありませんが。
元々、“女性化の呪い”に掛かる以前から、関係性は冷めきっていました。
恵那は仕事を丁寧にこなした上で、私生活も充実させる完璧を追求するタイプだったのですが。
対する私はダンジョンから帰って来て真っ先に晩酌した後、ソファで寝落ちるという不摂生な生活を繰り返していたんですね。
そんなものですから、“女性化の呪い”に掛かった時点で、恵那との縁は切れてしまったものと思っていました。
ですが、彼女は恵那斗となって、私と同じ運命を辿ることを選んでくれたんです。
なので、過去の反省も踏まえて関係を再構築していきたいとは思っていますが……恵那斗が、“男性化の呪い”に掛かってから、ちょっとだけよそよそしいんですよね。
元々肉食系だったので、時折出てくる変態発言に関しては何も言いません。平常運転だと思います。
ですけど、発言と中身が一致していません!なんですか、男子中学生ですか!
たまにからかってやろうと思って、積極的な行動を取ってみると恵那斗が硬直して逃げ出しちゃうんですよ。
そんな私の胸中が顔に出ていたのでしょうか。
というより、イナリちゃんなら元々勘が鋭いのですぐにばれたでしょうけれど。
「ぬぅ。お前さんらを見ていると、学生の恋愛を見とるようじゃわい……」
「47歳なんですけど」
「お前さんらの元年齢はアテにならん」
「失礼じゃないですか!?」
イナリちゃんがすごく失礼な発言してきます。生意気ですこの狐耳幼女。
ムカついたので尻尾を触ってやりました。
「このっ、わしゃわしゃーーっ!!」
「ぬっ!?何をするんじゃお前さん!!ええいっ、くすぐったいからやめいっ!!」
すると、イナリちゃんは尻尾で私の頬を叩いてきました。
威力こそ高くないですけど、ふわふわの毛が頬を掠めてくすぐったいです。
首元をなぞるのはやめてください。ぞわぞわします!
「ひゃあ!尻尾で叩かないで下さいよ!」
「お前さんが悪いんじゃ!早く顔を洗ってこんかっ」
「イナリちゃんだって見た目小学生じゃないですか!!」
「精神年齢小学生に言われたくないわい!!」
「なんですかっ!もう怒りましたよっ」
「おーおー怒った宣言とな。ずいぶんと子供らしい言い回しよのぅ!!」
「んんんんん……!!!!」
イナリちゃんが優位を取ってくるのすごく腹が立ちますっ。
昔からこの冒険者は……!!
朝っぱらからイナリちゃんと言い争っている声が聞こえたのでしょうか。
いつの間にか、恵那斗が呆れた顔をしてリビングに顔を出していました。
「くぁ……朝早くから何してるのよ、2人とも……」
恵那斗の言葉に、私とイナリちゃんはほぼ同時に反応します。
「ぬぅ!恵那斗君や!ちぃと琴ちゃんを懲らしめてくれんかのぅ!」
「あっ、恵那斗!このイナリちゃんなんとかしてよ」
ですが、恵那斗は私達のどちらも相手にせず、ダイニングテーブルの上にある食事へと視線を向けました。
「あら、イナリちゃん朝ごはん作ってくれたのね。琴が作るはずないし……」
「よく分かっておるのぅ、恵那斗君は。全くそれに対して……のぅ」
「まあ、琴だって良いところはあるもの。これでも成長しているのよ?」
「ぬぅ……お前さんは琴ちゃんに甘すぎるんじゃ。ちぃと痛い目見るくらいが丁度いいんじゃ、全く……」
そう会話を繰り広げながら、私そっちのけでイナリちゃんも向こうに行っちゃいました。
ちなみに背もたれがあるタイプのテーブルは、今となっては使うことが出来ないのでイナリちゃんは背もたれのないタイプの椅子に座っています。理科室で使う椅子みたいなものです。だいたい尻尾が嵩張るせいです。
「ほっ」
ぴょこんと飛び移るのが可愛いです。
昨日も椅子に座ろうとした時に「手伝いましょうか」って聞いたんですけどね。
「儂は1人で行けるんじゃ!見ておれ!!」って意地張って聞いてくれないんですよ。やっぱりおじいちゃんの名残は残っています。
ですが。
「お、おわっ」
「っ、危ないわねっ……!?」
「ぬ、ぬぅ……すまんのぅ。恵那斗君や」
小柄な体格に慣れていないのか、椅子ごと倒れかけていました。すんでのところで恵那斗に受け止められたので事なきを得られましたが。
昨日も同じことをしていたので、田中夫妻共々、イナリちゃんから目を離せません。
改めて椅子に座り直したイナリちゃんは、私の方を冷ややかに睨みます。
「ほれ、琴ちゃんや。早く動かんかい」
「うー……わかりましたっ」
「ぬぅ。介護すると言ったのはどっちじゃ……」
中身は別人とは言え、見た目が年下の女の子にそんな扱いをされるのは堪えますね。
イナリちゃん、恵那斗よりも厳しいです。伊達に中身64歳男性ではありません。
恵那斗の時は見た目と中身のアンバランスさに戸惑いましたが、イナリちゃんの場合は上手いこと噛み合っているので……一周回って、言葉の威力を増しています。どうしてでしょう。
「ううー……狐っ娘こわいなあ……もう……」
「琴ちゃんや」
「ん?……ひっ!?」
私がブツブツ言いながらソファから降りようとしていると、全身を冷たい殺気が覆いつくしました。
隙あらば殺気を放つの止めて欲しいんですけどこの狐耳幼女!
殺気を放たれると、身の置き所が無くなって辛いんですよ!
私は半ば逃げるように洗面室へと駆け込みました。
背後でイナリちゃんが「よし」と言っているのが聞こえました。私は何ひとつ良くないです。
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顔を洗い、寝間着から普段着であるパーカーと半ズボンに着替えました。
男性時代に使っていたパーカーは恵那斗によってバッサリと捨てられちゃいました。魔法使い研修の時にお世話になったパーカーが……。
なので今着ているパーカーは、今の体に合った女性サイズのものです。この間、恵那斗と改めて買い直しました。
どうやら、恵那斗もイナリちゃんも律義に私が来るまで待ってくれていたようです。
「先に食べてくれてても良かったんですよ?」
そう声を掛けますが、恵那斗とイナリちゃんは視線を交わし、それから小さく噴き出しました。
「そういうわけにもいかないわよ。皆で食べないと意味ないでしょう?」
「うむ。そういう訳じゃ、ほれ。琴ちゃんも座りなさい」
うう、優しいですね2人とも。
私は「ありがとうございます」と素直に感謝しつつ、椅子へ腰掛けました。
イナリちゃん、なかなか食事もきちんとしていますね。トーストと目玉焼き、そして恐らくサラダパックから用意したであろうキャベツの盛り合わせが配置されていました。ドラマ用にセッティングされた朝食みたいです。
キッチンには踏み台が配置されていました。なんだか、イナリちゃんが踏み台に乗って朝ごはんを作ったかと思うと、すごく愛らしいですね。
「……これ、イナリちゃんが全部作ったんですか?」
「なに、用意ならそう時間はかからんよ」
「すごいです……」
「ぬふ、そうかそうかっ。誰かと食べるご飯など、長らくなかったからのぅ、つい奮発してしまったわい」
素直に評価すると、イナリちゃんは嬉しそうに顔を明るくしていました。尻尾がウェーブを描くように左右に揺れています。やっぱり可愛い。
……にしても、どこか懐かしい気分です。
こんな、温かみある雰囲気を感じる朝食など、いつ以来でしょうか。
それこそ、異災以前の……。
「……あれ?」
思い出すのは、異災以前の在りし日の姿です。
眠たい目をこすりながら自室から出てきたら、親父がテーブルに腰掛けて新聞を読んでいて。お袋が朝食を作りながら、こっちへと微笑みかけて来て。
そんな突然失った、当たり前をふと思い出してしまいました。
「……あ、あれ……?」
「琴……?」
恵那斗が心配そうに、私の顔を覗き込んできます。
ですが、止まりません。
「んへへ、なんでだろ……なんか、分かんないけど。心、温かくて……」
ふと、ぽかぽかと心の中から温かいものが溢れてくるのを感じました。
それと同時に、頬から温かいものが零れていきます。
涙。
もう、何度目か分からないほど、零れた涙が再び頬を伝います。
そんな私へと、イナリちゃんは優しく語りかけてきました。
「のぅ、琴ちゃんや。お前さんはずっと……1人ぼっちを進んで選んでおったの」
「……っ、う……」
「自分は他人を助けるが、他人からの助けは求めない……など。そのような傲慢など、誰も望んではいないだろうに」
「う、うん……っ」
「言ったろうに。お前さんはもう、1人じゃないと。ほれ、ご飯が冷めるぞ」
そう言って、イナリちゃんはダイニングテーブル越しにティッシュを手渡してくれました。
私はそれを受取り、静かに涙を拭います。
「……うん。ありがとう、イナリおじいちゃん」
「うむ……うむ!?イナリおじいちゃんとな!?」
「あははっ、もう原型ないですね」
「ぬぅ、せっかく儂が慰めてやったというのに……」
イナリちゃんはむくれた顔を作りながらも「いただきます」と両手を合わせ、それから食事をもそもそと食べ始めました。小さい口でパンを頬張る姿はまるでリスですね。
それに見習うように、私と恵那斗も「いただきます」と両手を合わせます。
目玉焼きの白身の部分を削り取るように食べている最中でした。あ、目玉焼きの黄身は最後に食べる派です。
「琴」
「ん、どうしたの。恵那斗」
恵那斗が穏やかな笑みを湛えながら話しかけてきました。ちなみに彼も目玉焼きの白身だけ削り取るように食べていました。私の影響でしょうか。
「……幸せね」
「……うん」
たったその一言だけでした。
ですけど、それだけでいろいろな思いが伝わりました。
私も、恵那斗も、イナリちゃんも。
異災によって、家族を失ったんです。そんな私達が、文字通り形を変えて、同じ場所でご飯を食べている。
傍から見れば、かなり不思議な家族ですが……今はただ、この幸せの時間に浸かっていたいと思います。
……今、だけは。
夢の中で、田中 琴男は言っていました。
「……おや、ここは……ダンジョンの中、でしょうか」
お前にとっての“ラスボス”は、世界を飲み込む極悪の魔王様でも、高い塔の先に存在するダンジョンボスでも、なんでもねえ——
——“過去の自分”ただひとつだ……と。
「……いや、この姿は……なるほど、なるほど。この姿なら、この口調は似合いませんね。なら……こほん」
呪いとは、“対価”と“代償”によって成り立ちます。
何かを得ることによって、何かを失う。
私はこの少女の身体となったことにより、多くを失いました。
それと同時に、多くのものを得ました。
これもまた、ひとつの対価と代償、でしょう。
……ですが、まだ。
「……戻ってきてやったぞ、“田中 琴男”がよ。世界は俺に……何を、望んでやがんだ?」
……まだ、払っていない“代償”が存在したんです。




