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第二十九章 桜の下の誓い

 春が、やってきた。


 あの長い冬が嘘みたいに、街の空気はキラキラと輝く光に満ちている。


 桜並木の下を歩く人々の笑い声が、柔らかく風にゆっくりと溶けていく。


 亮は鞄の中から小さな封筒を取り出した。


 便箋の端には、かすかに滲んだインクの跡。


 冬の日に書いた、あの手紙だった。


 「君がいない空の下で、僕はまだ君を想っている」


 ――その言葉の続きを、やっと今日書ける気がした。


 待ち合わせの場所は、二人でよく歩いた河川敷。


 満開の桜が風に揺れて、花びらが舞い落ちている。


 そこに、真司が立っていた。


 白いシャツの上に薄いグレーのカーディガン。


 髪が春の風にサラサラと流れるように揺れ、柔らかな光の中に溶けて見えた。


 亮の胸の奥で、鼓動が高鳴る。


 「……真司」


 「亮」


 目が合った瞬間、何かが静かに満たされていく。


 季節も時間も超えて、ようやく戻ってきた“日常”。


 二人はゆっくり歩み寄り、桜の木の下で立ち止まった。


 しばらくの間は何も言葉はいらなかった。


 ただ、春の光と花の匂いが、二人の間の沈黙をやさしく包んでいた。





 「この景色、覚えてる?」


 真司が微笑んで言う。


 亮は頷いた。


 「うん。ここで写真撮ったよね。まだ高校生だった」


 「俺、あの時、亮の横顔ばっか見てた」


 「……そんなの、ずるいよ」


 亮が笑いながら少しうつむいた。


 目尻に涙が浮かぶ。


 「ねえ、真司」


 「うん?」


 「俺たち、あの頃みたいには戻れないけど――それでも、これからの季節を一緒に過ごしたい」


 真司は少し黙って、それからゆっくりと手を伸ばした。


 指先が、亮の頬に触れる。


 「亮。俺もそう思ってる。過去の俺たちを取り戻すんじゃなくて、これからの俺たちを一緒に作っていきたい」


 亮の涙が頬を伝い、真司の指に触れた。


 そのぬくもりが、すべての答えだった。





 桜の花びらが、二人の間にひらひらと舞い降りる。


 春の風が頬を優しく撫でて、まるで「もう泣かなくていい」と言っているようだった。


 亮はポケットから小さな銀のペンダントを取り出した。


 中には、あの日と同じ写真。


 笑い合う二人の姿。


 その隣に、今の自分たちの小さな写真をそっと重ねた。


 「これからも、ちゃんと笑っていこう」


 「うん。どんなときも」


 二人の手が、自然に重なった。


 絡んだ指のあいだから、一枚の桜の花びらが春の音色に合わせて踊るようにふわりと落ちる。


 「……なあ、亮」


 「何?」


 「君と出会えて、本当によかった」


 「俺も」


 その言葉に、亮は涙をこぼした。


 でももう、悲しい涙じゃなかった。


 あたたかくて、やさしい涙。


 「ありがとう」がいっぱい詰まった涙だった。





 風が吹くたびに、桜の枝が揺れた。


 その音がまるで拍手のように聞こえた。


 真司が空を見上げて微笑む。


 「春って、こんなに綺麗だったんだな」


 「うん。君と見るから、そう思えるんだよ」


 亮の言葉に、真司はそっと彼を抱き寄せた。


 桜の下で、二人は静かに誓う。


 ――もう二度と、離れない。


 ――この季節を、君と歩いていく。


 光の中で、花びらが雪のように降り注ぐ。


 その景色の中で、二人の影がゆっくりとひとつに溶けていった。




 その日、春は確かに、彼らの心に咲いた。


 涙の冬を越え、ようやく見つけた未来の色。


 手を繋いだまま歩く背中に、桜の花びらが優しく降りかかる。


 それはまるで、祝福のようだった。


 ――“君と生きる”という名の、永遠の約束。



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