第一章 始まりの旋律
【第一章 始まりの旋律】ーーーーーーーーーーーー
チャイムが鳴っても、廊下のざわめきがすぐには消えない。窓の外は茜色に染まり、校舎の影が長く伸びていた。
亮は教科書を鞄にしまいながら、視線をちらりと後ろに送った。そこにいるのは真司――同じクラスだが、部活もグループも違う、接点の薄いはずの相手だ。
「なあ、亮。ちょっと手伝ってくれない?」
真司が声をかけてきたのは、今日で三回目だった。理由はいつも“音楽室まで”。
断る理由はなかった。いや、むしろ亮の中には断りたくない気持ちがあった。自分でも説明できないが、真司に呼ばれると胸の奥が温かくなる。
二人で廊下を歩く。足音が響くたび、日常が少しずつ遠ざかっていく気がした。
「この前も言ったけど、俺、ピアノ練習してるんだ」
真司はそう言って、扉を押し開ける。音楽室はひんやりしていて、外より暗い。カーテンの隙間から差す夕陽が、古びたアップライトピアノを橙色に照らしていた。
真司が椅子に腰を下ろし、鍵盤に指を置く。
一音、二音。ためらいがちな旋律が、やがて少しずつ形を持ちはじめる。亮は近くの机にもたれて、その音に耳を傾けた。
――なんだろう。上手い下手じゃなくて、心に直接届く感じがする。
曲が途切れ、真司がこちらを振り返る。
「……どう?」
「……すげー。俺、ピアノなんて弾けないからさ」
亮が笑うと、真司も少し照れたように笑った。その笑顔が、夕陽に溶けていく。
しばらくして、真司が鍵盤から手を離した。
「実はさ、この曲……まだ途中なんだけど、お前にだけ聴かせたい」
「……なんで俺に?」
問いかけると、真司は一瞬だけ目をそらし、そしてまっすぐ見つめ返してきた。
「……お前の反応が、俺には一番大事だから」
その言葉が胸に刺さる。亮は何も返せず、ただ頷いた。音楽室の時計の秒針がやけに大きく響く。
下校時間の放送が流れる頃、二人は教室に戻らず、そのまま一緒に昇降口へ向かった。
「明日も来てくれる?」
真司の問いに、亮は答えを考えるふりをして、すぐに頷く。
「……うん」
その日から、放課後は二人だけの時間になった。
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