表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/28

日暮真琴という少女

 8



「はい。まずはこれをどうぞ」

「あ、ありがとう」

 茜色はより強く、より濃く空を染め上げていた。病院内には次第に蛍光灯が灯され始めている。

 私は話を始める前にと、一本のペットボトルを差し出した。これからカロリーの高い情報が頭の中に流し込まれるので、労いの意味も込めてだ。

 お母さんは一瞬躊躇っていたが、喉が渇いていたのかすぐに口をつけた。よし、これで第一歩は進んだ。


「ぷはっ。それで? さっきの発言はどういうつもり? 冗談ってわけじゃ、なさそうだね」

「えぇ。何度でも言いますよ。私は未来からやって来たあなたの娘です」

「なら、柊って苗字は?」

「親戚のを借りました」

「さっき言ってた私を追いかけた理由は?」

「あれは咄嗟の嘘です」

「……ふーん。取り繕うつもりはなし、ね」

 警戒の色が含まれる言葉と射抜くような鋭い目つきになる。信じてない加減が限界値だ。


「言っておくけど、私は結構リアリストだよ? 私の目の前に起こることだけが、全てだ」

 だからあなたの言うことは信じないと、暗に告げるお母さん。それは、お母さんらしくもあった。

 お母さんはいつだって陽気で人懐っこくて、可愛らしくて溌剌だ。明るい女の子。無邪気な女の子。そんな、陳腐でも抱きしめていたくなるような言葉が彼女には一番似合う。でも、その中には決して揺らがないような冷静さがあった。線引きが上手というか踏み込みすぎないというか。とにかくお母さんは人との距離感において、一番上手な場所にいるような人だったのだ。

 まぁだからと言って、引き下がるつもりもないけれど。


「それじゃあ現実に起こしてしまえばいいんですね?証拠を、目の前に」

「……出来るものなら」

 言って、お母さんは再度ペットボトルに口をつける。では、お気に召すまま。


「……愛らしい中型サイズで、クマのぬいぐるみ」

 ピタリ。ペットボトルに揺らめく水面が凪いだ。

「名前はサリーちゃん。小学生の頃、毎晩毎晩話しかけては会話を続ける」

「まって」

 切な声が聞こえてくる。

 私は無視する。

「しかも結構長めに、本格的に。『ねぇサリーちゃん。お菓子の国ってどんなところなの?』『お菓子の国かい? そこはねー』なんて言ってみちゃったりして」

「ねぇまってってば」

 私は無視する。

「そして、実は今でもちょっとやっちゃってたり――」

「うわー! 分かった、分かったよ! 信じるからその話は止めて!」

 ほとんど悲鳴のような声を上げて、お母さんは必死な形相で私の口を抑える。


「はぁ、はぁ。それ、誰にも言ってないよね……?」

「はい。私は口が堅い方です。特に、恥ずかしい秘密ともなれば」

 ドンと胸を張る私。これは、お母さんのトップシークレットである。何故私が知っているのかと言えば、未来でもやっているのを見たからに他ならない。まぁ、あまりコミカルに話せるものでもないのだが。


「あーもう最悪だよ。ほんと、顔熱い」

 お母さんは、パタパタと手で仰ぎ深呼吸をしていた。よほど恥ずかしかったらしい。顔はおろか耳まで真っ赤だった。


 何はともあれ、だ。これで、お母さんが信じてくれたことで情報を流す準備は整った。――流す。流すだ。伝えるではなく。

「あのー日暮さん。心臓バクバクのところ申し訳ないんですけど、実はもう一つ、あなたに体験してもらいたいことがあって」

「え? なにそ、れ――」

 言い終える前に、お母さんは突如頭を抱えてうずくまった。うん。予想通り、良いタイミングで作用してくれたらしい。


「い、痛い。なにこれ、なんか、頭に入って」

 訥々と言葉が零れる。痛みに悶えるお母さんを見たくはなかったけれど、ここは耐えてもらうしかなかった。

 キッと断罪するような鋭利な視線が飛んでくる。元よりあった罪悪感がさらに膨れ上がる。


「あ、なたの、仕業?」

「はい」

 せめてもの誠実さを持って私は返答する。

「先ほど真琴さんに渡したペットボトルに薬を盛りました。こんな乱暴な手を使ってしまいすみません。でもこれが一番手っ取り早く、そしてあなたが苦しまないと思ったので」

「今、絶賛苦しんで、るんだけど。何の、薬?」

「私の記憶を詰め込んだ薬です」

「あぁ、これは、そういうこと、ね」

 荒い呼吸ながらも、納得した声を出してくれたお母さんにほっとする。今お母さんの脳には、薬によって私の記憶が映像として流し込まれている。


 未来の技術で作られたこれは、私の計画を、全てを知ってもらうには最適なものだった。古木君に使わなかったのは、単純に体の負担を考慮してのことで、お母さんにおいては問題ないと判断した。

 ――ただ、私の計画の終着点だけは、薬に含まれてはいない。それを見たら、きっとお母さんは悲しむから。


 しばらく情報に苦しむお母さんを見届ける。一通り終わった時には「はぁぁ」と深めのため息を吐いていた。

「とんでもないことするね、あなた」

 恨み節は全力で受け止める所存だ。

「重ね重ね本当にすみません。でも、これで分かったでしょう? 私のことも、したいことも」

「まぁ、ね。……自殺かぁ」

 ぼそりとお母さんは呟いた。どこか、寂しそうに、悲しそうに。自殺という言葉は、果たして、誰に向けられた言葉なのだろうか。

「それで、どうですかね。私の計画に、参加してくれますかね」

 私は当初の目的を口にする。彼への恋路にお母さん自身が協力してもらうということ。

 お母さんはしばし逡巡し、やがて口を開いた。


「少し、時間が欲しいかな」

 私は二の句を待つ。

「一応、あなたの事情も想いも分かったは分かったよ? あなたがこれから行うことにも、否定はしない。私の未来がこうなるなら、私だってそれは全力で避けたいもん。……だけどね、正直今は何が何だかって感じ。もう少し落ち着きたい。そして、何より」

 と、お母さんは言葉を置いて。


「私にはまだ決断が出来ない。古木君ともう一人の彼のどちらかを選ぶ決断も、あなたを死なせてしまう決断も。それにそもそも、あなたが望むみたいに、私が彼に恋心を抱けるかも分かんない。だからね、花凛さん。もう少しだけ、待っててくれるかな」

 憐憫にも似た表情を浮かべて、お母さんは小さく微笑んだ。


「…………」

 私は、驚いたのか唖然としたのか茫然としたのか、声を出せなかった。

 計算違いだった。甘く見ていた。彼女の、優しさを。お母さんはあの男はともかく、私の記憶を覗いたとは言え、ついさっき出会ったばかりの私のことを気にかけてくれたのだ。記憶を見たのなら、目の前にいる人間が最低な人間だと分かっているはずなのに。


「……分かりました」

 これ以上酷なことをお母さんにしたくはなかった。私はお母さんに頷く。今日のところは事情を知ってもらっただけでも、上々だろう。

「一週間待ちます。その間に、どちらでもいいので返事を下さい。答えによって計画は変わりますから」

「うん。分かった」

 私の言葉を快く了承してくれ、一旦の交渉はそこで幕引きとなる。ふと窓を見遣れば、茜色は次第に黒を装い始めていた。時間も別れるのにちょうどいい頃合いということだろう。


 よしっとひときわ明るい声が隣から上がって、ベンチは一人分軽くなる。

「それじゃあ私はそろそろ帰るよ。ほら、さっきから頭痛がするし」

 いたずらっ子みたいに笑う彼女に、私は顔が引き攣るばかりだ。


 また明日、とお母さんはその場から離れていく。私は、彼女の背中を見えなくなるまでずっと見据えていた。

 今日を振り返ってみる。お母さんとの会話を振り返ってみる。お母さんは、未来も今も大きな変化はなかった。お見舞いだなんて言って、他者との繋がりを大切にする。他人のために、自分の時間を費やす。彼女はいつだってそういう人だったのだ。

 なのに、私は。あいつは。


 一人になったベンチソファで、私はひたすらに、彼女の幸せを願っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ