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「あれ? あなたは確か……柊花凛さん、だっけ?」

 振り返った彼女は不思議そうに小首を傾げる。綿あめみたいに緩くふんわりとしたボブの髪が、囁く風に優しく揺らいだ。


「はい、そうです。屋上ぶりですね」

「おくじょう、ぶり? 私たち初めましてだよね?」

 再度首を捻るお母さん。当たり前だが、あの時過去に飛んだのはあくまで私と古木君だけ。つまり、今のお母さんは告白のことなんて何も知らない。ゆえに、私の言葉が伝わらないことは分かっていた。


「気にしないでください。私なりの挨拶です」

「あそうなの。あなた、変わってるね」

 早速変人扱いされてしまう。が、お母さんは特に私のことを警戒している風ではなかった。


「にしても、私のこと知ってるんですね。今日が初日なのに」

「初日だからだよ。気づいてない? 今あなた学校ですっごい有名人」

「噂になってるのは何となく気づいてましたけど、そんなにですか」

「そんなに。めっちゃ可愛い子が来たーって、今日一日ずーっと男子どもが騒いでてうるさかったんだから」

「……なんか、ごめんなさい」

「あははっ! 別にあなたが謝るようなことじゃないよー。悪いのは男子たち。……でも、うん。これは、大騒ぎするのも頷けるなぁ。私と同じくらい可愛いじゃんね」

「日暮さんの方が可愛いですよ」

「あー言い方が慣れてる」

「本当ですって」


 茜の空に、二人の言の葉がふわりと瞬いていく。この時間が、たまらなく愛おしいと思ってしまう。嬉しかった。お母さんにとっては、転校生との会話。でも私にとっては、親子の会話だ。失われた、時間だ。永遠に噛みしめていたいとすら思った。

 ――けれど、私の心はそれを許さない。お前にそんな権利はないと、どこまでも糾弾する。否定するつもりもなかった。


「んで」

 お母さんの声が聞こえる。

「そういうあなたも私のことを知っていたみたいだけど、それはどうして?」

「あー……えっと、実は私も古木君の知り合いで。日暮さんのこととか聞いてたんでこれを機に仲良くなれたらなぁとか、思ってたんですよ」

 言葉を探しながらに、私は答えた。咄嗟の理由づけにしちゃあ上出来だろう。当初の目的である、計画の全てを知ってもらうのが今でも問題はないが、少し状況が悪いので後回しにすることにした。


「ほーん。それで、ここまで走ってきたと」

「バレてましたか」

「そりゃくしゃくしゃの髪見ればね」

 言われて、手で覆い隠す。はっず。

「でも、えへへ。なんか嬉しいな」

 お母さんは自分の髪の毛をくるくるといじりながら、はにかんだ。


「そこまでして、私に会いに来てくれるなんてさ。光栄の至りってやつだ。んでちなみに、古木君とはどういう関係で?」

 共に歩く私の顔を上目遣いで覗いて、彼女はそう問うた。その所作たった一つとっても、彼女は可愛らしさ全開な人だった。

 少しだけ、余韻を持って。


「……共犯者、ですかね」

 彼女は立ち止まる。一歩先走った私を、彼女は深く見つめる。

 凍った風が、身を詰った。

「変な関係だね」

 数秒の沈黙の後に軽く笑って返答するお母さん。私は自分でも分かるくらい、自嘲するように、自虐するように笑った。


 病院に着くと、私たちは合図するでもなく彼がいる病室へと足を向かわせる。

 彼の病室は、このとんでもなくデカい病院の中でもかなり入り組んだ場所に位置している。入ってすぐにあるような場所にはないので、最初にやってきた時は、正直迷いに迷った。

 たった一人の病室がここまで厳重な扱いを受けることが、果たしてそうそうあり得るのかどうか私の知るところではないが、ここまでするほどに彼の病気が特異であるということなのだろう。

 対してお母さんの彼へと向かう足取りは、非常に慣れていた。


「それじゃ、入るよー」

 部屋へとやってきて、お母さんの言葉を合図に私たちはその門を開ける。

「――え?」

 瞬間。まるで、虚を突かれたように、信じがたい光景を目の当たりにしたかのように、お母さんは驚愕に染まった声を漏らした。

 彼が、眠っていた。たった、それだけのことなのに。


「……ん。あぁ、おはよう……花凛さん」

 お母さんの声が引き金にでもなったのか、彼はのっそりと目を覚まし訥々と私に挨拶をする。

 どうやら、私だけしか見えていないみたいで。

「おはよう。どう? ぐっすり眠れた?」

 固まるお母さんより先んじて、私が言葉を返す。

「うん、そうだね。あはは。全く上々だよ。目の軽さが今までとは段違いだ」

 そう告げる古木君の言葉は、確かに寝起きとは思えないほどハキハキとしていた。

 だが、視界はまだ寝ぼけている。


「そ。それはこちらとしても、嬉しい報告だ。なら、その軽くなったお目目で、今一度辺りを見回してみようか」

「ん? 何だっていうのさ」

 訝しみながらも、私の言葉通りに古木君は目を正面へと向ける。

 そこで彼の頭は、完全に覚醒した。

「真琴さ――日暮さん! お、おはよう」

 驚いた拍子に声が裏返り、あたふたと意味が無いのに若干くせっ毛のある髪を直している。


「……うん。おはよう、なんだけどさ、まさかあなたに言う日が来るとは思わなかった」

 硬直がほどけてもなおたどたどしく返すお母さん。理由は、まぁ明白だろう。

「あ、あはは。僕も、昨日まで思ってなかった」

 古木君も気まずそうに笑っている。そう。本来なら、彼に対して寝起きの挨拶などすることはないのだ。彼の病気のせいで。


 彼の病気――後天性(こうてんせい)蓄積(ちくせき)不全症(ふぜんしょう)は、文字通り体に必要なものが蓄積されないという症状を持つ。分かりやすく言うと、人間の体を筒のようなものだとするなら、彼の状態は底のない筒だ。病が進行していくにつれ底は抜けていき、最終的にはきれいさっぱり無くなってしまう。

 ゆえに、睡眠も水分も食も栄養素も何もかも、この病気の前では何の意味も持たなくなっていくのだ。

 とは言え、それは私が来る以前のお話。


「昨日まで? えなに、どういうこと?」

 お母さんは言葉の意味が上手く飲み込めず、大きく首を傾げていた。

 ちらりと古木君は私を見た。言って良いのかと瞳が訴えている。元より全て知ってもらうつもりなので、問題ないと頷く。


「……えーとね、日暮さん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど、あぁもちろん朗報だから安心して。実はね、僕の病気、治るみたいなんだ」

 お母さんの表情が全て驚愕に染まった。桜色の唇がわなわなと震えて、黒曜にきらめく双眸も水晶玉に見えるくらい見開いていた。


「え、え? 治るって、余命宣告、されたんじゃ」

「うん。だけど奇跡的に薬が見つかってさ、特効薬とまでは流石にいかなかったけど、余命はもうなくなるんだ」

 頬を人差し指で気恥ずかしそうに搔きながら、古木君は伝える。彼なりの配慮なのか、私が未来から来た云々の話は上手いこと伏せているようだ。


「……本当? 嘘じゃ、ない?」

「嘘も何も、僕がさっき寝ていたのが何よりの証拠だよ」

「なら、生きていけるの? 君は、これからを」

「うん。また、学校にだって通えるようになるさ」

「そっか。……そっか。良かった。ううん。良かったね、古木君……」

 そこまで言って感極まったのか、お母さんの瞳からは涙が零れた。愛らしい顔が、少しだけ歪んでいる。


 古木君は思わぬ事態にあわあわとするだけだった。

「だ、大丈夫? あの、泣かせるつもりじゃ」

「ううん。いいんだよ古木君。私は、嬉しくて泣いているんだから」

「そ、そうなの? ごめん。僕にはよく分かんなくて」

「だから、謝んなくていいって。相変わらずだな、古木君は」

「ごめん」

「あーまた」


 なんて会話が、それからも長い間続いていく。彼女は可愛らしい仕草を見せて楽しそうに笑って、彼は私と話している時よりも明らかに上気した心持ちで言葉を奏でて。

 私は、そんな二人を眺めていた。別に話に入りづらかったとかそういうわけじゃない。ただ、眺めていたかった。のちに未来で夫婦となるであろう二人が、幸せを享受し合っているこの空間を、ただ、この目に焼き付けておきたかった。


「――花凛さん。あなたは、知っていたの?」

 お見舞いを十分すぎるほどにし終えた頃。病院の中でも出来るだけ人気の少ないベンチソファへと移動して、お母さんは少し低い声でそう問う。

 私は頷く。

「いつから?」

「薬の存在を古木君が知るときからです」

「そう。じゃ、ちょうど一緒にいたんだ。すごい奇跡に立ち会えたんだね、花凛さん。いや、もしかしたら、あなたがいてくれたおかげかもね」


 目元に泣き腫らした跡が残った表情で、慈愛に満ちた微笑を湛えるお母さん。あなたのおかげ、か。きっとその言葉は、本心から出たものではないのだろう。ちょっとした冗談のつもりで、あるいは因果的なものを感じての、軽い洒落だったのだろう。

 けれど。

 一拍、私は沈黙して。


「……本当に、私が関係しているって言ったら、どうします?」

 隣に座る彼の好きな人に、瞳を合わせる。彼女のその無邪気な瞳はぱちくりと、不思議を露にしていた。

「んーと? えっと、言っている意味が、よく分かんない、かな。花凛さん。あなたは、えっとつまり、何を言いたいの?」

 ひっそりと、私は小さく笑う。


「つまりですね」

 私の計画は、今まさにその縄を、私の首へと回す準備を始めていた。


「私は未来からやって来たって言いたいんですよ。お母さん」


 チョーカーが、少しだけ締まったような気がした。


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