病的な彼女
5
自信満々で恐縮だが、断言しよう。私に優秀な頭はない。
お母さん――日暮真琴さんと彼を付き合わせる。それがこの計画の最大目標ではあるが、実はそれをすぐさま解決出来る神の一手みたいなのを思いついていたわけじゃなかった。
というか、めっちゃくちゃ悩みまくった。何日も何週間も悩んで、そして最終的に出した結論はあまりにも脳筋な強行突破という形になっていた。
強行突破。つまり、お母さんに全てを知ってもらった上で彼女にすら協力してもらうということ。より端的に換言すれば、出来レースである。
とは言え、確実に未来を確定させるためそしてお母さん自身が幸せになってもらうため、お母さんにも彼に対する恋愛感情は持ってもらいたい。ので、告白をすんなり受け入れてもらっては困る。そこらへんはこちらが彼とのデートの準備をするなりして、時間をかける必要があった。
まぁそんなわけであくる日。九月二十五日。朝も朝。転校初日。糊の効いた可憐な制服に身を包み、彼からのプレゼントも忘れずに、私は教室の扉の前に立ち尽くしていた。教室からは若かりし声たちがひしめき合っているのが聞こえた。
これから私はこのクラス、二年D組の仲間入りを果たす。はてさて、一体どういうキャラで登場したものだろうか。自己紹介で第一印象の九割は決まるらしいし、今後いざとなった時人の手を借りられるように、クラスメイトに好印象を持たせておきたい。
「よし、ここは陽でいこう」
と、私がそう決意したのとほとんど同タイミングで、
「柊花凛さーん。入っていいですよー」と優しそうな女性の声があった。どうやら出番が来たみたいだ。
教師という職業が残っていることに未だ新鮮味を感じつつ、「はーい」と軽く返事をして私はゆっくりと扉を開ける。
壇上に立って、全体を見回す。私の赤髪が珍しかったのだろうか、ひそひそざわざわと生徒たちは顔を見合わせたり、ぽかんとしたりしていた。けれど、その生徒の中にお母さんの姿は見えない。
ふむ。大当たりとは、いかなかったらしい。
「まぁ流石にね」
軽く息を吐いて、目新しい黒板とチョークで私は自分の名前を書く。ともかくひとまずは自己紹介といこう。
「……はい、皆さん初めまして! 未来からやって来ま――」
パシンと自分の頬に平手打ち。
「こほん。えーと東京の方からやって来ました、柊花凛です! 好きなものは牛タンで趣味は特にありません! まだこの学校もこの街のこともよく分からないので、教えてくれると嬉しいです! これから仲良くよろしくね?」
言って、綺麗に右目を瞬かせる。男子のボルテージが上がり、教室内が騒然とした空気になったことで何とか私は事なきを得た。
あ、あっぶねー。速攻で取り繕ってなかったらワンチャン終わってたな。おかげで、陽キャってよりぶりっ子みたいなキャラ付けにはなってしまったけれど。
と、ホームルームを終えた頃。目論見通り、私の席の周りには人だかりが出来ていた。
その赤色めっちゃきれーい。ブリーチ何回かけたの? そのチョーカーどこのブランド? っていうかなんでこの時期に転校してきたの? 云々――。
質問が絶え間なく続いていく。まるで嵐のようだった。けれど、どうだろうか。これは、なかなかどうして気持ちの良いものかもしれなかった。優越感というか、世界が自分中心に回っている感じというか、話題の渦中にいられる感覚というか、とにかく、そんな感じがして。
――ただ。その嵐の中で、女の子が一人。
質問に嘘を交えつつ答えて一頻りが経ったのち、隣に座る女子生徒が聞いたことのあるような声色で話しかけてきた。
「あなたは可愛いね」
前髪は姫カット。髪型はウルフカット。そしてこの時代大流行のインナーカラー(紫)を忍ばせて、深淵じみた瞳で彼女はド直球な言葉を告げる。
「ありがと。結構言われる。そういうあなたも可愛いけれど、名前はなんて言うの?」
「忽瀬華幽。私は可愛いって言われたの『あの人』を除いたら初めてかも。隣なんだし、まぁ、それなりな関係値でよろしく」
「うん。よろしく」
私の言葉に、微笑を湛える忽瀬さん。何か、いやらしいような、思惑めいた笑みだった。とは言え、私は知っている。これが裏があるとかではなく、単に彼女の生来の笑い方なのだということを。
忽瀬華幽。私はこの人物を知っていた。未来のちょっとしたところで仲良くなった人間である。
……が、正直、ここでこの人とマッチングするのが幸運とは言い難い。一応、彼女も計画の重要な役割を担う人間ではあるのだが、私が直接的にこの人に何かするわけでもないので、そして結構な危険人物なので、関係を深めることになるのは躊躇いたかった。
悪い人じゃ――いや、どうなんだろう。
「部活はどこに入るのかもう決めたの」
頬杖をついてそう訊ねる忽瀬さん。アンニュイというか、物憂げな雰囲気を醸し出しているのも彼女らしさだ。
「ここ、部活は全員参加だよ」
「あーそういえばそうだっけ? 色々手続きとかでバタバタしてて忘れてたよ。でも、入るところは決めてるつもり」
「へぇ、どこなの」
「美術部」
――ピクリと、私が答えれば。
彼女はそこで頬に乗っけていた手を僅かに浮かせた。途端に、空気感が変わった。淀んでいく。沈んでいく。彼女以外の存在が真っ暗闇な感覚に陥っていく。見開いた黒く深海のような瞳が私を射抜いていた。
「……意外だね。さっき柊さん質問に答えてる時体動かすのは好きって言ってたし、運動部に入るのかと思ってた。何か、理由でも、あるの、かな」
首を傾げて、のしかかるような声で、彼女は訊いてくる。十三階段を上っているような感じがした。感情的ではない。努めて冷静に、彼女は首筋に縄をかけてくる。
うーん。そりゃ、こうなるよなぁ。やっぱり、地雷踏んじゃうよなぁ。
分かっていたことだった。私がここでその部活名を出すことで、忽瀬さんがこういう態度になることくらいは。けれど誤魔化したところで、後々バレてしまうのならはっきり言っておく方が良いと思ったのだ。
「なんもだよ。ただなんかすっごい楽って聞いて、めっちゃいいじゃん! ってなっただけ。それだけだよ」
適当な理由を連ねる。
「そう。なら、いいんだけど」
何がいいのかは、触れない方が吉だろう。
「でも、確かにあそこはいい部活かもね」
彼女は雰囲気を戻して続けた。
「美術部とは名ばかりのお気楽部活ってよく聞く。週三から四日で活動してるらしいけど、ほとんど部室でだべってるだけなんだって。それに顧問も名前貸してる程度だから、完全に部員たちの私物と化してるみたいだし」
「へー。そうなんだ」
やけに詳しい忽瀬さん。まるで部員みたいだった。
「忽瀬さんは何の部活なの?」
なので、ちょい訊いてみたり。未来はともかく、今の彼女のことはそこまで詳しくない。
「テニス部。一応こんなでも、全国には行ってるよ」
「えすごいじゃん」
それは本当に予想外だった。あの暗い部屋で語り合った時には、そんな話微塵も出てこなかったというのに。
「まあね」
ひねくれたように、また忽瀬さんは笑った。
それからある程度忽瀬さんと他愛のない談笑を繰り広げる。元よりそこそこ気の合う人ではあったので、会話自体は割と相応に盛り上がっていた。
そうしてしばらくすれば、チャイムが鳴る。残念なことに、警鐘みたいに。
「……ねぇ。もう一度確認するけれど、あなたは本当に、特に理由はないんだよね。何か、気になる人がいるとか、好きな人がいるとか、そういうのは、ないん、だよね」
教室に生徒たちが戻ってきて、授業の準備をしている最中、彼女は再度、執行人になる。
私は色を変えずに、頷く。
「嘘は、ない、よね」
どんよりとした瞳。暗鬱とした瞳。山羊の骸を彷彿とさせる瞳。
私は嘘を吐く。
「……分かった。ごめんね。何回も確認しちゃって。必要な事なんだ。私は、『あの人』が全てだから」
もう一度、チャイムが鳴った。今度は、解放を知らせるように。
あの人、ねぇ?
あーあ、全くマジで。愛が重いってめんどくさ。