日暮花凛の親戚
21
結果。言うまでもないが、僕らのデートは大失敗に終わった。先生のサインを貰うことは出来たし、感謝も宣言も伝えられたが、案の定映画は見られずじまいである。
振り返ってみれば、ただラーメンを食べて莫大な時間を行列の待ち時間に費やしただけのデートだった。彼女を楽しませることが、僕には出来なかった。
書店から出たところで、空は真っ暗。お互い気まずい空気を感じ取りながら、一言二言会話をしたのち、そこで解散となった。
とぼとぼと、自分の情けなさに打ちひしがれながら帰路を辿る。車の音や、人波が通り過ぎていく音までもが僕を糾弾しているような気がした。
人気のないところまで、歩いてきて。
「古木君で、いいのかな?」
誰かに、後ろから呼び止められた。
正直今はもう誰とも話したくない気分だったのだが、無視をするにも声が近すぎたので仕方なく振り返る。
知らない人だった。僕よりも一回りは高い身長と綺麗に手入れされているらしいハーフアップの長髪。一見女性かとも思ったが、身に着けている白衣だったり聞いた声の低さから男性だと分かった。歳も僕とは結構離れていそうだった。
「あなたは……?」
「柊、と言えば分かるかな」
柊。確かそれは、花凛さんの偽名に使われていた苗字だ。あぁ、ということはこの人が。
「花凛さんの監視人、ですか?」
「ご名答。まぁ一応彼女の親戚でもあるんだがね」
「はぁ。そんな人が、僕に何か用でも?」
やや乱暴な言い方になってしまう。まだ失敗を引きずっているせいで感情の整理が出来ていない。
「うん。単刀直入に言おうか」
と、柊さんは僕の気持ちが分かっているかの如く、冗長な前置きもなしに告げた。
その、言葉を。
「――君には、計画を諦めてもらいたい」
「……は?」
僕の理解が追いつく暇もなく、彼は続ける。
「申し訳ないが、先ほどのデートの様子を陰で観察させてもらった。あまり、良い逢瀬には思えなかったね」
「……っ!」
カチンときた。自分で振り返って反省する分にはいくらでも構わないが、他人から言われるとどうにも認めたくなくなってしまう。
「何ですか、だからお前には無理だとでも言いたいんですか」
「違うよ。……あー、違うというわけでもないが」
「はっきり言ってください」
声に敵意が乗る。今までに出したことのないような声が出た。
監視人は、観念したようにため息をついて。
「君は見たところ、誰かと一緒にいるよりも一人で過ごしていった方が性に合っているように思える。少なくとも、病気から復活した現段階ではね。だってそうだろう? 君は今までを抑圧されながら生きてきた。募る想いも滾る感情も、一般人とはあまりにも一線を画すほどに発散されることなく生きてきた」
だから、と彼は続けた。
「君はこれからを我慢することが出来ない。自分の欲求に、抗えない。先ほどのサイン会のようにね。君にも分かるだろう? 誰かと共に生きるというのは、そんな生き方で賄えないことくらいは」
「…………」
返す言葉はなかった。それは、薄々僕自身も分かっていたことで、悔しいまでの正論だった。
その通りだ。僕には、やりたいことが沢山ある。願いも、望みも、祈りも、欲求も、希いも。そして、黒い感情としてこうも思っていた。
誰よりも自分が優先されるべきだ、と。
この人の言葉を、認めざるを得ない。
「……いいんですか?」
でも、それでもやっぱりこの恋だって諦めたくはなかった。
「そもそもあなたは花凛さんの味方なんでしょう? これじゃあ、あの人を裏切っているようなものですよ」
柊さんは、ふっと力なく笑った。
「いいのさ。本来の目的はそこだ」
「え?」
「私は、彼女――日暮花凛の自殺を止めたいんだ。もっと感情的に言うなら、あの子に死んでほしくない」
「な、何ですかそれ。だったら、わざわざ僕に言わなくたって強制帰還? ってのをすればいいじゃないですか。監視人なんでしょ?」
「それは出来ない。ここに来て最初にそれ専用の機械は壊してしまったし、もう一人の監視人もどこかに捨てたようでね」
平然と肩を竦めて言う柊さん。……つくづく思うけど、なんでこんな人たちに監視人任せたんだ、お偉い人。いやまぁそれだけ提唱した理論に確信があるということなのだろうが。
「……最初は、私も計画に賛同していたさ」
僕の思考をよそに、彼は話を続けた。
「花凛の自殺願望がどうしようもないことは私も分かっている。私の家にいた時に、首を吊って自殺しかけたこともあったからね。しかしそんな厭世的な彼女が突然この計画を持ってきてこう言ったんだ。『私は生きていくことが償いになるなんて思っていない。私は死ぬべき人間だ。だからせめて、誰かを幸せにしてこの命を終わらせたい』と」
まるで懐かしむように、柊さんは話す。
「……良いと思ったよ。正しい選択にも思えた。それで花凛自身も救われるというなら、とね。だから私は彼女に全面的に協力した。立案から実験体になるように根回しまで色々と」
けれどね、と。柊さんの儚い声が響いた。
「やっぱり、彼女には死んでほしくないんだ。あの子は、まだ若い。これからいくらでもやり直せる。未来を、生きていける。あの子が幼い頃に私は会ったことがあってね。とても、健気で可愛らしくて、良い子だった。元は、そういう子なんだよ。……だからどうか古木君」
真っ直ぐに見据えられて。
「こちらも今は計画が難航している。そして先ほどの君の失敗もある。諦めるなら今なんだ。どうか、どうか、この頼みを呑んではくれないだろうか」
そう言って、頭を下げられた。
……なんだよ、花凛さん。君は自分を最低な奴って言うけれど、こんなに大切に想われているじゃないか。生を、望まれているじゃないか。
――いや、それでも、なのか。君はここまで想われていてもなお、その感情を潰えさせることが出来ないのか。それはやっぱり、悲しくも思う。
僕だって、誰かをみすみす死なせたくなんてない。自殺に否定的であるのは変わらない。日暮花凛という人物を知れた今なら、なおさらだ。
だけど。結局のところ、どんな言葉を並べたって、僕の契約相手は花凛さんなのだ。
「……悪いですけど、諦めるつもりはないですよ」
柊さんの表情が悲痛に歪む。
「どうしてだ。君が推奨されるべき生き方はさっき伝えたはずだ。漫画家を目指しているのだろう? なら、こんな計画よりも、夢を優先していくべきだ!」
「そうですね。確かに、そうした方がいいのかもしれません。僕はあなたの言った通り、自己中心的な思考回路になりつつある。それを仕方ないとどこかで思っている僕もいる。こんな状態じゃ、付き合うことなんて出来ないのかもしれない」
「なら――」
「でも」
僕は、彼の必死な声を遮る。
「僕の命を救ってくれた恩人である花凛さんを裏切るようなことだって、僕には出来ないです」
「……っ」
柊さんの表情が、もっと険しくなっていく。彼の言い分も分かってしまうがゆえに、僕の心も痛むがそれでも、伝えるべきことはちゃんと伝えなくてならない。
「それに、僕はやってみせますよ」
彼の瞳を芯まで見据える。覚悟を、伝える。
「どっちかを優先するんじゃなくて、どっちも。恋も夢も、叶えてみせますよ」
僕は退かない。何をどう言われようが、絶対に。僕の燻ぶってきた想いが火をつける時、それはきっと、綺麗な色をしているはずだから。
「…………」
柊さんはポカンと呆けてしまった。それから、ふっと吐息が漏れて。
「そうか。君は、そういう選択を取るんだな。欲求不満な君らしい」
「言い方悪いですね」
苦言を呈す僕にふふっと彼は笑う。
「……分かった。君がそこまで言うのなら私は引き下がろう。突然色々話してしまって、すまなかったね」
「い、いえ」
それじゃあね、と柊さんは僕の返事も待たずにさっさと帰って行ってしまう。最後に見た白衣をたなびかせている姿が、ひどく印象に残った。
何だか不思議な人だったけれど、それでも彼のおかげでデート失敗による暗鬱とした気持ちは払拭出来たらしい。
重ねて、決意も新たに漲った。
うん。もう一度、頑張ろう。真琴さんに振り向いてもらえるよう、見せたあの弱さに今度は答えられるよう、折れずに挫けずに、アプローチを続けよう。
そうして星が綺麗に織りなす寒空の下で、僕は力強く足を踏みしめるのだった。




