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そこにある事実

 2



 目が覚めると、そこはベッドの上だった。飽き飽きするほどの見慣れた白い天井が、僕をお出迎えする。

チュンチュンと朝を告げる鳥の鳴き声と、優しい陽光が部屋を支配している。冗談みたいに穏やかな時間が、確かに流れていた。


 数秒あるいは数十秒固まったのち、ゆっくりと体を起こして僕は辺りを見渡す。見知った天井。小さく植えられた観葉植物。白い壁に暖色の床。そしてこの触り心地の良いベッドと、隣にあるのは栄養剤が入った点滴スタンドに輸血スタンド。うん。やっぱりいくら目を擦っても変わらない。ここは、あの屋上ではなく、紛れもなく僕しかいない住み慣れた病室だった。


「天国……にしては、皮肉が利きすぎだよな」

 試しに手を動かしてみても、当然のように。浮世離れした感覚は、もはやどこにもない。

 つまるところこれは、生きている、と見ていいのだろう。


 しかし、そうなるとアレは何だったという話になる。自分の体のことくらいは自分が一番分かっているつもりだ。あの時、確かに僕は死ぬ間際だった。助けなど、間に合わないほどには。となればあれは、夢?いやそれにしてはいくら何でも鮮明すぎる。


「いやでも、こうして生きているわけだし。うーん」

 どうにも整理されない頭をくしゃくしゃと掻いて、とりあえず今が何時かを確認するために、近くのスマホに手を伸ばす。最近買い替えた最新式モデルのやつだ。なにげちょっと触るだけでも楽しかったりする。


 そんな心持ちで時刻を見れば、九時三十分と映し出されていた。随分と眠りこけていたらしい。

 ――そして、もう一つの情報が目に飛び込み、僕は瞠目する。


「……あれ?」

 混乱する頭が、その情報によってさらに混乱していく。咀嚼しきれずに喉につかえたまま、それは凝固していく。不可解なことが起こっていた。僕は鮮明な記憶を辿る。夢かも定かではないが、一応僕なりの一世一代の告白だったんだ。日付くらいは覚えている。九月二十五日だ。けれど、そこに示された日付には。


 九月二十四日。


 嘘偽りなく、淡々と、それは書かれていた。

「こ、故障かな」

 自分の吐いた言葉に自分でかぶりを振って否定する。さっき買い換えたと言ったばかりじゃないか。もしかしたら設定の際にずれたのかもしれないが、ならばと僕はテレビをつけてみる。


 しかし期待は叶わず、ニュースキャスターや芸能人たちはにべもなく今日が九月二十四日だと告げていた。というか、それだけじゃない。一日中暇で、テレビばかり見ていた僕だからこそ分かる。内容も喋る言葉も、僕の記憶と完全に一致していた。


 ど、どういうことだ? ならあれは、なんだ。予知夢、なのか? だとしてもああいうのは基本的に断片的なもののはずで、僕の今頭の中にあるものは、そこまで曖昧模糊としたものではなくて。

 なんだ、これは。これじゃあ、まるで――。


「……いや、というか待てよ?」

 そこで、僕の頭が寝ぼけていたことにようやく気が付いた。そもそもとして、僕は夢を見ることはないのだ。この病気のせいで、僕は眠ることが出来ないからだ。


 加えて、もう一つ気づいたことは異様な体の軽さである。常に睡眠不足で脱水で栄養失調で貧血な僕では考えられないほど、体が一般人じみていたのだ。僕としてはとても幸運なことではあるが、それがあり得ないことなのは明白だった。


「何が、どうなってるんだよ」

 わけの分からないことだらけに頭痛がしかけ、僕は深い深いため息を吐く。

「わけの分からない、ね」


 すると一人、この状況について説明が出来そうな人物が思い当たった。もし僕の記憶が本物なら、あの鮮血の人間も、きっと。

 ガララと、まるで見越していたかの如く、扉を開く音が反響する。


「おぉ。お目覚めみたいだね。何より何より」

 肩付近で綺麗に切り揃えられた赤髪を愉快そうに揺らしながら、その人物は現れた。射抜くほど鋭いような目つきでありつつも、そこそこ大きな瞳で端正な顔立ちをしている。服装は白シャツに黒パンツと淡白な格好だが、華奢な体躯と声の高さから恐らくは女性だろう。それも歳も近そうだった。


「随分と寝ていたもんだから、危うく死んじゃったのかと思ったよ」

 くつくつと彼女は不敵に笑う。口調は何というか、軽薄って言葉が似合う感じだ。

「はいこれ、どうぞ」

 ぽんと、いきなり果物などが沢山入っているかごが手渡される。


「これは?」

「見ての通りだよ。お見舞いの品。あんなことがあったとは言え、ほとんど初対面だしね。お近づきのしるしにと思って」

「あ、ありがとう。でも、気のせいかな。そのしるし、一つリンゴの芯が混じってるんだけど」

「あぁ、道中で食べてきたやつだね」

人に渡すもん食べるなよ。

「お、人に渡すもん食べるなって顔だ」

「平気で人の心を読むな」

「酷いな。書かれてあるから読んだだけなのに。じゃあ、黙読でもすれと?」

「そもそも僕の顔は教科書じゃない」

 全く。何なんだ、この赤髪は。


「……はぁ。悪いけど、君とこんなお喋りがしたいわけじゃないんだ」

 思いっきり嘆息したのち、僕は早速話を切り出した。およそ初対面とは思えない言葉選びだったが、通じると思ってのことだ。案の定、彼女は瞳を少しぱちくりとさせた後、またにたりと笑ってみせる。


「急かすねぇ。私的には、もっと親睦を深めて余白を楽しみたい気持ちもあったんだけど……でもまぁそうだね。見たところ、現状に当惑してるって感じだもんね。うん。分かりました。では早々に、一体あなたの身に何が起きているのか、ご説明致しましょう?」

 仰々しい動きで淑女ぶる赤髪。やはり、何かを知っている。


「それじゃあまずは、自己紹介から」

 と言って、彼女は滔々と。

「私の名前はね、日暮花凛(ひぐらしかりん)だよ。日の暮れに花が凛とあるで日暮花凛」 

「……え? ひぐらし?」

 出だしから躓く。それはだって、あの人の苗字じゃないか。

「まぁまぁ。そこらへんは追々分かってくるからさ、今は話を聞いてくんない?」

 見透かしたようなことを言う花凛さんだった。僕は釈然としないながらも、この不遜な女の子の言葉に頷く。


「んじゃ、最初はあの屋上の一件についてお話しますか。あなたはさ、大方アレが夢か何かだと思って、でもそれにしては頭に残りすぎていると、そんな風に考えてたんじゃない?」

 図星である。

「だけど、私がここにいる時点でもう分かったでしょ? あれは現実。告白をして、フラれて、倒れて、そして意識を失った。ならあなたはどうして今生きているのか? 答えは簡単。先の提案通り、私が助けたんだよ。これを使ってね」

 言って、花凛さんはどこからともなく清涼飲料水が入っていそうなビンを取り出した。


「それは?」

「うわお、察しが悪いねぇ。助けるっつったら一つしかないでしょ。あなたの病気を治す薬だよ」

 あっけらかんと告げる花凛さん。当たり前なことだと言わんばかりだった。僕はついつい顔を顰めてしまう。


「……あのさ、助けてもらった身でこういうこと言うのは変だけどさ、流石にそれは冗談でしょ。まさか僕のこれが、不治の病だって知らないわけじゃあるまいし」

「そだね。知ってるよ。少なくとも、現段階ではそうだよね」 

 妙に含んだ言い方をする。

「なら――」

「でもさ、だったらその体の軽さは、どうやって説明つけるわけ?」

 うぐ。痛いカウンターを食らった。どうやら、僕の体のコンディションも筒抜けらしい。

 上手く反論出来ずにいる僕を、花凛さんは一瞥して。


「それじゃ、そこらへんを説明する二つ目だ。今日が何故、九月二十四日を示しているのか。つっても、どうせあなたも薄々感づいてはいるでしょ? 大丈夫、自信持ちなよ。それは間違っていないからさ」


 にたにたといやらしく笑う。僕の思考が彼女に掌握されているような気分になる。そうして、鮮血を揺らめかせる不敵な少女は告げるのだ。再び、ありもしないようなことを。


「あなたはね、一日前の過去にタイムスリップしたんだよ。もちろん、私の手で」


 途端に、廊下の足音が、鳥の鳴き声が、木々の擦れる音が、うるさく耳に響いた気がした。

 冗談も大概にしてくれと、現実的じゃないと、バッサリ切り捨ててしまいたかった。この人間が、話の通じない荒唐無稽な人なのだと、そう思い込みたかった。けれど無理だった。彼女の言う通り、僕もその可能性を考えてなかったわけじゃないんだ。恐らく今のこの世界では、異端に映るのは僕たちの方なのだろう。

 信じる信じないの話ではない。認めたくはないが、それが、事実というだけ。


ならば、僕が出すべき言葉は、きっとこうだ。

「……花凛さん。君は、何者なんだ」

 血飛沫が上がるかのように、陽光に照らされた赤髪は綺麗にきらめいて。


「言ったでしょ? 日暮花凛。約二十五年後の未来からやって来た、あの人の、日暮真琴さんの単なる一人娘だよ」


 これもまた、事実というだけ。


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