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血に染まった二人

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「本当は死んでなんていないもんね?」

 私の家にいる忽瀬華幽は、皮肉に不気味に異質に笑ってそう言った。

 最近ようやく設えたソファに厚かましく座っている彼女。肌にはにわかに皺が刻まれており、相変わらず瞳は生気を感じられない色をしていたが、体は痩せこけて髪の毛は不衛生に伸びきっている。

 そう。今ここにいる彼女は、この時代の忽瀬華幽ではない。私たちがいる時代の、つまりは二十五年後の忽瀬華幽だ。


「……忽瀬さん、どうしてあなたがここにいるんですか。実験体なら、私一人で十分って話になったでしょ」

「先に私の方に答えてよ素っ気ない子だなぁ。まぁいいや。私は別に実験体に志願したわけでもなれと言われたわけでもないよ。ただあなたを監視しろと言われた。そこの長髪君だけじゃ信用ならないからって」

 言って忽瀬さんは気味の悪い眼光を柊さんに向ける。柊さんはあくまで恬然とした態度でその視線を受け流し、彼女にコーヒーを一つ渡していた。

 しかし、監視人の追加はまぁ分からない話ではないが、その人選を私と関係のある人間にするというのは……。やはり、過去改変は起こるはずがないと、どこか油断があるな。

 とは言っても、割と今は強制帰還のピンチではある。


「はい説明終了。これで分かったでしょ私がここに来た理由は。だからほら早く私の質問に答えてくれる?あぁ聞こえなかったのならもう一度言おうか。本当は死んでなんていないもんね?」

 心の奥が分からない声で、読点を一切つける気のない濁流のような話し方で、彼女は私を追い詰めてくる。卑しく醜い笑みがこちらを見つめている。


「……誰の、ことですかね」

「いやいやはぐらかせると思ってんの。私もう知っちゃってるからあなたの計画の何もかもをさ。なんだっけ? あの人は日暮真琴にフラれてそのショックで命を失っただっけ? それがあなたのシナリオだっけ?あり得ないでしょ。仮にもこの国最先端にして最大にして最良の医療が揃っている病院で余命三ヶ月と診断されたんだよ? それは逆に言えばそれまでの間は生きていられるってことだ。なのにいくら失恋のダメージがあったからってさぁ死ぬまでいくのかな? ……ねぇ答えてよ。あの日あの場所であの人が倒れたのは死んだんじゃなくてただ意識を失っただけなんじゃないの? そのあとあの人は薬が見つかって助かったんじゃないの? ねぇそうだよね? じゃなかったら私が捕まった説明がつかないもんねぇ!」

「…………」


 濁流は、さらに勢いが増していく。荒々しく不愉快に。けれど残念ながら、彼女の言葉は間違ってなどいなかった。

「この時代のあなたに言った台詞とおんなじことを言ってあげますよ。分かりきっていることは、わざわざ訊かないで欲しいですね」

 誤魔化すのは、諦めた。


「その通りですよ、忽瀬さん。古木君は、古木暁人は死ななかった。正史なら、余命二ヶ月を迎える時に奇跡的に薬が発見されて、彼は歴史的な超快復を見せる。誰もが笑顔になる。誰もが幸せになる。これが物語なら、ここでハッピーエンドで大団円です。でも」

「でも?」

 彼女はにたにたと笑っている。その先など、お互いに分かっている。私たちが生きてきたのがその正史なのだ。だからこんなのは、ただの茶番だ。


「……でも、あなたがそれを壊した。彼の幸せを受け入れられなかったあなたは、弱っていく彼を見たかったあなたは――彼を殺そうとした。そして、庇ったお母さんが重傷を負った。物語は崩壊しました。あなたのせいで」

「うんうん。そうだよねそれが事の真相だよね。だから私があの人を失った悲しみで日暮真琴を殺そうとしたなんてでたらめもいいところだよね」

 そっちもバレてるか。っち。これは、私の計画も動向も完全に把握されているな。

 全くもって厄介極まりないが、ともかく彼女の言うように、あれは嘘だった。あれは、古木君が亡くなっているという想定の単なる作り話だ。事実を隠すための陳腐なダミーだ。そうしなければ、ならなかった。

 何故ならば。


「……ねぇ。何故暁人君に嘘を吐く必要があったの。端から全部伝えれば良かったでしょ。あなたは死なないって。あなたはいずれ忽瀬華幽に命を狙われるって。そうすれば多少の混乱を招くこともないのにさ。ねぇ何故?」

 試すような視線が私を貫く。見え透いた笑みを浮かべて、不気味に口を歪ませて。この回答だって、彼女は分かっているはずだ。私の計画を知っているのだから。それでもなおこう訊いてくるのは、遊んでいるだけか何か思惑があるのか。

 いずれにしても、選ぶべき言葉は既に用意してある。


「――言えるわけがないからですよ」

 揺れた声など一つも出さずに、私は告げる。

「分かってるでしょ? 古木君は未来で一度お母さんと関係を絶っている。お母さんとの恋路を諦めている。それは自分のせいで殺されかけたことに対する罪悪感と、あなたからお母さんの身を守るためだ。……結果的にそれがお母さんの幸せに繋がったかと言えばそうじゃないけど、とにかく。そんな選択を取る人間に、そのままありのままを伝えたら同じような選択を取るに決まってるでしょ」

「ふぅん。だから嘘ねぇ? なるほどなるほど。まいいんじゃない? 筋は通ってる。もしあの人にバレたとしても上手く切り抜けられるだろうねそれなら」

 腹の立つ言い方だ。一体誰のせいでこんな回りくどいことをしていると思っているのか。


「……はぁ。まだ何か他に尋問されることはありますか、私は」

「ううん。ないよ満足した。やっぱり私がここに来て良かったね」

 ケタケタと楽しそうに忽瀬さんは笑う。一触即発な雰囲気はいつの間にか消えていた。


「じゃあ、今度はこっちの番でいいですか」

「どうぞ」

 素っ気なく返してもう冷めきっているコーヒーに口をつける忽瀬さん。優雅に足も組んでいる。厚かましさ全開だった。

「あなたは私をどうしたいんです? 規定行動以外を取る私を咎めに来たんですか? そうじゃないならどうしてこんなことを訊いてきたんです? お互い知っているならさっきまでの会話に、意味なんてないでしょう。何か思惑があるなら言って下さい。というか、私の計画を誰から聞いたんですか。一応秘密裏だったつもりなんですけど」

「矢継ぎ早だねぇ。何生き急いでんの?」

 言われて、ハッとする。


「……すみません」

 いけない。つい慌ててしまった。立て直すように私は一度深呼吸をしてから、彼女を見据える。

「そんな切羽詰めてこなくても答えるよ」

 忽瀬さんは、あくまで余裕そうだった。


「まず私はあなたを咎めるつもりなんてない。あの偉ぶってる科学者の奴らに従うのも癪だし。あなたに話を訊いたのは七割意地悪で残り三割はちょっとした取引の確認材料って感じ」

 取引? 意地悪については想定通りとしても、何をしようとしているんだこの犯罪者は。

「そして計画を誰から教えてもらったかだけど――」

 なんて、私が思考を巡らせている間に声が飛んでくる。

「そこについては私から話そうか」

 ただし、彼女からではなく、もう一人の監視人から。


「え、柊さん? 急に何」

「だから、私だよ。忽瀬さんに君の計画を話したのは」

「……ちょっとこっち来て」

 彼の白衣の袖を引っ張って、忽瀬さんに声が聞こえない場所まで移動する。

「マジで言ってる?」

「マジで言ってる」

「マジで言ったの?」

「マジで言った」

 …………。

 なんというか、いきなり裏切られた気分だ。


「え何してんの?」

 私は彼の胸ぐらを掴まんばかりに近づいた。

「これがバレる危険性分かってないわけないよね? 相手あんなでも監視人だよ? 今は咎めるつもりはないって言ってるけど、どうなるか分かんないじゃんあのヒステリック女なんだから。ちょっとでも魔が差したら強制帰還だよ? 全部おじゃんになっちゃうんだよ?」

「分かっている。分かっているからそんなに疑問符を叩きつけないでくれ。私だって、最初は警戒したさ。問題しか起こさない人だからね。だが彼女の提案を聞けば君だって納得してくれるはずだ」

「本当に? いまいち信じ難いけど……。提案ってのは?」

「それは彼女の口から聞いた方が良いだろう。ただ私から断言出来るのは、間違いなく計画には良い作用が働くということだ」

 何だそれ。あの人が、ただ物語を引っ搔き回すばかりの鬱陶しい偏愛犯罪者が、私の計画に良い作用? 荒唐無稽な話にも思えた。


「話終わったならそろそろこっちの交渉訊いて欲しいんだけどー?」

 まるでこちらの会話が筒抜けだったとばかりに、ちょうどいいタイミングで忽瀬さんはひときわ大きな声を出す。特に断る理由もないので従うが、果たして本当に彼女の提案とやらは私の心を動かしてくれるのだろうか。

 彼女と対面するように座って。


「さてさてなら取引といこうか」

 膿んだ瞳はギラリと、淡く光った。

「まず私があなたに与える恩恵は二つ。私はあなたの監視人としてここに飛ばされてきた。長髪君よりも厳重に監視して異常行動があればすぐにでも帰せと仰せつかっている。あなたたちのその行いは明らかに異常行動だね。だけど見逃してあげる。それが一つ目」

 そこは、さっきまでの内容だ。まさかこれは単に取引とは名ばかりに脅されているのか? と早とちりした私を彼女は早々に覆す。


「そして二つ目」

 ピンと、二本指を立てて。

「花凛さん。あなたに今煩わしく引っ付いているこの時代の忽瀬華幽を私が排除してあげる」

「なっ……」

「だからさその代わりに――」

 話される提案内容に、私は目を丸くする。


 絶対に、承諾しないつもりでいた。犯罪者が考え付く対価なんて碌なものじゃないことくらい目に見えているから。ただより高い物はないということわざを思い出す。魅力的な提案の裏には、どうせ怪しい画策が隠れている。道化になるのはごめんだった。

 そう思っていた。

 けれどそうではなかった。


 利害の一致、というやつだろう。結局のところ私も犯罪者で彼女も犯罪者だったのだ。法を犯す人間の思考回路はどこか似通っている。彼女の性癖と、私の執念が合致した。

 血に染まった二人は、互いに気持ちの悪い笑みを浮かべ合った。


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