主人公交代
17
何故だろうか。あの歪なデートからというもの、花凛さんの音沙汰がはたと消えた。いや、原因は分からないこともなかった。分からないことも、なかった。
今日は十月二十五日。花凛さんと出会った日から、既に一ヶ月が経過している。デート後スマホに送られたメッセージには「バレた」と一言だけ。それからこのトーク履歴が更新されることはなかった。誰の仕業かを、正直僕の口から言いたくはない。
まさか殺されたのではとも思ったが、真琴さんに訊くと学校では見かけているらしい。命の危機がなかったのは幸いだが、つまるところ彼女は花凛さんと僕との連絡を途絶えされることが目的だったのだろうか。 優しかった彼女が果たして本当にそんなことをしているのか、僕は今でも確信が持てないでいる。
だが、今ある問題はそれだけじゃない。一ヶ月が経ったということは、花凛さんがここにいられる時間が残り二ヶ月しかないということ。だのに、僕と真琴さんの関係は一向に進展していなかった。
ただ、絵を描いてお見舞いに来た真琴さんに見せて、談笑する。それの繰り返しだ。
花凛さんと連絡が取れない今、僕が手ずからアプローチを頑張らなければいけないのに、その勇気がなかなか出せなかった。
このままではいくら何でもまずい。はっきり言うと、振り向いてもらえるかもなんて甘い考えがあったのも事実だ。残り二ヶ月。希望的観測はもうやめて、振り向かせるぐらいの気概が無ければ間に合わない。
じゃないと、この計画が成功しないと、彼に――。
だから今日こそは、真琴さんをデートに誘おう。
そう決意して、僕は現在学校に来ていた。
もちろんお忍びでではなく、正式に担当の医師さんから許可をもらってである。僕の体も、許可をもらえるぐらいには快復が進んでいた。
久しぶり――優に一年ぶりの学校生活は、特に色めき立つことはなかった。元々人気者ではない僕だし、一年生の頃もそこまで頻繁に通えていたわけではないので、当然と言えば当然なのだが、少しぐらい歓迎があってくれてもなぁとは思う。
「久しぶり」
そんな僕の願いが叶ったのか、教室の隅に座る僕に一つ声が届いた。低い、声だった。
センターパートに鋭い目つき。一年経っても変わらないその姿を、僕は目にする。
「涼夜君。ひ、久しぶり」
ただ、花凛さんと出会う前ならいざ知らず、出会った後ではどうにも彼の印象が変わってしまい声は後ずさってしまった。
「結構、平気そうじゃん。余命幾何もないって聞いてたんだけど」
涼夜君は気にしていない様子だった。どころか僕のことを気遣ってくれる始末。
「あはは、まぁね。でも、一ヶ月前に奇跡的に治療薬が見つかってさ。余命はなくなったよ」
花凛さんとの話では、部員にはまだ治ることは伝えていないと言っていたが、一刻も早く計画を進めたい現状でそこまで気を配ってられる余裕はなかった。
「そっか、土壇場で救われたんだな。じゃあ、これからは部活動にも復帰する感じ?」
「うーん。今日は、参加するかな」
「今日は?」
「実はまだ完治したってわけじゃないんだ。あくまで一時的に来れたってだけ」
「ふーん、なるほど。経過観察、様子見的なところか」
「まぁ、そんなとこ」
お互い、平熱のような淡白な会話だった。ただ事実を並べるだけの味気ないやり取り。僕ららしいと言えば、らしかった。友人と呼ぶほど親しくもなく、恋敵と呼ぶほど白熱してもいない、そんな間柄。劇的なイベントなんて起こらない僕らだ。
「ところで、暁人って花凛さんと知り合いなんだったよな」
会話は続く。
「うん。病院でちょっとね」
「仲良くやれてるか?」
「仲良く?」
妙な質問だ。
「うーん、まぁ、険悪ではない、かな?」
煮えきらない回答になってしまった。とは言え実際仲良くと言うには、あの未来人の僕に対する言葉遣いは少々強火だし、何より最近は会えてすらいないので仕方がない。
僕の返答を咀嚼するように涼夜君は腕を組む。すると今度は。
「……殴られたりは?」
爆弾発言。
「ないよ。あるわけないよ」
「だよな。普通は、そうだよな。まして初対面の人間になんて、あり得ない、ことだよな」
言って、涼夜君は右頬を腫れ物みたいにさすっていた。表情にはどこか怯えが含まれている。……花凛さんの恨みを晴らした発言の真相が、何となく分かってしまった。
「苦労、してるみたいだね」
「うん……。僕、彼女に何か悪いことでもしたかな。面識なかったはずなんだけど」
それは、これからするというか、したというか。
「殴られてからも、部室では僕にだけやたらと当たりが強い。口がいちいち悪いんだ。この前だって、意気地なしとか木偶の坊って堂々と言われたからな」
あぁ。そこらへんは僕も心当たりのある内容だ。まぁ涼夜君に至っては、色々と思うところがあるからなのかもしれないが、花凛さんの口の悪さは元々のような気もする。いずれにしても、言われる方からするとたまったものではない。
「部員なんだし、良好な関係でいたいんだけどな。どうにも難しい」
はぁ、と気苦労が重なったように涼夜君はため息を吐く。
「あはは、一応僕の方からもう少し優しくしてあげてって、花凛さんに伝えてみるよ。いつになるかは、分かんないけど」
僕の喉から、同情気味な声が出た。事情を知った身としては簡単に涼夜君の肩を持つ気にもならないとは言え、今の彼に非はないので流石に可哀想に思えた。
「そうしてくれると助かる。……ん、そろそろ授業が始まるな。それじゃあ、また後で」
チャイムが鳴ったのを確認し、涼夜君は僕の前から去っていく。
「っと、一つ言い忘れていたことがあった」
最後に、跡を濁して。
「僕はさ暁人。初めは、この恋を諦めるべきだと思っていた。諦めて、君に譲るべきだと思っていた。誰よりも不幸で、当たり前すら知ることが出来ない君から、これ以上奪うことなんてしたくなかったから。そのために、あえて彼女を焚き付けたこともあった」
「…………」
だけど、と涼夜君は挑戦的な笑みを浮かべる。
「それは僕の思い違いだったみたいだな。君は、古木暁人は、不幸な人間なんかじゃなかった。同情される人間なんかじゃなかった。最終的には、足掻いた努力が報われる人間だった。……ならさ暁人。僕たちはもう、対等だよな?」
背筋に、嫌な緊張が走った。
「……涼夜君。つまり君は、何を、言いたいのかな」
彼の鋭い瞳が、まっすぐに僕を見据えている。
そして、にっと力強い笑顔を、いやいっそ敵意を見せた笑顔を湛えたままに、彼は告げる。
「宣戦布告だよ。主人公交代だ、病弱野郎――」
どうやら、前言を撤回しなくてはならないらしい。僕らの関係は、温度は今この瞬間から白く熱く、燃え滾っていた。




