親殺しのパラドックス
15
花凛さんは、もったいないからと溶けたパフェを再度食べ始めていた。
僕は、唖然とする以外に何も出来なかった。何も、反応を示せなかった。いや、そもそも反応するべきなのだろうか。こんなおぞましい過去を知って、同情も共感もするべきではないように感じられた。彼女はきっと、そんなことを望んではいないだろうから。
ただ。
僕には、その男が同じ人間であるとは思えなかった。快楽に、悦楽に、吐き気がするほど溺れた人間。 彼は、何も思わなかったのだろうか。自分の愛する人間が壊れていく様を見て、何も、何も。
「……ありがとう、話してくれて」
僕は煮え滾る想いを何とか抑えてそう言った。ここで感情を発露しても何の意味もないことくらいは僕にだって分かる。
「うん。まぁいずれ話さなきゃとは思ってたし。むしろ今はすっきりしてるかも」
言いつつも、彼女の顔はやっぱり少しだけ翳っているように思えた。その顔に何か励ますような言葉は、僕には思いつけなかった。
だから、代わりに。
「花凛さん。僕、この計画絶対に成功させるから」
力強く告げる。心の底から出た言葉だった。他でもない日暮花凛というこの命の恩人のために成し遂げてみせたいと、そう思えた瞬間だった。
花凛さんは、パチパチと目を瞬かせている。予想外といった顔だ。そして、小さく妖しく、彼女は笑った。
「へぇ。結構カッコいいこと言えんじゃん、古木君。ふふ。惚れちゃいそうだ――」
それから。ごちそうさまでした、と彼女が合掌するほど時間が経ってから。
「私ばっか話しちゃってたけど、何か質問でもあるならどうぞ。今なら何でも答えてあげる」
調子が戻ったように言葉を紡ぐ花凛さん。僕としてもそちらの方がやりやすかったので、胸を撫で下ろしつつ彼女に首肯で返答した。
「捕まってから君は、どうやってここまで来たの?」
正直まだ話を進められるほど気持ちの整理がついているわけではなかったのだが、今は進めてしまった方が逆に気が紛れると思った。
「うーん。分かりやすく言うと、実験体的な?」
花凛さんは、あっけらかんと。
「実験体?」
「そう。この時代でも、創作物とかで耳にしない? 何か不確定要素の多い危険で壮大な実験の時にさ、不慮の事故があったとしても問題のない犯罪者をモルモットとして試してみる、みたいな。んで私がそういう判決をもらったってわけ」
「なるほど。確かに、聞かない話ではないね。それが未来で行われているということに、肯定はしづらいけど。……ん? というか待って。それじゃあ不確定要素が多いってことは、もしかしてタイムマシンってまだそんなに普及していないの?」
話の本筋とはそこまで関係がないのかもしれないが、念のために訊いておきたくなった。てっきり、こんな一高校生が使えるのだから、普遍的なものになりつつあると思っていたのだが。
「まぁそだね。まだ試作段階。だから三ヶ月っていう、ここにいられるタイムリミットもついてるよ」
タイムリミット。それも三ヶ月か。なんというか、因果なものだった。
「あぁでも、勘違いしないでね。実験は今回が初ってわけじゃないんだ。既にタイムスリップは可能だと結論付けられ、タイムマシンの性能も十分に判別されている」
「うん? じゃあ、君が志願した実験っていうのは?」
彼女は、にたりと笑って。
「今回のは、過去改変は行えるかどうかっていうことだ。実験体である私がアクションを起こして、制限時間が過ぎるなりして未来に戻った際に、果たして世界に影響はあるのかってね」
それは、僕が初めて花凛さんの計画を聞いた時に感じた懸念とほとんど同じだった。つまり今回行われる実験は、バタフライエフェクトは起こりえるのかってことか。しかし、それをわざわざ犯罪者に実行させるっていうのは……。
「……なんか、未来の方々って結構早計というか軽率というか、とにかく思慮が足りてない感じなのかな」
世界を揺るがしかねない大騒動を起こす可能性だってあるだろうに。
あっはは! と花凛さんはおかしそうに笑った。
「言うねぇ古木君。でも、残念だけど流石にそこまで馬鹿じゃないよ。ありとあらゆる可能性の考慮とリスクヘッジは怠らずにやってる。タイムマシンの構造を作成したすごーく偉い科学者さんたちによってね」
花凛さんの言葉は、さらに続く。
「それの一つとして、私がこの時代で取るべき行動ってのも決められてるの。なんてことのない、道路にある小石をどけろとかみたいなやつね。んで、それ以外の行動をしたら同行している監視人によって強制帰還させられる」
「え、じゃ今って大丈夫なの? 思いっきり君自由に動いているけど」
「問題ないよ。だって監視人も私の味方だし。ほら私の偽名柊だったでしょ? あれはその人から取ったもの」
なるほど。以前学生証を見せられた時に珍しい苗字だなと思ったが、そういう繋がりか。
だし、と花凛さんはなおも話した。
「私が何をしたって正直大して気にしないんだよ、あの天才たちは。皆さ、口を揃えて自信満々にこう言ったんだ。過去は変えられないって。過去改変をしたところで多世界解釈に基づいて新たに一つパラレルワールドが生まれるだけだだとか、今の未来はそれも織り込み済みの世界だだとか、歴史的修正力によって全ての行動は無意味と化すのだだとか、さも頭の良さそうな理論を並べ立ててさ」
堅苦しいようなSFチックのような単語がいきなり飛び出してきた。学のない僕ではあまりに理解に苦しむがともあれ、実行に至ったのにはしっかりとした確証があったらしい。
「それで、一番否定材料として大きかった理論は、やっぱり親殺しのパラドックスかなぁ」
続いて思い出すように口から零れたその言葉。それには、僕のセンサーもピンときた。
親殺しのパラドックス。創作を志す者なら、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。子が現代で親を殺す。しかし親を殺せばそもそも未来で子は生まれない。どちらが先に行われるのかもあやふや。簡単に言えばそういった矛盾のことだ。
そしてこれは、随分昔に提唱されているのにも関わらず、未だ明確な解決策は提示されていない。
確かに改変が出来るというのならば、これも解決されなければ話が成り立たない。したがって、証明されない限りは否定派閥の方に軍配が上がるということなのだろう。
ひいてはこの矛盾は、生憎なことに僕らの計画にも作用してしまっているもので。
「まぁそういうわけで、絶対の保証がされて私は送り出されたんだけど……もちろん私はこういうの信じてない。信じてたら、そもそも計画なんてしないしね」
彼女の瞳は鈍く滾っていた。その天才たちとやらに、楯突かんばかりに。
「大体今ここにいる私的には、その理論たちが合ってるとも思えないんだよ。パラレルワールドなんて知覚出来ないもん出されても机上の空論にしかならないし、織り込み済みの世界っていうなら古木君がここで元気してるのも説明がつかないし、歴史的なんたらってのも私がやってくるっていうイレギュラーを世界が許しちゃってる時点で、そんな力働いてないし。やっぱ頭でもの考える人は、柔軟さってのが足りてないよねぇ」
嫌味な言い方である。
「流石に、もっと高次元な思考を以てその理論たちを提唱していると思うけどね……。それにほら、だったら親殺しのパラドックスについてはどうやって説明をつけるのさ」
僕と同じような言葉遣いをされている科学者たちに半ば同情しつつ、僕はそんな風に訊いた。あと単純に、花凛さんの考えが気になるというのもあった。
「あれは、そこまで複雑じゃないと思うんだよね」
花凛さんは、勿体ぶって。
「要は、鶏より卵が先ってこと」
…………。
「ごめん。意味分かんない」
話が急に吹っ飛んだ。
「端折りすぎたか。うーんと、まず時系列ってあるでしょ? あれはさ何がどうなったって崩れはしないんだ。過去、現在、未来の順で必ず動いている。過去に戻れたとしても、それは干渉したってだけで世界が丸ごと過去に行ったわけじゃない。絶対的に、過去は昔で、今は現在で、未来は明日だ」
うーん。まぁ、分からない話ではない。
「鶏の話もそれとおんなじだよ。どっちが未来でどっちが今か」
「あー、あ? ……あぁ! はいはい。何となく分かってきた」
そこまで言われて、僕の頭は冴えた。
鶏。それは言ってしまえば卵が、ひよこが成熟した姿だ。つまり未来の姿だと言い換えることが出来る。どちらが先に生まれたのかと考察するのなら、鶏は過去を、今を省略して生まれたことになるのだ。……まぁ、卵も作られる過程を省略していると解釈出来るかもしれないが、この議題の重要なポイントはそこではなく。
「いつだって、物語の起点は未来よりも現在で、現在よりも過去だ」
僕の答えは、花凛さんの言葉になっていた。
「つまり、親殺しのパラドックスは子が親を殺すのがスタート地点になるってことか」
「そういうこと。私たちで言うなら、あなたとお母さんが結ばれるっていうことだね」
なるほど、と相槌を打ちかける前に、僕は気づく。
「待って。それじゃあどちらが出発点か明確にしただけで、結局矛盾は残ったまんまじゃない?」
「うん」
「うんって……。何、だったらそこは花凛さんも太刀打ち出来ないってこと?」
「いんや、方法はある。けど、今はまだ教えてあげない」
「どうして」
「ロマンに欠けるから」
「…………」
ダンディなヒットマンみたいなことを言う花凛さんだった。いや、今はそんな比喩をしたいわけではない。気になるだけならせておいて答えは教えないなんて、あんまりじゃないか。
不完全燃焼は気持ちが悪いのだと、花凛さんに視線で何とか訴えてみるけれど。
「いいじゃん、いつかは教えるって言ってんだからさ」
逆にあっちが不機嫌になってしまった。いつもよりも低い声が突き刺さる。僕だってこの空気を険悪にしてまで知りたいわけじゃないので、情けなくすごすごと引き下がるしかなかった。
少し、苦い空気が充満した。
「……あーその、代わりと言っちゃあ、なんだけどさ」
しばらく沈黙が続くと、花凛さんはバツの悪そうな声を出した。というより取り繕う声と言った方が的確だろうか。不遜な彼女でも、気遣いくらいは僕にもしてくれるらしい。
「出掛ける前に言ってたこと、教えてあげるよ」
出掛ける前。あぁ、華幽ちゃんのことか。元はそれが一番気になっていたというのに、花凛さんの過去だったりSFな話だったりですっかり抜けていた。
「忘れてた?」
「あ、あはは」
相変わらず、心が筒抜けである。
「で、なんだったっけ。確か、何かがまずいんだっけ?」
「そそ。あなたの幼馴染、忽瀬華幽は限りなくまずい人間だ」
「ん。なんか、気になる言い方だな。一応僕の数少ない大切な友人なんだけど」
「……友人、ね」
花凛さんは、何故か皮肉な笑みを浮かべていた。
「気分を害したのなら謝る。ごめんなさい。そういう意図はないから。ただ、これだけは聞いて欲しい」
一拍、空白があって。
「忽瀬華幽は、未来で、それも近い未来で――殺人未遂を犯す」
…………え?
「彼女も犯罪者なんだ。私が収監された牢屋に先客であり同居人として、あの人はいた。他でもないお母さん――日暮真琴を殺しかけた罪でね」
「な、なに、それ」
自分の口から零れた言葉を、僕は認識出来ていたか怪しかった。思考が固まっていた。信じられる、話ではなかった。
それでも、彼女の言葉は鳴り止むことを知らなかった。
「動機としては、歪んだ愛ってとこかなぁ。古木君、あなたはさっき彼女のことを友人と言っていたけど、果たしてあっちはあなたのことをそう思っているのかな?」
僕の喉は、唾を飲み込むことすら出来なかった。この先を、聞いてはならない気がした。
それでも。
「あなたを失って悲しむのは、幼馴染だってそうだ。どころか誰よりも大きいかもしれない。だけどだよ古木君。もし、もしその抱く感情がもっとどろどろとしていたら? 歪で、醜くて、重苦しくて、異常で、それでいて乙女らしく甘酸っぱい感情を、彼女があなたに抱いていたとしたら? 失った悲しみは、憎しみは、誰に向かうんだろうね」
言葉が、出せない。周囲の雑音が、うるさいくらいに僕を包み込んでくる。信じ、られない。信じたくない。僕の知っている華幽ちゃんは、そんなことはしない。
だけど、だけど。それを嘘だと言い切れる自信がなかった。だって結局僕は、僕に見せる彼女しか知らないから。あの病院で世界が終わっていた僕には、体調を気遣ってくれる優しい彼女以外を見たことがないから。
だから僕には、花凛さんの言葉が聞こえていた。
「んまぁ、だからさ古木君。拒絶しろとまでは言わない。曲がりなりにもあなたと関係の深い人間っぽいしね。でも、警戒はしていて欲しいんだ。もし古木君がお母さんとデートをしようとしていることがバレたら、あなたもお母さんも、最悪なことになるかもしれない」
瞳は、血を浴びたかのような双眸は、事態の深刻さを訴えていた。正直、勘弁して欲しかった。頭の整理が追いついていない。ただでさえ、過去で未来な話でいっぱいなのに。花凛さんから伝えられるものは、いつもそうだ。非常識で非現実で、そして危機感を煽るんだ。
今の僕に出来ることと言えば、ただその話を受け止めるぐらいなものだった。ゆっくりと、重々しく、僅かながらに僕は頷く。
「うん。これで伝えることは伝えたよ」
花凛さんも満足したように頷いた。
「ほんとマジで、警戒しててね。あの人には歯止めってもんがないから」
念を押す花凛さん。そこまで言われると、僕も反論というか苦言を呈したくなった。
「別に僕や真琴さんだけという話でもないでしょ。君だって、狙われる可能性は十分にあるはずだ」
こうして、僕と密会的なことをしているわけだし。
「私? あぁまぁそうだね」
しかし、なんの興味も危機感も湧いていない声で花凛さんは言う。
「つってもどうせ狙われないっしょ。お母さんやあなたをすっ飛ばして私を狙うほど、あの人の中で私の優先順位が高いとは思えない。仮に高かったとしても流石に私の計画までバレるとは思えないし、いくらでも誤魔化せるよ」
余裕綽々といった感じ。先ほどもそうだが、どうやら花凛さんは自分の推測に自信があると絶対に揺らがないらしい。
すると、花凛さんの眇められた視線にぶつかった。
「っていうか、私のことはどうでもいいから。あなたは自分の心配だけしてなよ。ついこないだまでろくにあんよも出来なかった人間が、殺人鬼から逃げられると思ってるの?」
「……分かったよ」
鋭い言葉ではあるが、どうしようもないくらいの正論だった。僕は情けなく引き下がる。
にしても、自分のことを「どうでもいい」と卑下する彼女。その言葉からも、鮮血の厭世観がよく見て取れた。過去を知った今、今更彼女の気持ちを否定するつもりないけれど、その言葉が少し寂しくも思えた。
「よし、それじゃあそろそろ、このデートも解散といこうか」
「うん」
僕の心を見透かしているくせに、こういうところは意に介さないで突き進む彼女に僕は呆れつつ応答する。そうして、目まぐるしい今日という日は終わりを告げたのだった。
――ここで何事もなく幕間となっていれば、どんなに良かったのだろうか。きっと、この計画は順調にいったのだと思う。何の問題もなく、事が運んでいたのだと思う。あんなことが起こらなければ。
そう。花凛さんの推測は、ものの見事に外れたのだ。
つまるところ。
物語は、この日を境に堕落した。




