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美術部の日常

 10



「えーっと日暮花凛ちゃん、でいいんだっけ?」

 美術室で。恐らく先輩にあたるであろう編み込みの女子生徒が、私をそう呼んだ。

 ドキリと、心臓が跳ねる。

「バカ」

 頬に人差し指を当て思索にふけるその生徒の頭を、ポカリと今度は長髪の女子生徒が叩く。


「その苗字は真琴さんのでしょう? 正しくは柊花凛さん」

「あぁそうだったそうだった。似てるから間違えちった」

 てへっと可愛らしく舌を出す確かあかりさんに、はぁとため息を零す確かすずはさん。私の隣では、お母さんが苦笑いを浮かべていた。私も、正体がバレなかったようでほっとする。


 転校し一週間が経った。ようやく久しぶりの学校生活に慣れ始めたので、担任の先生から「そろそろどの部活に入るか決めてね」と入部届を渡され、ノータイムで美術部と記入し今に至る。ちなみに、まだお母さんから返事は聞かされていない。


 今日の美術室は、女子だけで構成されていた。要は、あのセンターパートの男の子がいない。今日が一応の初めまして的な自己紹介だというのに、全員が揃っていないのは少し残念だった。


「ごめんなさいね、あかりがこんなんで」

 対して、部員たちはそこまで気にしていない様子。

「こいつ、人の名前とかよく間違えて覚えるのよ。今みたいにね」

「はぁーん、言ったねすずは。あんただってまこっちゃんのこと、一ヶ月ぐらいまことさん呼びだったじゃん」

「うるさい。そんなのは知らない」

 相変わらず仲がいいようで。

「はいはい先輩たち、いちゃつくのはそこら辺にして早く自己紹介しちゃってください」

 お母さんが諫める。その言葉に大人しく言い合いを止める二人だった。きっと、こんなやり取りがこの部活の日常なんだろうなぁと、傍から見ていた私は思った。


「こ、こほん。変なとこ見せちゃったわね。私は、軽川(かるかわ)(すず)()。足軽の軽に川沿いの川、鈴鹿の鈴に葉っぱの葉ね。三年生で、この美術部の副部長よ」

 姿勢を正し凛とした声で鈴葉さんは言う。宝石のような黒色にどこまでも正直な髪。理知的な瞳もあってか、高校生だけれど大人って感じの人だ。


「それであたしだね。あたしは、楠見(くすみ)(あか)()。楠木の楠に見るの見、灯台の灯に茉莉の莉。鈴葉と同じ三年で、部長ちゃんってわけだ!」

 ころころとした声で、肩にかかる編み込みの髪をいじりながら灯莉さん。瞳はまんまるとしていて、鈴葉さんとは対照的に年齢より幼い印象を持たせた。


「そんで、まこっちゃんとあっくんは知ってるみたいだからいいとして……」

 あっくんとは古木君のことだ。一年前はここにいたのだし、面識があっても不思議じゃない。

「残すはうちの部のエースだね。ほら前来た時にいたあの目つき悪い子! 覚えてる?」

「えぇまぁ」

 そこまで目つき悪かっただろうか。

「よかった! 彼の名前はね、小木(こぎ)(りょう)()っていうんだ。小さい木に涼しい夜ね」

 ふむ。その漢字で、こぎ、か。おぎではなくて?

 お母さんを見遣れば、はははと遠い目をして苦笑していた。あぁ、大体察した。


「あいつもまこっちゃんやりっちゃんと同じ二年生だよ」

「りっちゃん?」 

 聞き慣れない単語が飛んできて、思考も飛ぶ。

「柊花凛でしょ? だから花凛の凛でりっちゃん」

「あぁ、そういう」

「もし嫌だったら、かりんとうちゃんってのもあるけど」

「りっちゃんでお願いします」

 割とあだ名で呼ばれたのは初めてだったが、いくら何でもかりんとうはない。


「にしても、灯莉はほんとあだ名で呼ぶの好きよね」

「いいじゃんあだ名。一気に距離縮まる感じして」

「でも、その割には鈴葉先輩のこと呼び捨てですよね」

「それはまこっちゃん、逆にね?」

「何の逆よ」

 すらすらと、三人の応酬が続いていた。おかげで私が入り込める余地が全くなかったが、この三人の会話はずっと聞いていても飽きないような和気あいあいとした雰囲気がして、正直結構居心地は悪くなかった。


「っていうか、エースって何です?」

 とは言え、私も気になっていたことを口にする。

 一週間前に忽瀬さんが言っていたように、ここはお気楽部活だ。絵なんて全く描いていない。そんなところに、アクティブな部活でしか聞かないような用語が出るなんて。

「んー? それはねーー」


「すみません。遅れました」

 すると。まるで見計らったかのようなタイミングで、件の少年はやって来た。あまりにもナイスな登場に先輩方二人は「おー」とパチパチ拍手をする。

「え、何。なんすか」

 戸惑う涼夜君。きょろきょろと辺りを見渡している。

 そこで私の存在を認めたのか、「あぁ」と納得した声を出した。

「彼が小木涼夜君。通称りょっくんね」

「呼んでるの楠見先輩だけですけどね」

 と当たり前のように悪態をついて、こちらを見る。


「どうも。あー……色々と訂正めんどいんで、そのまま涼夜って呼んでくれると助かります」

 ぶっきらぼうに言う涼夜君だった。苗字の件についてはまぁ予想通りだったので、この際特には触れないでいいだろう。

 髪型は以前見た時と変わらずセンターパート。目つきに関しては灯莉さんが言うように確かに鋭く、機嫌が悪そうに映る。が、恐らくは他人の空似だろうが、どことなく古木君に似ていた。


「それで少年。一体なにゆえ遅れたのだい?」

 灯莉さんがにやにやとして訊ねる。

 涼夜君は面倒くさそうにため息をついていた。

「分かってるでしょう。曲がりなりにも、あなたが部長なんですから。……はぁ、受賞式に呼ばれてたんですよ」

「受賞式」

 思わず、声が出た。

「そう」

 鈴葉さんが補足してくれるらしい。


「一応ここも名前は美術部だから。体裁的にも、絵を時々賞に送らなくちゃいけないのよ。そして、その才能がなんと涼夜君にはあったってわけ」

「へー。この部活ほとんど真面目に取り組んでないって聞いてたんですけど」

 お母さんを見る。困ったように笑っていた。

「ほとんどだからね。真面目な生徒も一人二人はいるよ」

 二人。もう一人は、まぁ言わなくても分かるか。


「真面目なんてものじゃないよ。ただ、単なる暇潰しというか部員になったからには、部としてのカリキュラムをこなさないと気が済まないってだけで」

 彼は気恥ずかしそうに頭を掻いている。けれど、それは一般的には真面目と言うのではないだろうか。


「何でもいいよう、君が賞を取ったのは変わりないんだし。ささ、早くここに座って座って」

 灯莉さんは、立ちっぱなしになっていた彼を急かして用意していた席へと座らせる。そこは、私たち四人を両手に添える中央、上流階級で言うところの王様が座る場所だった。


「ふっふっふ。りょっくん。君が来るのを待ってたんだぜ。あたしは、早くこれが食べたくてたまらなかったんだから」

 居心地悪そうにもじもじしている涼夜君を尻目に、灯莉さんはガサゴソと自分の鞄を漁り中から何やら綺麗な白い箱を取り出して、机の中心に置いた。

 開けば、それは様々なケーキたちだった。

「はい。主役も出揃ったということで。パーっといこう! 今日はりっちゃん歓迎会、ついでにりょっくん祝賀会だー!」


 わーと、四人が拍手を鳴り響かせる。部室内は、突如として大騒ぎムードになった。思わぬ展開に呆気にとられ、私の拍手は思いっきり出遅れる。

 驚いた。まさか歓迎会とは。私なんか祝わなくてもいいのに。


「ではでは、早速!」

 一頻り拍手し終えて乾杯も終えてから。灯莉さんが全員にケーキを渡した。

 私とお母さんがショートケーキ。鈴葉さんがショコラ。灯莉さんがモンブランで涼夜君がタルト。全員の好みは把握済みだったのか、皆一様に恍惚とした表情を浮かべながらその天国の甘味を食していた。かく言う私も。

「どう花凛さん? 美味しい?」

 お母さんが微笑みを湛えて私に訊く。

「お、美味しいです」


 わちゃわちゃがやがやと細やかな宴は踊っていく。灯莉さんが涼夜君をからかって、鈴葉さんがそれに加勢して、鬱陶しそうにする涼夜君と先輩を窘めるお母さん。楽しそうな雰囲気が、そこには流れていた。

 そうして。モンブランを食べ終えたのか、灯莉さんの方からカチャリとフォークを置く音がした。


「本当は、あっくんも混ぜてやりたかったんだけどなぁ……」

「仕方ないわよ。病気が病気なんだし」

 先輩二人が、ほんのりと寂しそうな表情を浮かばせていた。

「差し入れをしようにも、ケーキなんかじゃ何の気休めにもならないもの」

「だよねぇ」

 嘆息する二人。古木君の分のケーキが無かったのはそういうことらしい。


 まだ、古木君が今どうなっているのかここでは知らせていない。彼女たちの間では、余命三ヶ月の古木暁人という情報で止まっている。別に教えても良かったのだが、どうせ混乱すること請け合いなので言わないことにしたのだ。


「でも、少しくらい、いい想いしてもらいたいじゃんか」

 灯莉さんの言葉が、空虚に舞う。パーティなはずなのに、しんみりとした空気が流れてしまった。こんなことになるなら、いっそ言ってしまうかとお母さんと顔を見合わせた時、突如、低い声が場を制した。


「いい想いは、してると思いますよ。あいつ」

 全員が彼に視線を向ける。先んじて反応を示したのは、もちろん灯莉さんだった。

「なんでそう思うのさりょっくん。不治の病で余命三ヶ月なんだよ? それもまともに日常生活も遅れないような最悪な症状が出てる。きっと誰よりも不幸なはずだ」

「まぁ、そこについては否定はしませんよ。ただ」

 と、涼夜君は言葉を置いて、静観していたお母さんを見つめた。


「好きな人が自分を気にかけてくれるっていう贅沢は、あいつだけの特権でしょう」

 誰を指した言葉かは、明白だった。

「……そうかもね」

 ポカンとする先輩二人を追い越して、お母さんは小さく笑った。しかし、そこから先に続く言葉は生まれず、気まずい沈黙が美術室に広がっていくのみとなる。


 誰もが紡ぐ言葉を見失っている。しばらくしてパンと手を叩いて静寂を破ったのは、当事者であるお母さんだった。

「はーい皆さんしっかり? せっかくの歓迎会なんですから、暗い話はここまで! スイーツは食べ終わったんでしょう? なら早くお片付けしてください」


 お母さんの声に鈴葉さんが再起した。

「そ、そうね。後回しにするとめんどくさいもの。ほら灯莉、涼夜君、お皿洗うの手伝って」

 言えば、他の二人も動き始める。

「えー、かったるぅ」

「僕もですか、主役なんじゃ」

「言ったでしょ、あなたはついで」

 二人の抗議も虚しく、まるで舞台裏に捌けていくかのように鈴葉さんに連行されてしまった。

 そして。

 その比喩でいくとするなら、今壇上に上がっているキャストは。


「……花凛さん」

 声を、かけられる。ずっとずっと、聞き馴染んでいたかった声。

 声は、私が待ち望んでいた言葉を、確かに告げてくれていた。


「さっきの彼の言葉で決心がついた。返事は『イエス』だ。彼のことを好きになってみせる。そして、あなたを殺してあげる――」




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