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ストーカー?

 真中に誘われて奈南と三人で会社の近くにある居酒屋へ行くことになった。この三人で飲みに行くと、いつも男性陣への愚痴が話題の中心になる。

 係長の恩田の机の上は資料が山積みだとか、増井はこっちが忙しい思いをしているのに、仕事に関係ない話題でガヤガヤとうるさいだとか、静かだと思ったら居眠りしていたとか、机の上に飲み物を置いたままにして、よくこぼして大事な資料にシミをつけているだとか、小さなことばかりだが話しだすといつもキリがない。

 今日も奈南が恩田の愚痴を言いはじめて止まらなくなっていた。確かに恩田はいい加減なところがあり、愛美たち女性陣は彼によく振り回されている。

 奈南の今回の愚痴のネタは彼女が作成した企画書を恩田が紛失してしまったことだった。

 奈南は恩田から新商品の企画書を作ってほしいと依頼を受けた。いつまでに作成すればよいかと奈南が訊ねると、明日までだと言う。奈南は他に仕事を抱えているので、明日までは難しいと伝えたが、恩田はそれを認めなかった。

 恩田は課長が急いでいるから、絶対に間に合わせるようにと言ってきた。奈南は仕方なく残業して、その日のうちに企画書を作成した。

 奈南は出来上がった企画書を翌日の朝一番に恩田に持っていったが、恩田の態度は最悪だった。奈南が恩田に企画書を手渡すと、恩田は「ああ」とだけ言って、中身も確認せず、ありがとうの言葉もなしに、企画書を机の上にポンと置いてどこかへ行ってしまった。きっとタバコを吸いに行ったんだと奈南は言う。

 その話をしている時の奈南はずっとしかめっ面をしていた。

 その後がまた最悪だった。奈南が退社しようとした時に恩田に呼び止められて企画書の締切は今日までだから、帰る前に提出するようにと言ってきた。

 奈南が朝一番に提出しましたと言うと、恩田はそうだったかなと言って頭を掻いた。

 奈南はもしかして失くしたんですかときつい口調で言うと、君から受け取って机の上に置いたような気もするんだがな。後でゆっくり探してみるわと呑気なことを言っていた。

 奈南のその話を聞いて、愛美まで腹が立ってしまった。

 奈南の愚痴を全て聞いてから居酒屋を出て帰路についた。電車の中でも奈南はまだ怒りが収まらないらしく、同じ愚痴を何度も繰り返した。しかし、電車を降りる時には奈南はいつも通り笑みを浮かべて帰っていった。


「今日も奈南は、すごく溜まってたね」

 真中は奈南が電車を降りてから愛美に言った。

「奈南の気持ちすごくわかります」

 愛美も怒りがこみ上げていた。 

「係長も一生懸命なんだけどね。仕事を抱え込みすぎなのかもしれないわ」

 真中は今年から昇格してチーフになった。チーフになって責任も重くなり恩田と関わる時間も増えた。気苦労も増えているようにみえる。愛美や奈南と違って、恩田をなんとかフォローしようとしているのがよくわかる。以前のように、愛美たちといっしょになって恩田の愚痴は言わなくなった。

 真中の仕事をフォローし、ストレスも発散させてあげないといけないのだが、今日は奈南の話が長引いてお互い疲れていたし、時間も遅くなったので、真中との二次会は無しになった。

 スマホで時間を確認すると十一時を過ぎていた。時田から着信が入っていたが、これも明日にでもあらためて連絡することにした。

「じゃあ、愛美、また明日」

「はい、真中先輩お疲れさまでした」

 改札を出てからお互いに挨拶を交わした。愛美は真中の背中を見送った。真中が振り返り手を振って笑みを浮かべたのを見て、ペコリと頭を下げてから踵を返し、自宅マンションへと歩き始めた。

 真中のマンションは駅からすぐだが、愛美のマンションは駅から歩いて十五分くらいかかる。

 駅前は夜になってもにぎやかだが、横道に一本入ると街灯も減り人気がなくなっていく。

 愛美がここに引っ越してきて一人暮らしをはじめた頃は、この道を一人で歩くのが怖かった。時間はかかるが少し遠回りして、西側にある片側二車線の車道まで出て帰っていた。その道路に出ると、車の往来も多くコンビニやチェーン店の飲食店が立ち並んでいるので、女性が一人で歩いても安心だ。

 引っ越して一ヶ月もすると、ただでさえ遠い道のりをわざわざ遠回りして帰るのが面倒になり、今ではこの暗い道ばかりを通っている。慣れてしまうと、この人気の無さが反対に心地よかったりもする。排気ガスまみれになりながら騒がしい道を歩くより、静かな道を夜空を見上げながら深呼吸して歩いたほうが一日の仕事をやり終えた充実感みたいなものを感じる。

 今日は雨上がりなので空気も澄んでいる。空にはまだ雲がかかっているようで月は見えない。月明かりがあると、この道も少しは明るいのだが、今日は気味が悪いほど暗く静かだ。耳に跳ね返ってくる自分の靴音を聞きながら自宅マンションへ歩いていく。最近新しく建ったであろう住宅が立ち並ぶ道を抜けていく。午後十一時を過ぎると住宅の窓から漏れる灯りも少なくなる。

 住宅街を抜けると神社の山門にぶつかり、その横を抜ける道へと入っていく。その先は街灯はなく、一段と暗い道になる。右側には神社の塀がそびえ立ち圧迫感を感じる。見上げると神社に生える樹木が塀の上から顔を覗かせ空が狭く感じる。左側には小さな川が流れていて、チョロチョロと弱々しい水の音が鼓膜をなでる。川を覗いても真っ暗で水の流れを見ることはできない。水の流れる音だけでここに川があることがわかる。ハイヒールが打つ靴音に川の水の音が加わって辺りに響き渡る。

 夏や秋だとここに虫の音や蛙の声が加わり、少しにぎやかになり、気持ちを和らげてくれる。真夏の日中は神社の木にとまる蝉の声が鬱陶しいほど鼓膜に突き刺さる。

 神社の横道を半分くらい過ぎたところで、背後から愛美の靴音とは違う靴音が加わってきた。ズシズシッと強くて重い靴音だ。その靴音は愛美の靴音と重なり一定のリズムを刻んでいる。

『タンタン、ズシッズシッ、タンタン、ズシッズシッ』

 靴音は近づくこともなく離れることもない。愛美が歩くスピードを緩めると背後から聞こえてくる靴音も遅くなる。

 愛美は恐怖を感じ、歩くスピードをあげた。すると背後から聞こえる靴音もはやくなった。愛美が立ち止まるとその靴音も止まった。愛美は息を呑んだ。後ろを振り返る勇気はない。一度深呼吸してから一気に走り出した。すると、背後からの靴音が一段と激しい高い音を立て近づいてくる。ハイヒールで思うように走れない。

 このままマンションまで走って帰りたいが、誰かにつけられているとマンションまで帰るのは危険な気がした。かといって、このままこの辺りをうろついているわけにもいかない。息を切らしながら頭を整理する。

 とりあえず広い道路に出て明るく安全な場所に避難することに決めた。走るのをやめると背後からの靴音も小さくなった。走る体力はなかったが、できるだけ早足で歩いた。背後からの靴音は相変わらずズシズシッと聞こえてくる。

 一人なのが怖い。誰かの声が聞きたい。バッグを開けてスマホに手をかけた。この時間に電話できる相手は真中しか思い浮かばない。しかし真中も女性だし、呼び出して危険な目に合わすわけにはいかない。バッグから取り出しかけたスマホを元に戻した。

 神社の横道を抜けて右側に民家が見えてきた。もしもの時は民家に助けを求めようと思った時、背後からの靴音がまた激しくなってズシズシッと近づいてくる。愛美は力を振り絞りダッシュした。やはり真中に助けてもらうしかないと、息を切らしながらバッグからスマホを取り出し、着信履歴を開いてそのまま通話ボタンを押した。

 走りながらスマホを握りしめる。スマホから呼び出し音が流れている。左の耳で呼び出し音を聞きながら走り続けた。

「真中先輩助けて」

 息を切らしながら心のなかで叫んだ。スマホを握る手のひらは汗でびっしょびしょになっていた。

 その時、右の耳から誰かの着信音が聞こえてきた。左の耳にあてたスマホから呼び出し音が聞こえて、右の耳から着信音が聞こえてくる。

 そこで電話が繋がった。それと同時に右の耳に聞こえていた着信音も消えた。

「ハアハア、もしもし、時田です」

 受話器から時田の声が聞こえてきた。真中に電話したつもりが時田に繋がってしまった。

「えっ、時田さん?」

 なぜ時田に繋がったのだろう。

「はい、時田です」

 さっき時田から着信があったのを思い出した。そのまま履歴を確認せずに通話ボタンを押したので時田に繋がってしまったのだ。

「篠原さんですよね。どうかされましたか」

 間違って電話してしまったことを詫びなければいけないが、とりあえず知ってる声を聞いて、愛美はホッとした。

「こんな遅い時間にすいません。仕事場の先輩と間違って電話してしまいました」

 愛美は走るのをやめスマホを持ったまま頭を下げた。

「そうなんですか。すごく慌てているようですけど、どうかしましたか」

 時田の落ち着いた口調のおかげで愛美の気持ちも少し落ち着いた。

「え、えっとですね」

 少し悩んだが、このまま時田に事情を話すことにした。

「実は、帰りが遅くなって、今帰り道なんです」

「そうなんですか、もう十一時過ぎてますよ」

「はい。それで、駅からマンションへ向かって歩いて帰ってるんですけど、後ろから靴音が聞こえてきて、誰かにつけられてるみたいで、怖くなって電話してしまいました。すいません」

「誰かにつけられてるんですか」

「いや、そんな気がしただけなんですけど。わたしの勘違いかもしれません」

「それは、危ないな。今も誰かにつけられてるのですか」

 スマホを耳から離して辺りを見渡し耳をすませた。

「いえ、今は靴音は聞こえなくなりましたから、わたしが電話をしているのに気づいて逃げていったのかもしれません。それとも、わたしの勘違いだったのかもしれません」

「そうですか」

「勘違いだったかもしれないんですが、怖くて慌ててしまって、電話してしまいました。遅い時間に本当に申し訳ありません」

「いえ、私を頼ってくれて嬉しいですよ。じゃあ、今からそっちに向かいます」

「えっ、でも、それは申し訳ないです。それにもう大丈夫みたいですし」

「いや、油断してはダメですよ。誰かが篠原さんをどこかで、じっと見ているかもしれません。篠原さんの隙を狙っていますよ。まずは私が到着するまで、安全な場所で待っていて下さい」

「えっ、は、はい、わ、わかりました。どこで待ってればいいでしょうか」

「そうですね、まず、今歩いてる道は暗くて人通りも少ないですから、西側の広い道路に出てください」

「えっ、今歩いてる道ですか」

「はい」

「な、なぜ、わたしが今歩いてる道が暗くて人通りがないとわかったんですか」

「あっ、あー、えっと、篠原さんが誰かにつけられてると言うので、たぶんそうだろうなと思っただけですよ」

「そ、そうですか」

「それから、道路に出たら、この間の帰りに寄ったコンビニがありましたよね」

「はい、ガソリンスタンドの隣のコンビニですね」

「はい、そこで待ち合わせしましょう。コンビニの駐車場で待っていてください。そこなら安全でしょう。すぐにそちらに向かいます」

「わ、わかりました」

 今から時田に会うことに躊躇いはしたが、自分から電話をしておいて、断ってそのまま帰るわけにはいかなくなった。このまま時田に甘えることにしよう。

 電話を切って、目の前の角を右へ曲がった。一段と狭くて暗い道になったが背後からの靴音は聞こえなくなっていた。広い道路に出るまで走った。こんなに走ったのは学生の時以来だろう。

 ガソリンスタンドの看板が見えてきた。ガソリンスタンドはすでに閉まっていて明かりは消えている。隣のコンビニの看板の明かりが見えたところで走るのをやめた。コンビニの看板を見て「ハァー」と長い息を吐いた。

 背後からの靴音が聞こえなくなったことにホッとしたが、時田には申し訳ないが、今から時田に会うことに憂鬱な気分になった。



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