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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの日の約束は…

作者: 九八

「ハァ、ハァ、ハァ」

月の無い夜、漆黒に染められた木々の隙間に息を切らしながら走る一人の男がいた。男は先の戦で敗れた武士の一人であり今は敵の追手から逃げている真っ只中なのである。

「ハァ、ハァこのままではいずれ捕まってしまう」

もしここで捕まったら男は確実に殺されてしまうだろう。男は走りながらも必死に辺りを見回して追手から逃げられる場所を探した。

「こっちへ、おいで」

そんなとき不思議な声が聞こえてきた。くぐもっているようでありながらハッキリと理解できる声。

「今の声はいったい……。得体は知れぬが私を助けようとしていることは不思議と理解できる」

妖怪か、なにかだろうか。正体はわからぬが命さえ助かるのならなんだっていい。

そう考えたときにはもう男の足は自然と声の出どころへと向かっていた。



声の出どころへ向かってしばらく進んでみると小さな泉にあたった。泉を回り込んで更に進もうとした男の耳に今一度あの不思議な声が届いた。

「こっちへ、おいで」

その声は確かに目の前の泉から聞こえてきた。ということは声の主はこの泉の中にいる。やはり妖怪の類であったか。

だが、しかしこの声の主は男のことを助けようという意志があるように思う。

夜闇の中の泉は奈落の底か冥府にでも繋がっているのかと見紛うほどに深い暗闇に染まっている。自然、男は身震いした。

だが男は自身が助かるには目の前の泉に飛び込むしかないと確信があった。

「えぇい、ままよ!」

男は覚悟を持って目の前の泉に飛び込んだ。

飛び込んだ先の泉は深く暗い。甲冑を着た身では一度沈んだら二度と戻っては来れぬであろう。やはり飛び込んだのは失敗だったかと後悔していたとき、男は気づいた。

「息が、できる」

男は泉の中でありながら自然と呼吸ができていたのである。困惑している男の目の前で更にもう一つ不思議なことが起こった。突如泉の水が一箇所へと流れ始め人の形を取り始めた。その、人らしき水流の顔の部分は不明瞭な見た目に反し明確な意志を持って男を見つめていた。それを見た男は声の主やこの不可思議な呼吸がすべて目の前の存在の仕業だと理解した。そして気づいてしまった。今、自分の命は目の前の得体のしれない妖怪に握られていることに。

「ど、どうか命だけは!命だけは助けてくれ!それ以外だったら何でもする!何でもするから!」

「だったら、私を貴方の嫁にしてくれる?」

「へ」

男が恐怖のうちに放った命乞いは驚いたことに目の前の妖怪へと届いたようだ。妖怪の真意は図りかねるが命を助けてくれると言うなら吝かではない。

「わ、わかった!嫁にでもなんでもする!」

「それじゃあ、次の月の無い夜に私を迎えに来て」

「つ、次の新月の夜だな!わかった!」

「絶対来てよ。待ってるから」

その言葉を最後に男の意識は深く沈み起きたときには泉のほとりで寝ていた。

ハッキリと記憶の中にある妖怪との約束を思い出し男は後悔した。得体のしれないものとの約束は恐怖以外の何ものでもない。

「次の新月までにはなにかしなければ」

男は決意のもと自らの屋敷へと歩を進めた。



新月の夜、ある屋敷には刀に槍、その他多様な武器で武装した得体のしれぬ集団がいた。この者たちは妖祓いの一族。屋敷の主人に雇われてこれからある妖怪の討伐へと向かうところである。

「長殿、本当にこれであの妖怪を討てるのですか」

「心配御無用、我々は幾度も妖怪共を屠ってきた。今更妖怪ごときに遅れは取りませぬ」

自信満々に言い切る長と呼ばれた男の後ろでビクビクと怯えた様子の男は誰あろう、あのとき逃げ帰った武士である。

武士の男は妖怪との約束を破るのみならず、その妖怪を討とうというのだ。

「これから我々は件の泉へと赴く。安心して屋敷の中で待っているが良い」

「わかった。頼んだぞ」

そう言い残した男は屋敷に中へと入っていった。

「……雲行きが怪しい、何も起きなければいいが」

長の言葉を聞くことはなく。


屋敷の中は雨戸も締め切った暗闇だった。万が一を考え長から灯りをつけるなと言われていたからだ。

暗闇は人を不安にさせる。男もその例に漏れず不安を感じていた。

「本当に大丈夫であろうか」

不安を紛らわすため

「あの妖怪は簡単に倒せるようには見えなかったが」

声に出して考える

「きっと大丈夫であろう」

気を紛らわすため

「あれ程自信よく言っていたのだ」

自分の声を聞く

「大丈夫」

こうして少し余裕の生まれた男は周りの音も聞こえるようになった。

「雨が降っているのか」

いつ降り出したのだろうか、いつの間にか部屋の中には雨音が満ちていた。雨音を聞いていると男の心も自然と落ち着いてきた。

「そういえば、昔から雨は好きだったな。幼い頃は雨を嫌がていたが、ある日を境に急に雨が好きになったと母上は言っていたな」

こうして昔を懐かしめるほどに余裕を得た男は自然と妖怪と妖祓いの戦いについて思いを馳せた。

「あれ程の人数だったのだ順調に行ったのであればそろそろ帰ってきても良い頃だが……一度外に出てみるか」

そう考えた男は傘を持ち実際に外へと出ることにした。


外は土砂降りで月がないことも相まってかなり視界が悪い。それでも男は件の泉の方へと視線を向け続け妖祓いが帰ってくるのを待っていた。

「帰ってきたか!」

泉の方角の森の中から妖祓いらしき人影が見えた。

急いで男は人影の方へと駆け寄ってことの顛末を聞こうとしたが――しかしそれは叶わなかった。

「し、死んでる」

妖祓いの長であったそれは既に物言わぬ人形のようになって事切れていた。

その瞬間今の今まで感じでいた余裕などゆうに吹き飛んだ。

「妖祓いはあの妖怪にやられたのか!」

男は外へ出てきたことを今更ながらに後悔した。

そしてこの場にいてはいけないことにも気づいた男は一心不乱に走り始めた。

「とにかく家の中へ逃げなければ」

そう呟こうとした男の声は途中で藻掻くような声になり、ゴツンと雨戸に硬いものが当たった音がした。

以降その場には水が跳ねる音だけが聞こえるようになった。

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