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フラグ57 灯り

いつからだろう「普通」が嫌になったのは。



俺は小学1年生の時から兄の影響もあり野球を始めた。最初は捕って、投げて、打って、走る、野球の全てがただ楽しくて続け、1年経ち2年生になった頃、父親の指導がきつすぎて野球を辞めると家族に言った。

2年生まで同学年も年下もチームに入ってこなかったため、キャッチボールは父親とやり、父は小学2年生の俺相手に全力投球で投げてきて捕れなかったら怒られ、暴投を投げたら怒られの繰り返しでそんな野球が嫌になっていた。

そんな話をして親がいなくなってから兄がこう言った。

「本当にそれでいいの?」


俺は昔から負けず嫌いでボールが捕れなくて泣いていることも多かった。その負けず嫌いのせいかその言葉で再び野球を続け、毎日のように母親が練習に付き合ってくれた。

母は野球、ソフトボールの経験がなく、キャッチボールをしても胸の高さ付近しか捕ってくれなく、コントロールの良さはこの母とのキャッチボールから生まれたのだと思う。ノックもやってくれたし、家の庭にゲージも作ってくれて毎日のようにティー打撃の練習もしてくれた。

父親はというと単身赴任ということもあったのか俺が辞めると言ったからかわからないがあまり野球に関して口出しをしなくなっていた。

そして、3年生に上がった頃にはファーストでレギュラーを取り、上級生と一緒に試合に出場し、下級生組にも混じっての試合にも出場していた。ちなみに初めてペット、ハムちゃんを飼ったのもこの時期であった。

そして、学校では学級委員に立候補しクラスをまとめ、とにかく俺はどんなことに対してもいちばんじゃなきゃ嫌だった。そして、やりたいと思ったことだったら何も考えずになんでもやった。

また、他の習い事として水泳と塾にも通い、月曜と木曜には塾、火曜には水泳、土日には野球と忙しない日々を送っていたが、それでも楽しく過ごしてあっという間に5年生になっていた。


5年生になってからすぐにローちゃんと出会い、運を運んできてくれたのかそれからバッティングの才能が開花し、守備に関してもエラーすることは無くなっていた。また、クリーンナップを打ち、完全に6年生を食うほど一番上手くなり、俺より上手いやつはいないんじゃないか、プロになれるんじゃないか、そう思っていた。

また、父親が単身赴任から帰ってきて、野球チームのスコアラー兼コーチをやっていた。

たが、小2のことがあってからか父親は優しくなり、俺を信じて練習に付き合ったりしてくれた。

ある試合で監督に怒られた時、父親からこんなことを言われた。

「たかとのことは俺がいちばんわかってるから監督の言ってることなんて聞くな。全部聞き流せ、たかとはたかとの思った通りにプレーすればいい」

この言葉で自信がつき、プレーのそのものに集中できるようになった反面、俺様度が増し、自分がいちばん正しく大人のいうことはあまり聞かなくなった。


そして5年生が終わろうとしていた3月、ハムちゃんが亡くなり大泣きしてお別れをし、迎えた6年生。野球チームではキャプテンとなりチームを引っ張り、打っては3割越え、足も速く、守備ではエラーした記憶もないほど大活躍していた。

そして学校では、男女問わずのクラスの人気者で前に出ることが好きだった。6年間通してもカーストでは常に1軍にいるのと運動神経もよかったためモテていたとは言わないが、それなりに女子の友達も多かったしもちろん男子の友達も多かった。

夢はプロ野球選手で日本代表になる。

そう、俺は完全な主人公だった。


一度だけ学年のマドンナ的存在とこんなこともあった。あれは席替えの時。

「席替えをしますので一旦仲良い友達と2人1組を作ってください男女でも構いません」

(男女でもいいなら誰でも、まあ誰かしら誘ってくるから待ってるか)

「たかとー!一緒になろう!」

(まじか!)

「いいよー」

小学生だからかそんな恋愛感情はないと思うが女の子の方から席一緒になろうと誘ってきたのだ。特に周りを気にしていなかったが、優越感に浸っていた。

当然席も隣になり、班も一緒で、さすがにこの時はこの子俺に気があるんじゃないかと思った。

こんな嬉しいことがあったのだが、この小学6年生の時からなにかの歯車が狂い始めていた。


野球ではこの頃から野球が上手くなりすぎたせいか、全力出さなくても活躍できることを知ってしまったためサボり癖がついてしまっていた。疲れるからこのくらいでいいか、別に全力でやらなくても俺より上手いやつはいない。そう思い始めていた。

勝ちたい意欲が増し、練習でも試合でもチームメイトに罵声を浴びせていた。あの頃の俺は誰かに嫌われるだなんて思ってもみなかった。

そして、その頃は何も分からなかったが、大切な何かを失い始めていた。


学校ではある事がきっかけで友達と呼べる存在が少しずつ減っているのを感じた。

それは友達4人が俺ん家に遊びに来た時だった。

「ゲームも飽きたなーなんか遊ぶ道具ある?」

「んーバドミントンならあるけど」

「みんなでできるしやってみるか!」

公園までは少し遠いので家の外に出てやることになったのだが、母親から隣の家の車も置いてあるから当たらないように気をつけてと言われ、それをちゃんと守ろうとしたことで言ってはいけないことを友達に言ってしまった。

みんなで楽しんでやっていたのだが、何回注意しても車にラケットが当たりそうになったので

「おい!気をつけろっていってんだろ!何回言えばいいんだよ!分かれよ!バカ!」

「ご、ごめん」

最悪な空気になってしまった。

当時は子供だから俺が絶対正しいと思い謝りもしなかった。


数日後、また遊ぶ約束をしたのだが、帰り道で急に友達が俺の家ではなく別の友達の家で遊ぼうと言い出し、素直に受け入れればよかったものの意固地になり、俺は行ったら負けと思い、ずっと自分の家で待っていた。当然誰も俺の家には来ず、母親にも友達が遊びに来ると言っていたので恥ずかしさなのか負けた気がしたのかその時は泣いてしまっていた。そして、友達、人を信じられなくなり始めていた。

俺の家に来たがらなかったのはおそらく、前回のことが頭に残っていたのだろう。

どう考えても当時の俺が悪いのだが、意固地になってその子の家には行かなかったのと次の日になぜ俺の家に来なかったのかを問い詰めてしまい、逆になんで来なかったのかと言われ、頭にきたが、けんかするのもめんどくさくなったためうやむやになった。

それからはあまり遊びにも誘われなくなり、少しずつ寂しさと孤独を感じ始めていた。


学校ではそんなことがあったのだが、野球では自分のチームと並行して地区選抜にも選ばれ、そこでもレギュラーでクリーンナップを打っていた。ずっと野球を続けていたせいか野球が上手かったせいか少しだけ有名な選手になっており、地区選抜の中でも群を抜いて野球が上手かった。

たぶんこの時が一番自分の実力を出せて楽しく野球をやっていた頃だ。


そして、季節は巡り、少年野球も終わりに近づいていたある日の練習試合。ホームランを打った後、ちょうどシニアチームのコーチが見に来ていてうちのチームに来ないかとスカウトされた。

俺はその時、答えが出せず一度練習に参加させてもらうこととなった。


体験練習当日、少しの緊張と目立ってやるという闘争心を胸に意気込んで参加した。

しかし、最初のアップでかなり走るので、その時点でへとへとになり、ノックでは慣れない硬式で上手く捕れず、フリー打撃ではバットの芯に当たっても飛ばず、純粋に力の差と体力の差を感じた。そして、何か違和感を感じていた。

体験練習後はここなら全力が出せて高校野球の前に硬式に慣れることも出来ると思い、入団しようとしていた。

中学ではシニアに入って野球をするか部活に入って野球をするかどちらかしかない。

そのため少し経ってから母親と話をした。


「たかとどうするの?シニアにいくの?」

「うん」

「ほんとに?」

「なんで?」

うちの母親は俺が息子がやりたいと言ったことは全て受けいれてくれたので変だなと小学生ながら思った。

「かーさんは中学野球、部活の方がいいと思うな。同じ地域の仲間と切磋琢磨してやってそっちの方が楽しいと思うよ」

「うーん」

「それとあそこのシニア評判も悪いし、にいちゃんの高校の部活の子だって軟式上がりだって大勢いるし実際その子がキャプテンやってたし、部活でいちばん目指してもいいと思うよ」

「うん、じゃあ部活にする」

その頃は反抗期も来ていないし、いつだって母親が言うことは正しかったしにいちゃんを追いたいという気持ちがあったため俺はあまり考えずに返答した。


そんなこともあって中学では野球部に入った。もちろん同じ小学校のやつらもいたが、別の小学校の子もいたのでどんな子がいるのか自分より上手い子はいるのかワクワクしながら入部した。

たが、中学でも俺より上手いやつはおらず、体格の違いはあれど先輩含め俺より上手いやつはいなかった。

1年生から試合に出場し、上の代で試合に出場しているのは俺しかいなかった。

そして、中学で思春期を迎えた俺は母親との練習も次第にしなくなっていき、反抗もするようになっていた。

毎日部活もあるし、事実上毎日練習はしている。塾も行っているし時間が無い。そう言い聞かせ、言い訳をして家に帰ってからの練習はおろか、素振りさえしなくなった。


部活では先輩とはぶつかることのなく、1つ上の代が引退する頃に1つ上の代の全員の人からの指名で中学でも俺がキャプテンをやることになっていた。

「俺がキャプテンになったからには勝ちにこだわるのでよろしくお願いします!」

自分の代になって初めての部活で俺はそう言い放った。


その頃はまだサボり癖はついていても野球に対する熱い気持ちは残っていた。勝ちたいとにかく勝ちたい。弱小野球部をどうにか自分の力で強くしたい、最初はその一心だった。

始めはみんなついてきてくれていた。いくつかのグループに別れていたが、和気あいあいと部活をやって、部活が終わったら家が近い友達と帰ったりもしていた。寄り道をしたり、帰り道ふざけあったりどこにでもいる田舎の中学生だった。

だが、田舎の野球部であり、弱小だったチームには野球が上手くない人や初心者が集まり、守備ではエラーの連発、打撃では全く打てない、顧問がいなければ真面目に練習をやらない、そういう連中が集まっていた。

また、小学生の時は強いチームでやっていたこともあってか試合に勝てないことに対してだんだんストレスも溜まっていた。

そんな中、ストライクが入るという理由で俺はピッチャーをやり、エースとなり、もちろん4番にもなっていた。

キャプテンでエースで4番と部内であらゆる地位を得た思春期の男子中学生がやることは地位をふりかざしてイキリちらかすことだった。親に対するストレス、部活でのストレスを全て同級生にぶつけていた。

真面目にやらないやつにはボールをぶつけたり、蹴ったり殴ったりもしていた。もちろん罵声も浴びせていたし、知らない間に野球をストレス解消の道具としてやっていた。

そんなやつが好かれる訳もなく、次第に省かれていき孤立していった。

最終的には同級生が15人もいて、エースはだいたいキャッチャーとキャッチボールをするが、俺は下級生とキャッチボールをし、完全に孤立していった。

実際、自業自得だったが、好きでやっていた野球の熱量がどんどん冷めていくのを感じた。


好きを突き詰めた先には孤独しか無く誰もついてきてくれなかった。

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