不穏な影
Rは屋上へ続く階段を駆け上がっていた。そして階段の突き当たりにあるドアを開けて屋上に出る。Aはまだ来ていなかった。
「屋上ついたよ」
通信機のボタンを押して呼び掛けると、一瞬の間の後に『ぐあっ!』とAの悲鳴が聞こえてきた。それと同時に、ドガッとなにかに衝突する音も聞こえた。
「A!? A! 返事して!!」
必死に叫ぶが、もう雑音すら聞こえない。Rはすぐに踵をかえし、階段を駆け下りた。
壁に背中を強打したAは動けずにいた。通信機を踏み潰した男は粉々になった通信機とAを蔑んだ目で交互に見ていた。
「――フン。最近街を騒がし始めていた怪盗Aがこんな小物だとはな。まあ、我々の計画に邪魔なのは変わりねえが」
(計画?)
Aが内心首を傾げたとき「息止めて!」と何処からかRの声が聞こえた。
Aが咄嗟に息を大きく吸って止めると、小さな赤いボールが飛んできて男の頭に当たった。ボールが割れ、中に入っていたガスが男に降りかかる。
Aはそのボールを見たことがあった。このビルに忍び込む前、目くらましだと言ってRに渡した催眠弾だ。熊でも吸い込めば三十分は寝ているくらいの強力なものだ。
「A、大丈夫?」
Rもそれでホッとしたのか、倒れた男を気にせずにAに近寄る。
「ああ……なんとかな」
ようやく感覚が戻ってきた体を起こしたとき――Aは目を見張った。Rは確かに催眠弾を男に直撃させたはずだ。そして男は催眠ガスを吸ったはずだ。しかし、男はゆらりと起き上がっていた。そしてRに拳を振り下ろす――!
「避けろ!」
Aは叫ぶと共にRの腕を引っ張って床に引き倒した。男の拳がRの頭上を通過する。
「な、なんで……」
Rが呆然と呟く。その頬にスッと血が流れた。
「R! R、大丈夫か!?」
慌てて起き上がったAはRに尋ねた。Rは何も言わずに頬に垂れた血を拭った。
「大丈夫。頭に小さい切り傷ができた程度よ。風圧で切れたってことね。面白いじゃない」
「お、面白いって、お前なぁ」
Aが呆れると、Rはフッと笑った。
「私の拳でも風圧だけじゃ何ともないわ。コイツは只者じゃないってわかったから面白いのよ」
「お前、若干サイコなとこあるよな……」
ため息をつくAをよそに、Rは空手の構えをとった。男も構えをとる。
一気に周りの空気ががピリピリし始めた。緊張感が急激に高まっていく。
先に動いたのはRだった。流れるような動きで男の腹に拳を当てようとする。男はそれを左手で受け止め、右足で蹴りを放った。Rは左腕でガードしたが、ガードごと吹っ飛ばされた。着地したRは猛追撃する男を抑えようと必死で拳や蹴りを放つが、当たらないどころか男の攻撃で吹っ飛ばされるばかりだ。
「くそっ!」
見ていられなくなったAは急に男に飛び掛かった。男の死角に飛び込み、軸足裏に蹴りを食らわせる。流石の男もバランスを崩した。
「R!」
Aの意図を瞬時に察したRはウエストバッグからメジャーのような器具を取り出し、ボタンを押した。ワイヤーが発射され、天井についている蛍光灯に引っ掛かる。再びボタンを押して蛍光灯にぶら下がったRは着地すると、男に向かってワイヤーを放った。ワイヤーが何重にも男の体に巻き付き、男が目を見開く。
「行っけぇぇぇぇ!!」
Aの叫びとともにワイヤーを巻き取ったRが一気に男に近づき、その腹に膝蹴りを沈める。
「がはっ……」
男は数歩ふらついたかと思うと仰向けに倒れた。
「……倒したか?」
「今度こそ大丈夫そうね」
男が完全に気絶していることを確認したRがうなずいた。そして立ち上がり、ワイヤーを男の体から外す。
「随分時間くったな。もう三時半だ。逃げるぞ」
「OK」
腕時計を見たAが走り出すと、Rもそれに続いた。
二人が去って数分後。男が倒れている廊下に三つの人影が現れた。一人は短髪にレザージャケットを着たガタイのいい男。一人は長い銀髪をまとめた気の強そうな女。一人は焦げ茶色のくせっ毛にパソコンを抱えて眼鏡をかけた小柄な男だ。
三人は倒れている男に近づいた。
「やっぱり、こんな奴じゃだめか……」
ガタイのいい男は舌打ちをした。
「まあ、はなからこんな奴に期待なんかしてねーけどな」とせせら笑う。
「今日はただの様子見だ」
「あれくらい鈍いんなら、アタシの早撃ちで一発よ」
銀髪の女は笑みを浮かべた。
「あれは本気じゃないかも。データは取れたから後分析する」
小柄な男が言うと、銀髪の女はフンと鼻で笑い、肩に掛けていた縦長のケースを背負い直した。
「まあいいわ。警察も来そうだし、ここ離れるわよ」
銀髪の女は髪をなびかせながら廊下を歩いていき、ずっとパソコンを操作していた男とガタイのいい男は女の後について行った。
屋上に出たAはスマホを取り出し、メールを打ち出した。
「何やってるの?」
Rがスマホを覗き込む。
「警察に連絡してんだ。警備員を逮捕してもらうためにな。盗品の宝石がこのビルにあると分かれば、動かないわけないだろ? すぐにここの社長もお縄になるだろ」
そこまで言ったAは、ビルの前に黒いベンツが停まっていることに気づいた。(なんだあの車……?)と見ていると、ビルから人が三人出てきた。あいにく街灯などはなく、男女の区別すらつかない。その三人はベンツに乗り込むと、出発していった。
「相賀……? どうしたの?」
Rが尋ねると、考えに耽っていたAはハッとした。
「……いや、何でもない。行くぞ」
スマホをポケットにしまったAはワイヤーをビルの隣の民家の屋根に引っ掛け、ワイヤーを巻き取って飛び移っていった。Rはどこか上の空のAを訝しく思いながらもAを追い掛けた。
「イッ……」
アジトに帰った相賀は瑠奈に手当てをしてもらっていた。切り傷のできた頬に絆創膏を貼られ、頭に包帯を巻いた相賀は、額に絆創膏を貼った瑠奈を見た。
「……瑠奈、本当に怪盗をやるか?」
「え?」
救急箱に道具を片付けていた瑠奈は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「だってこんな怪我したしさ……もしかしたらこれからもっと危険な目に遭うかもしれないだろ……? だから……身を引くなら今のうちだぞ」
「……なんか、相賀らしくないね」
瑠奈の言葉に、相賀は目を見開いた。
「あのなあ、せっかく人が心配してやってんのに――」
「私は大丈夫。続けるに決まってるじゃない。こんな面白い夜、今までなかったし」
半ギレした相賀を遮った瑠奈はハッキリと言い放った。
しばらく瑠奈を見つめていた相賀はハァ……とため息をついた。
「……言うと思った。だからお前を誘ったんだ。よろしくな、怪盗R。俺の相棒」
瑠奈は差し出された相賀の手を握ってにっこり笑った。
「こちらこそよろしくね、怪盗A。私の相棒!」
こうしてここに、怪盗Rと怪盗Aという怪盗コンビが生まれた。
少し、時は遡る。
少年は立ち尽くしていた。目の前には、変わり果てた姿の男女三人が倒れている。真ん中に倒れている男の子はまだ二歳くらいだ。
「父さん……母さん……風斗……」
少年は呟きながら数歩後退った。背後のクリスマスツリーに衝突し、飾りがバラバラと床に落ちる。しかし少年は、そんなことは気にせずその場にうずくまった。
「うわあああああああ……!!!」
少年の絶叫はシンとした家に虚しく響き渡った――。