68 「寵愛の影響」
学生寮の前に到着すると、先生はいつものようにあっさり「お休み」とだけ言って帰るつもりだったみたい。
だけど私はそれを制止する。両手で先生のごつごつとした、たくましい大きな手を握り締めて、私は懇願した。
「卒業するまで、という約束なのはわかってます。でも、今だけは……。ごめんなさい、今この瞬間だけでいいから。ほんの一瞬でもいいんで、抱き締めて……欲しい……」
無理なお願いだとわかっている。
断られる可能性の方が高いのはわかってるけど、これから私は最も会いたくない人物と会って、向き合わないといけないから。
だから、私が愛されているという証が欲しかった。
それが例え【寵愛】の効果によるものだったとしても、先生の温もりを全身で感じることが出来たなら。
きっと私はそれだけで、どんなものにも立ち向かえる勇気を得られると信じている。
だから、お願いします……。
強く抱き締めてください。
無理ならせめて、愛してるという言葉だけでも構わないから。
今、レイス先生が愛しているのはリンではなく私なんだと、そう安心させて欲しい……!
手に汗をたくさんかきながら、情けなくもわずかに震えている私に、先生はあからさまに大きなため息をつくと、その長い両腕を私の背中に回して抱き締めてくれた。
あまりの嬉しさに私は羞恥心も忘れて、応えてくれた先生の背中に自分の両腕を回す。
けれど体格差もあってか、私の両腕は鍛え上げられた男性の背中に手が届くだけで精一杯だ。
私の短い腕じゃ先生を包み込むことが出来なくて、すっかり諦めて背中ではなくお腹周りにしがみつくように腕を回した。
今度は両腕一杯に、余すことなく先生を包み込むことが出来た。一瞬だけでもいいって言ったけど、あれは嘘だ。ずっとこうしていたくなる。
気付けば長く抱き締めてくれた先生だけど、想定よりも長く離れようとしないので、求めた本人が訝しんでしまう。
「えっと、あの……、先生?」
「お前が悪い」
えっ、何が?
私そんなに先生が嫌がることを要求してました?
本当はハグしたくなかったとか、そんな悲しいこと言わないですよね!?
「わかってないんだな」
「あの、ですから……何が……」
「これでも俺は男なんだぞ。そんな風に求められて、本当に抱き締めるだけで済むんだと思っているなら、お前は男を知らな過ぎだ」
えっ、えええ??
それは、その、つまり、そういうことですか?
先生も……、興奮しちゃったりするってことですか?
「えと……、そう言われると……。やっぱり何一つ求めたらいけないってことになります、よね? わ、私だってこれでも色々と我慢とかして……っ!!?」
最後まで言わせてもらえなかった。
先生の少しカサついた唇が、私の言葉を遮る。
「……こういうことになる。わかったら反省して……、もう寝ろ!」
片手で口元を隠しながら、珍しく真っ赤になったレイス先生がそれだけ言い残すと、慌てるように走って帰ってしまった。
相変わらず先生が慌てて走り去る背中をこうして見送るのは、なんだかとても妙な哀愁を感じてしまうというか、なんというか。
そんなことより、……え?
……は?
ちょ、待って。私、今……先生に何をされた?
先生がしていたように、私もまた片手で口元を確認するように覆って、そして指先でそっと自分の唇に触れながら思い出す。
確かにこの唇に触れていた。
これ、夢じゃないよね。実は気を失ってて自分に都合のいい夢を見てましたなんてオチ、ないわよね?
だとしたら私、あのレイス先生と……キス、した……?
唇の感触を思い出したら、一気に血が昇った。
信じられないという気持ちと、嬉しいという気持ちとがごちゃ混ぜになって、さっきまで憂鬱だった気分が嘘のようで。
まるで私の頭の中で雪崩が起きて、それがこれまでの不安や心配事とかを全部、どこかへ流して消えていったような感覚だった。
確かに愛情の証が欲しいとは言った。
でも、これはさすがに……。
「効果てきめんが、過ぎますよ……。先生……」
今の私なら割と本気で、リンとしっかり向き合えそうな気がした。
***
先生を見送ってから、私は『ステルス』を使ってこっそりと学生寮に入った。
実は今朝、すでに仕込みはしてあった。放課後に学園長から呼び出しを食らっているので、夕食は職員寮にある食堂で済ませてくるから、私の分の夕食は残しておかなくていいって。
帰りもいつになるかわからないから、先生に送ってもらうことになっている。だから心配しないで、みんなは先に寝ていてね、という風に。
これをしっかりウィルに言っておいた。
他の誰でもない、ウィルに!
サラやルークだと別の意味でこじれそうだし、エドガーは無駄に文句を言ってきそうで時間を無駄にしたくなかった。
その点ウィルなら素直で聞き分けが良くて優等生だから、ウィルの言うことなら一部を除いて信用するに決まってる。
思った通りで、一階は人の気配がしない。実はみんなで帰りを待っていました……なんてオチはなさそうだ。
油断しないようにゆっくりと、私は自分の部屋へ無事に到着することが出来た。
さて、学園長のところで号泣しながらあるがまま全部吐き出したこともあって、随分と疲れた。
今なら秒で寝る自信あるわ。でもその前にやっておかないといけないことがあるから、忘れない内にやってしまわないと!
学園長に言われた通り、恐らくレオンハルトによってロックされていた部分をチェックしないといけない。
ステータスを出して、ライブラリのところにある……っと、これだこれだ。
いつからあったのか、『先代魔王リンからのメッセージ』を調べておかないといけない。
その項目を選択すると、『先代魔王リンからのメッセージ』という部分の文字が細かい光となって、触れていた指先に吸い込まれるように体の中に入っていく。
だけど特に異常とか、感触があるわけでもなく、吸い込んだことによって体調が悪くなることもない。本当にさっぱり、何ともなかった。
多分、今のエフェクトが「解放した」……という証拠なのかもしれない。これでこのまま眠りにつけば、私の夢の中にリンが登場するってわけね。
何だか少しドキドキする。
まさか先生の取り合いで修羅場になったり、取っ組み合いのケンカになったりしなければいいんだけど……。
明らかに私なんかより、リンの方が強いに決まってるもん。
さて、寝る前にもうひとつ。アンロックされた気になる情報をチェックしないといけない。
それは【寵愛】の説明文のところだ。なぜか一部分だけロックされてて読めなかった箇所。
それを見てから眠りにつこうと思ってた。
えっと、最重要項目? なんだか随分と物々しいわね。
【寵愛】はあらゆる者全てに影響を与えるものだが、例外もある。それは同じく【寵愛】のステータスを保有する者、そして【寵愛】のステータスを保有する本人がただ一人愛する者、これらには【寵愛】の影響が一切通用しなくなるので注意が必要である。
……ん?
なに? どうゆうこと?
えっと……、例外のところにある前者は、もちろん聖女であるサラのことよね? 魔王、神、聖女しか保有してないんだから。
もちろん私が私に【寵愛】の影響が出るはずもない。
ということはこの後者って……。
保有する本人は、つまり私のことよね。それでその私がただ一人愛する者……といえば、まぁレイス先生しかいないわけですけれど?
『これらには【寵愛】の影響が一切通用しなくなるので注意が必要である』
その……、つまり……、レイス先生だけは初めから【寵愛】の影響が一切なかったって、そういう意味でいいのかな?
ようするに、私が大好きなレイス先生だけは初めから【寵愛】の影響が一切なかったってこと?
レイス先生だけは、何の影響も無く、本当の意味で私に好意を抱いてくれていたってこと?
よ……、よかったああああ!
私はてっきり【寵愛】があるから、先生が優しくしてくれてるものだとばかり……っ!
レイス先生は本当に、自分の意思で私のことを好きになってくれてたんだ……っ!
やだ、何これ、過去一で嬉しいかもしれない。
もう思い残すことなんてないわ。だってレイス先生は本当に、心から私を大切に想ってくれてるってことがわかったから。
だから、今から会うリンに対しても、私は堂々としてられる。
寝る前にこれをチェックしてみてよかった。
よし、今の私ならもう怖くない!
先生の過去の想い人、リンに会いに行こう……!




