53 「最高のナポリタン」
私と先生は、さっきまで耳にしていた戦いの喧騒が嘘のように、静かな夜道を二人で歩いていた。
本来ならこういったシチュエーションは、恋愛モノでいうところの見せ場になるはずなのに、私がこんなどうしようもないオタクなせいでロマンチックのかけらもない形になってしまっている。
ドキドキしながら手をそっと繋ぐこともなければ、微笑ましくもくすぐったいイチャイチャした会話をすることもない、ただひたすら緊張の嵐で高熱を出したのかってくらい顔は真っ赤で、とにかく全身が火照っていた。
笑顔もぎこちなく、きっと引きつっていたと思う。
以前、先生に言われた言葉を思い出す。
『お前にとって、俺はそんなに怖い先生か?』という言葉を。
私のこの不審な態度が先生に誤解を与えている。
好きで好きで、好き過ぎて緊張しているだけなのに、それがかえって先生を不安にさせていた。
生徒に嫌われているかもしれない、なんて。
先生の場合は生徒に嫌われること前提の覚悟で、常に厳しく授業を行なっているんだろうけど。
それでも嫌われて嬉しい人間なんていない。
私は先生のことが大切で、ずっと笑顔でいてほしくて、幸せな気持ちでいてほしいって願っているのに。
そんな私が先生に心配させたり、不安にさせたり、迷惑かけたり、その顔から微笑みを奪っていた。
ーーこれまで通りじゃ、きっとダメなんだ。
私もいい加減、見直さないといけないかもしれない。
いつまでも「推しを見守るファン」でいるわけにはいかないかもしれないんだ。
ただのファンで、元ゲームプレイヤーで、背景でしかないモブだった私が、この世界で最も邪悪な存在……みんなを脅かす存在、魔王だと言われたからには。
それならそれで私の立ち位置だけじゃなく、私が起こす行動さえも物語に深く関わってくるかもしれない。
もう「ただのモブ」では、いられないんだ。
「モブディラン」
「あっ……、はい!」
「……お前はいつもそうやって考え事をしているのか?」
「え?」
「それとも俺が話しかけてくるのが、そんなに珍しくて驚かせているのか?」
「いや、そういうわけじゃ……っ! いえ、あの……。はい……考え事、してます……」
自分の本性を表に出せない分、心の中でものすごく喋り倒してます、はい……。
変わらなきゃ……、変えなくちゃ……!
「これから先生にどんなお説教されるのか、とか。何を食べさせてくれるんだろう、とか。考え事って言っても、案外つまんないことばっかり頭の中をぐるぐる回ってるだけですよ。本当に、大したことは考えてませんから。ただ……、先生といて緊張しているだけなんで……」
余計なことは言わなくていいの!
またこの間みたいに変なタイミングで告っちゃったりするかもしれないじゃない!
ていうか思い出しちゃった! 私、先生に告った後だったんだ!
演習襲撃で色々あったからちょっと忘れてた!
思い出したらまた恥ずかしくなってきたじゃない!
変わろうとしてたのに! 態度を改めようって心に誓ったばっかなのに!
「その話なんだが……」
先生も思い出したあああ!?
緊張しつつ先生がどんな反応しちゃったんだろうって見上げてみたら、先生ちょっとバツの悪そうな顔してる!
照れてる? 恥ずかしがってる? やだ、何それかわいい! それはそれでめっちゃツボ!
何言ってるんだあああ、私はあああ! 自制心だってばコンチクショウ!
「ここではなんだから、食後にな……」
蛇の生殺しっ!
でもそうよね、こんな場所で生徒の色恋の話をして誰かに聞かれてたら大変だもんね。
私のことじゃなく、むしろ教師である先生の安否が……。
それから先生は急に咳払いなんかしたりして、なんだか色んなものを誤魔化そうとしてるみたい。
いつもクールで大人で何事にも冷静に対処する先生が、すごく珍しい反応をするものだから変なことを考えてしまう。なんだ、先生も一人の人間なんだなって。ごく当たり前のことを。
そう思うとなんだか先生のことがすごく微笑ましい存在になって、私の中でほんの少しだけ緩いイメージを抱くようになった。
へへっ、そうか。先生だって動揺したり、恥ずかしくなったりするよね。
「何がそんなにおかしいんだ」
私が余りにもニヤついた表情をしていたせいか、ムスッとした口調で先生が言う。
不服そうな顔で見下ろす先生は歯噛みしてて、それがまた子供っぽくて笑えてしまう。
初めてかもしれないな、こんな風に一人の人間として先生と接するのは。
先生は最初から私のことを一人の人間として接してくれてたんだけど……、ファンってのはどうしても推しのことを別次元の存在として接してしまうからな。
いや、本来ここは別次元なんだろうけど。ややこしいな。
私達は職員寮に入って行く。
入り口のホールでは受付がいて、先生が事情を説明して私の入室を許可してもらった。
「食堂はこっちだ」
そう言われてついて行くと、社員食堂みたいな広い場所に入って行く。
明かりを付けてキッチンの方へ行った先生は、冷蔵庫を開けて何かないかなという風に中を覗き込んでいた。
横で私も一緒に覗き込むと、冷蔵庫の中はこれ以上ないほど十分な食材が入っている。
それでも先生は冷蔵庫の中身とにらめっこをするものだから、思わず私は口走った。
「あの、私が作りましょうか? 先生もお腹空いてますよね?」
「料理出来るのか」
「まぁ、多少は……ですけど。先生のお口に合うかどうかは」
「お前も疲れてるだろう、ここは俺が」
「いえ、適当なものをちゃちゃって作るだけなんで大丈夫ですよ」
珍しく私が譲らないものだから、先生は「すまんな」と言って、代わりにお湯を沸かしてお茶の準備をした。
お米さえあれば、本当にお手軽に美味しいものを出せたんだけど。ないものはしょうがない。それに仮にあったとしても炊飯からしていたら、時間がかかり過ぎる。
主食となりそうなものは小麦……、すでに保管してあるパンくらいか。
パスタを茹でるのもアリよね。
あ、なんか急にパスタ系が食べたくなってきた。
よし、それならナポリタンにしよう!
私はすぐに大鍋でお湯を沸かし、その間に材料を用意して下準備していく。
先生視点でいうと、かなり本格的に作り出したように映ったらしく、「そこまで気合い入れなくても、軽くでいいんだぞ」って心配そうに声をかけられたけど、私は「お腹ぺこぺこなんで」と返しといた。
本当は好きな人に初めての手作り料理を食べてもらうんだから、少しでも美味しいものを提供したかったというのが本音。
まぁこれまでろくなものを食べてきてなかったから、お腹ぺこぺこなのは本当なんだけどね。
パスタを茹で、材料の仕込みが終わったところで私は先生が入れてくれた紅茶を飲む。
先生が淹れてくれた紅茶!
濃っ!
先生……、これ分量は大丈夫ですか?
でもいいの! これは先生からの愛情の濃さと受け取っておきます!
自分がバカで本当によかった!
だだっ広い食堂で二人きりの食事をする。
ずるずるとナポリタンを食べる先生をおかずに、いや気持ち悪いことを考えるのはやめておこう。
私は多分にっこにこだったに違いないだろうな。
先生が咀嚼してる時に、私の方へ視線を送っては「?」な顔をしていたから。
それでも私はこれまで緊張の嵐だった自分と決別出来たような……。
そんな不思議な心の余裕が生まれてて、なんだかすごく心地良かった。
「美味い」
「えっ、本当ですか? ありがとうございます!」
そう言って先生は勢いよく平らげていく。
先生は普段、食事に関してはそれほど興味のない人だ。
とにかく「手軽に栄養が摂れたらそれでいい」みたいな感覚の人なので、こんな風に本当に美味しそうに食べている姿が見られるのは、めちゃくちゃレアなのかもしれない。
私は嬉しくなって、普段食べ飽きるほど食べてきたナポリタンのはずなのに、この日作ったナポリタンは今までの人生の中で最高傑作なんじゃないかってくらい、とても美味しく感じられた。




