114 「失敗」
サラの様子がおかしかったのは、一体いつから?
少なくともついさっき、私の命を救ってくれた時点ではサラ本人で間違いなかった。
先生に対する情熱をぶつけてきたことも、実は清純派なんかじゃなくて痛い推しへの愛が強かったことも。
私にさらけ出してたあのサラは、間違いなく私の知るサラだった。
本来の「ラヴィアンフルール物語」に登場していたヒロイン・サラというより、今この世界で私と推しへの愛を競い合っていたサラこそ――私が知ってるサラだ。
どこか虚ろとも取れる眼差し、ゾフィに似た歪んだ笑み。
聖女というにはあまりにも邪悪さが勝っている。
私は先生の腕を掴んだ。
ほとんど無意識に。
なんだろう、本能とでもいうんだろうか。
恐怖がそうさせた。
「サラ、じゃない。あなたは一体誰なの?」
私の言葉に先生もサラの異変に気付いたのか、みんなの視線がサラへと注目した。
すっくと立ち上がって、全ての者を見下すように仰ぐ。
途端――。
「えっ……!?」
暗転したかと思うと、目の前のサラだけがはっきりと目に映る。
周囲はまるでモノクロ写真のように、色が消えていた。
景色も、先生も……。
私とサラ以外、何もかもが。
動揺していると、サラがようやく口を開く。
いや、違う。
サラの外見を借りた、何者かが。
「E・モブディラン……。いいえ、坂本なぎこ……。あなたもまた、失敗だった」
感情が全くといっていいほど込められていない言葉で、サラが私の本名を口にした。
私はまたぎゅっと先生の腕を掴むけど、まるで石にでもなったみたいに先生が固まっててびくともしないことで再び恐怖が増す。
世界が硬直したように、時が止まっている。
私と、目の前の人物以外に……雲も、鳥さえも、静止画みたいに完全に止まっていた。
こんなことができるなんて、神様以外にあり得ない。
そんなバカみたいなことを頭に浮かべた瞬間、それがバカなことでもなんでもないことに気付く。
「女神、ナタリー?」
曰く、聖女は女神ナタリーと魂を共有する者だという。
曰く、世界樹の機能を存続させるには、聖女の肉体が必要だという。
曰く、世界樹という楔から解放し、聖女を再び復活させるにも器となる聖女の肉体が必要となる。
女神ナタリーの魂は、世界樹にあるはず。
いや、距離は関係ないっていうの?
どこにいても、聖女と女神の魂は共有されるというわけ?
Eの肉体に、邪神エルバの魂が宿ったみたいに?
「私の魂のひとかけらは、これまで何度も輪廻転生を繰り返してきたわ……。聖女としての役割をもって」
「魂のひとかけら……? ってことはつまり、聖女となる娘はみんな……女神ナタリーの転生した姿?」
魂の一部とか、生まれ変わりとか、もうなんでもありじゃない!
にわかには信じられないけど、でも今サラの身体を乗っ取っている人物は間違いなく女神ナタリーだ。
私の身体の奥底に存在しているエルバの魂が、なんだか騒がしい気がするもの。
でもどうして今さら女神ナタリーが?
一体何をする為に覚醒したっての?
「私が失敗って、どういうことよ……」
女神ナタリーを名乗るこいつは、私の本名を知ってる。
それはつまり、私がこの世界に転生してきた別世界の人間であることを知ってるってことだわ。
「この世界は不完全だった。それを正す為に、資格を有する者をこの世界に送り込んだ」
空を仰ぐ。
外見はサラそのものだけど、まるで別人……。
違うわね、まるで桁違いの力を秘めた化け物でも相手にしているみたい。
異質で、格が違い過ぎる。
全身の鳥肌がおさまらない。
「だけど、あなたでさえも失敗に終わった」
「資格とか、失敗だとか、勝手なことを言ってるけどさ! 私は別に何かを成し遂げなさいとか言われてこっちの世界に来たわけじゃないんですけど!?」
わけわかんないこと言い並べて、一方的に失敗扱いして!
こっちはわけもわからずEとして目覚めて、一生懸命こっちの世界での生活に慣れようと必死だったのよ!?
使命だとか、目的とかあるんだったらちゃんと提示しなさいよ!
どんなゲームでもあるでしょ、達成条件ってやつが!
「……あるキャラクターの破滅を回避させる為に、選ばれたというのに。それすらわからない?」
「なん、ですって?」
瞬時に、理解できた気がした。
まさかだと思う。
だけど、他に思い当たることが何もない。
「あなたはこの世界に転生したと理解した直後に、使命がわかっていたはず。自らそう仕向けるように、そういう人間を私は選んできた」
「……レイス・シュレディンガー先生の、破滅を回避……する為」
確かに。
間違いはない。
彼女の言ってることは、正しい。
私はここ「ラヴィアンフルール物語」というゲームに転生したんだとわかった瞬間に、すかさず誓ったことがあった。
それは誰に教えられたわけでもない。
自分から、進んで、そう決めた。
『私はこの世界の先生をベストエンドに導いてみせる!』
奇しくも、私自身がそう誓った……。
「だけど、でも……っ! だって……、じゃあ……失敗って一体どういうことなの!?」
まだ失敗したわけじゃない。
先生は無事だ。
ゲームのシナリオ通りには進んでない。
少なくとも、私の知ってるルートには進んでない!
まだ破滅するって決まったわけじゃない!
「レイス・シュレディンガーが破滅しない方法、それはこの世界を一度壊すしかない」
「……は?」
何よ、邪教信者みたいなセリフなんか言っちゃって。
この世界を壊す?
先生を救う為に?
それが破滅しない方法だっていうの?
「どうしてそうなるの!? あなたが何を言ってるのかまるでわからないわっ!?」
「この世界の因果律は、レイス・シュレディンガーの存在を否定している」
因果律?
何を言ってるのかわからない……。
原因と結果があったとして、それがどうして先生のことになるの!?
「あなたも知っているはず。ラヴィアンフルールの世界に生きるレイス・シュレディンガーは、決して報われることがない。破滅とまではいかなくとも、幸福になることは絶対にない。……存在しない」
絶対に、ない?
決して報われることが、ない?
そんな……。
どうして? なんで?
一体、先生が何をしたって言うの?
「遠い過去、女神ナタリーを愛した一人の男が世界樹を切り倒し救おうとした」
ナタリーが語る。
それは「ラヴィアンフルール物語」の中でも語られることはなかった、私の知らない話。
「神の怒りに触れたその男は、一生呪われることとなった。それが輪廻転生を繰り返し、その度に破滅し続けた不幸な男……。それが今、レイス・シュレディンガーという名を持つ男のこと……」
悲しそうな眼差しになった。
その目が、先生を見つめる。
慈愛にあふれた、初めて感情が込められた瞳。
「それが、レイス先生にハッピーエンドがない……理由?」
これがもうゲーム上での設定なのか、この世界であった出来事なのか、何もわからない。
あまりに話が大きくなりすぎて、私じゃ理解が追い付かない。
「でも、失敗って? それがわかった今なら、まだ方法が……っ」
「無駄よ。なぜなら、あなたがレイス・シュレディンガーのことを最高潮に思っていたラインを越えてしまったから」
「……え?」
再び冷たい眼差しに戻る。
その目はあまりに冷ややかで、まるで私のことを蔑むような、そんな侮蔑が込められていた。
「個人の愛情すら超える愛でなければ、彼は救えない。世界を壊せない」
私に向かって指を突き付け、そして棘のある言い方で続けた。
「あなたは女としてレイス・シュレディンガーを愛してしまった。それまで自分のことは二の次で、彼のことだけを思っていたあなたが……。今では彼と共にこの世界で生きたいと、そう思うようになっている」
淡々と述べる。
私の中に芽生えた真実を。
否定しようがない。
だって、本当にそう思い始めていたから……っ!
「そんな人間に、この世界は壊せない。彼ごと、ラヴィアンフルールを終わらせることなんて出来はしない。だから……、もうあなたはいらない」
女神ナタリーの指先から光の筋が発射された。
それはまるでレーザー光線みたいに、私の胸を貫く。
私は一瞬で命を絶たれたと、そう思った。
――目を覚ます。
閉じたまぶたを開けて、私は驚愕した。
いつか見た天井。
見覚えのある家具、机、段ボールの山。
ベッドの上で目覚めた私は茫然とした。
直後、悲鳴。
「いやああああっ!」
ここ、私の部屋だ……!
六畳の部屋に押し込めたパソコン機器、同人誌の新刊や在庫が入った段ボール箱。
ラヴィアンフルール物語のグッズ達。
「嘘、うそ、ウソ……っ!」
嘘だと言って?
誰か!
「戻ってきた? 元の世界に? 私、死んだんじゃなかったの!?」
死んで生まれ変わったんじゃなかったの?
なぎこは死んで、ラヴィアンフルール物語の中のEに転生したんじゃ……っ!?
「待って、これからどうなるの……? ラヴィアンフルールは邪教信者達に攻め落とされようとしてるのよ……? 先生は? サラ達は?」
どうして!?
これから一体、私はどうしたらいいの……っ!?




