閑話 狂人
平手政秀と由宇喜一は刀を構えたまま睨み合いを続けていた。
由宇喜一はあまりにも隙がない平手の立ち姿に攻める手立てがなく。
平手は、どうしたものかと悩んでいるが故に。
正直言えば、このまま平手が由宇喜一を斬り殺すのは容易いし、たとえ深手を負ったところで、帰蝶から万が一の時のためにと渡された阿伽陀(ポーション)がある。
勝つことはできる。
だが、状況が悪い。
誰も目撃者がいない今、平手が由宇を斬り殺せばいらぬ疑いを掛けられるかもしれない。平手が一方的に由宇を斬り殺したのではないかと。
無論、そんなことを本気で信じる者はいない。が、あの斯波義銀が無い頭を絞り出して騒ぎ出すかもしれない。そうなれば織田家中の中にも動き出す者がいる可能性もある。
なにせ平手は織田弾正忠家の外交を一身に背負っていると言っても過言ではない。そんな平手に対して面白くないと感じている人間は意外と多いだろう。そして、そんな連中が結託したとしたら――
それは少々面倒だというのが平手の正直な感想だった。
どうせ義銀たちも暗殺未遂を表沙汰にはできないのだから、どこかに死体を隠してしまうか、あるいは野盗に襲われたことにするかと平手が検討していると、
「――父上!」
平手政秀の息子、平手長秀が駆けつけた。乗っている馬の様子を見るにかなり無茶をさせたらしい。
「なんと! 正気か!?」
「由宇め! 血迷ったか!」
そして森可成と太田牛一も少し遅れて駆けつける。
「…………」
この状況で牛一が由宇の味方になることはないだろう。
一対四。
もはや勝てぬと判断した由宇は――迷うことなく、自らの腹に刃を突き立てた。
◇
真一文字に自らの腹を割いた後。
由宇は血のこびりついた刀を振り回し、誰も近づけぬようにしていた。寄らば切るぞと言わんばかりに。介錯など不要と示すように。
「由宇……なぜだ? なぜこのようなことを?」
共に斯波家の家臣として行動を共にした牛一が問いかける。若手家臣の中でも斯波家への忠誠心が高かった由宇が、なぜよりにもよってこのような行動をしたのかと。
「決まっておる! 斯波家のためよ!」
「斯波家のため……? だが、このようなことをすれば斯波家滅亡に繋がること、理解できぬおぬしではあるまい?」
「はんっ!」
何を当たり前のことを、とばかりに由宇が鼻を鳴らす。
「当然よ! ――斯波家は、いっそあのまま族滅しておれば良かったのだ!」
「……なにを……?」
言っているのだと牛一が言葉を続けようとしたが、それが声として発せられることはなかった。
そんな牛一の態度が我慢ならないのか由宇が刀を地面に突き立てた。……いや、もはや自分の力だけでは身体を支えきれないのか。
「分からぬか! あれだけいた家臣は多くが死に! 今残ったのは僅かな若造のみ! 其奴らにしても織田信長への鞍替えを狙っている! 我らは何も知らず! 何の力もなく! 守護就任の儀式すら自分たちでは行えない! しかも家を継ぐのはあのような馬鹿殿ときた! ――何と情けない! これがあの斯波家か! 室町幕府三管領の筆頭か! 天下の副将軍家が聞いて呆れるわ!」
由宇の絶叫に、やっと牛一も由宇の腹づもりを理解する。
「斯波家を、滅ぼすつもりであったか……」
「おうよ! 斯様に情けない状態で生き延びるくらいなら! 家臣に利用され、あの癇癪持ちの元で生き恥を晒すくらいなら! いっそ潔く滅びるべきなのだ! ――あのとき! 清洲の城で! 武衛様(斯波義統)がお腹召さるるのを見届けて、我らは潔く討ち死にすべきだったのだ! そうすればまだ武家としての面目も立ったであろうに!」
「由宇……」
生きてこそ。
生き延びたからには斯波義銀を支え、斯波家の復興を手助けするべきだったのではないか?
そう苦言を呈そうとした牛一だったが……できるはずもなかった。彼は早々に斯波義銀と斯波家に見切りを付け、織田に接近した男なのだから。
だが、それでも言わねばならぬことはある。
「左様な自分勝手な理屈で、平手殿を巻き込もうとしたのか?」
義銀の重臣が平手政秀を討ったとなれば、織田としても動かぬ訳にはいかないだろう。だが、そんな理屈のために無関係の人の命を奪おうとするなど……。
いや、平手は今川義元との交渉役を仰せつかった男。そして今川とは斯波家の領国を強奪した家。そんな今川家との和睦を許せないという理屈は分かるし、それを止めようとするならば……。
たとえ平手が死んだところで、大して結果は変わらない。織田と今川の同盟は、信長と義元が望んでいることだからだ。
しかし、由宇にはそれが理解できなかった。
いや、もしかしたら理解しながらも動いたのかもしれない。
もはや理屈ではなかったのだ。
一刻も早く斯波家に引導を渡さねばならなかったのだ。
これが、平手長秀の語っていた『狂気』かと、牛一は納得するしかなかった。
「――是非も無し」
ただそれだけを言い残し。
由宇喜一は、狂気に支配された男は、立ったまま息絶えた。
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