閑話 斯波義銀
「巫山戯るなぁ!」
織田と今川の同盟。その話を聞いた斯波義銀は激高した。
あまりにも激しい怒りの発露に、家臣である由宇喜一と太田牛一は急いで頭を下げる。
「しかし、今川とばかり争っていましても……」
「先の戦で勝利したのですから、今なら有利な条件で和睦することもできましょう」
「ならぬ! 今川は我ら斯波家から遠江を略奪した連中ぞ!? どうして和睦などできようか! そんな事態になっては祖先に顔向けできぬわ!」
「…………」
「…………」
もはやそのようなことを言っていられる立場ではないと、由宇も太田も分かっていた。
家臣によって当主が討たれたことで、尾張守護斯波家の名声は失墜。もはや織田による尾張統治のための、大義名分のためだけに残されているだけの存在だ。
分かっていないのは、斯波義銀だけで。
「おのれ! このまま交渉させてなるものか! 何としても邪魔をするのだ!」
「し、しかし、どうなさるおつもりで?」
「……交渉役は誰じゃ!?」
「は、平手政秀殿であろうと」
「あの融通の利かない糞爺か! ふん、あんな男では纏まる交渉も纏まらぬか!」
「いえ、かの御方は斎藤道三との交渉役に抜擢され、三郎様と帰蝶様の婚約をまとめ上げたほどのお人で」
「なにぃ!?」
自分の人を見る目のなさを突きつけられたせいか、義銀はさらに激高する。
もはや八つ当たりでしかない感情で以て義銀は叫んだ。
「ならば、止めるぞ!」
「止めると申されましても……どうやって?」
「知れたこと! ――ヤツを殺してでも止めるのだ!」
◇
斯波義銀の元を辞したあと。
とんでもないことになったなと由宇喜一と太田牛一は顔を見合わせた。
「まずいな」
「あぁ、まずい」
「あの会話は織田方に聞かれていただろうか?」
「少なくとも、近くに人の気配はなかったな」
「しかし、気配を消せる忍びがいる可能性は……」
「――ない」
由宇の断言に牛一が片眉を上げる。
「ない、とな?」
「三郎殿は、義銀様に忍びを付けてはおらんのだ」
「それは……」
そんなこと、あり得るのだろうか? 織田としても斯波義銀がどう動くかは把握しておきたいだろうし、あれだけの町を整備できるのだから忍びを雇う銭もあるだろう。
しかし由宇は首を横に振る。忌々しげに。許せぬとばかりに。
「三郎様は、義銀様など眼中にないのだ。ただ、ただ、『尾張守護』という神輿が欲しいだけで。義銀様がどんな動きをしようとも、どうとでも出来ると確信しておられるのだ。そもそも忍びを付けて動きを探ろうという発想すらないだろう」
「それは……」
そうだろう。
もはや義銀に付き従う家臣は十人にも満たず、忍びを雇う余裕もない。もしも織田からの援助が止まれば、義銀らはたちまちのうちに飢え死んでしまうだろう。
さらに言えば義銀が囲い込まれている那古野城という場所。
あまりに広い城。
あまりに広大な縄張り。
こっそりと兵を集めることも出来ぬし、外部とのやり取りも制限される。そもそも、連絡役である太田牛一はもうすでに信長の家臣のようなものなのだ。
義銀と信長であれば、迷うことなく信長を選ぶ。
牛一はすでに覚悟を決めていた。
「いかにいたす?」
牛一からの問いかけに、由宇は僅かに唸った。
「……ともかく、平手殿の安全確保だな。牛一、平手殿は今どこにいるか分かるか?」
もはや織田の家臣と言っても過言ではない牛一ならば知っているかもしれない。そう当たりを付けた由宇の質問だった。
「うむ。いずれは那古野の城内に屋敷を作るという話になっているが、今はまだ那古野城と居城を行き来しているはずだ。さすがに毎日ではないだろうがな」
「そうか。ならば、護衛に付いた方がよいな」
「我らが、か?」
「同じ義銀様の家臣が護衛していれば、襲撃を躊躇うかもしれぬ。それに、ここでことを荒げては、義銀様が幽閉されかねん」
「……で、あるな」
頷き合う由宇と牛一であった。