閑話 若さゆえの
「よいか氏真。儂らは駿河から京都の寺へ向かうために移動しているということにするのだ」
「ははっ! そういう設定でありますな!」
「儂が師匠、おぬしが弟子。親子であることは特に隠さぬが、わざわざ自分から口に出さずともよい。これから儂のことは『御師様』と呼ぶように」
「はは! 委細承知しました父上! ――あいた!?」
まったく分かっていない氏真に拳骨を落とす義元であった。この時代の教育としてはまだ優しい方だ。
「京都に向かう途中、那古野に寄ったところ、あまりの発展具合に驚き、京での話の種にと立ち寄ることにした。ということにしておく。よいな?」
「ははっ!」
返事だけはいい氏真に「本当に大丈夫かなぁ」と思う義元であるが、まぁ平気かと思い直す。人というのは衣服を変えればガラッと印象が変わるものだし、ましてや『戦国大名今川義元』が僧侶の格好をしているなど夢にも思うまい。
……義元の顔には信長によって付けられた刀傷があるので見る者が見ればすぐに解るが、逆に、尾張の使者にはまだこの傷を見せていないのでバレる心配は少なくなる。
氏真もまだ子供であるので対外的な場には出していないし、正体が露見することはないだろう。と、義元は判断した。
そうして船が熱田の湊に近づいてきたところで――
「――む、父上。軍船がこちらに向かってきておりまする」
「軍船?」
義元が氏真の指差す方を見ると、たしかに中型軍艦・関船が義元らの乗る弁才船に近づいてきていた。
関船。
その名の通り、それなりの攻撃力・防御力を備えながら小回りがきくことを活かして『海上の関所』として使われることが多い船だ。
となると、普通に考えれば通行料をせしめに来たのであるが……。
(今は佐治水軍が本格的に動き出したのだったな)
そして帆に描かれているのは佐治の家紋だ。
佐治水軍としては船を襲うことによって尾張型に被害を与え、同時に銭を稼ぐのが目的となる。
なので、この船を沈めることはないだろうというのが義元の判断となる。大砲もないこの時代、わざわざ船を沈める手間を掛けるとは思えないからだ。
それに、あまり派手にやってはせっかくの獲物が寄りつかなくなるし、織田の水軍も本格的に動き出してしまう。
もう少し時代が進めば(義元がしようとしていたように)通商破壊を目指し、寄りつく船をことごとく沈めるのだろうが……この時代の水軍ではそのようなことはしないだろう。
しかし、普通は船主からのみ金を徴収するところを、今は全ての乗客から奪うかもしれない。
「……よいか氏真。無礼な態度を取られても抵抗してはいかんぞ? 奴らも僧侶には無体なことをしないはずだ」
「ははっ! 承知しました父上!」
「…………」
本当に分かっているのかと義元は不安になるが、ここは氏真を信じるしかない。
佐治水軍は船を横付けし、『荒れくれ者』といった風体の男立ちが続々と乗り込んできた。いかにも裕福そうな商人から銭をせびり始め、そして――
「――お、お許しを!」
商人の娘らしき女の手を掴み、そのまま自らの船に連れ去ろうとする。
なんと。
大人しく銭を渡した商人から、娘まで奪おうというのか。あの商人が敵に協力したというのならまだしも、ただ船に乗っていただけだというのに。
これが佐治水軍か。
武士としての誇りはないのか。
このような連中と協力していては、今川の名も地に落ちよう。義元が愕然としながら女の行く末を眺めていると、
「――おぬしら! 人としての誇りはないのか!」
氏真が、手にした錫杖で女を連れ去ろうとしていた男を打ち据えた。そのままぴくりとも動かなくなる男。
「てめぇ!」
「なにしやがる!?」
「坊主だからって容赦はしねぇぞ!」
荒れくれ者共が次々に集まってくるが、氏真は恐れない。命乞いもしない。キッと男たちを睨み付けながら、錫杖を握りしめる手に力を込める。
「銭を奪い! 娘をも奪う! 情けなくはないのか!? 恥ずかしくはないのか!? お前らはそれでも男か!? 船乗りには意地も誇りもないのか!?」
――若い。
何という若さであろうか。
見ず知らずの女を救うために自らを危険にさらそうとは……。とてもではないが次の今川家の当主とは思えぬ軽率さだ。戦国大名としては『次』の氏真を叱り飛ばすべきだし、代わりがいるなら別の者を後継者とするべきなのだろう。
……だが。
その若さを、義元は気に入った。
そもそも義元からして戦国大名――後継者として期待されていたわけではない。兄が家を継ぐので、余計な御家騒動を起こさないため早々に出家させられ、太原雪斎と共に京で修行をしていた身だ。
「…………」
京までの道筋で、多くのものを見た。
父・今川氏親の統治によって豊かに成長した駿河。遠江。
肥沃なる平地が広がる尾張。
今日食うものにも困っている寒村。
長引く戦乱によって荒廃した都。
普通の戦国大名であれば参考にするべき『光』と、まず目にしないような『影』を見て来た義元には、愚直なまでに人道を守る氏真が眩しく感じられた。
今、男たちは氏真にばかり気を取られ、義元には目もくれていない。
(ここは奇襲で一人、いや、二人くらいは倒せるか)
あとは護衛の忍びたちがどれだけやってくれるか。忍びというのは裏で暗殺を防ぐのは得意でも、真正面から武士と戦うのは不得手としているためだ。
(まぁ、なるようになるか)
今までも、義元はそうして生き長らえてきたのだから。
覚悟を決めた義元は誰にも気づかれぬよう拳を握り、開き、準備運動をしはじめた。
そして――




