閑話 頑張れ藤林
今川義元は僧形に着替え、湊から船に乗って尾張を目指した。
今川と織田は戦争状態にあるが、それでも商取引のために互いの領地を行き来する船はいくつかあったのだ。
無論、織田との戦が激化すれば荷留め(禁輸)に至るのだろうが、現状ではまだそこまでではなかった。特に尾張の熱田と津島湊での取引ができなくなると、ともすれば今川の方が損をする事態にもなりかねないという理由もある。
ともかく。ちょうど良く尾張の熱田まで向かう弁才船(輸送船)があるので乗り込んだ義元である。
一見すると僧侶の一人旅。なんとも不用心に見えるが、もちろん藤林をはじめとした忍びが護衛に付いているし、義元も剣聖・塚原卜伝に剣を習った男だ。さすがに僧形なので刀は持っていなかったが、錫杖を使えばそこらの野盗になど負けはしない自信があった。
しかしそれでも不用心であることは変わりないので、護衛する藤林などは胃の痛い時間を過ごしていたのだが。
「……む?」
そんな義元であるが、船の上で笠を目深に被った僧侶を見つけた。
怪しい。
一人での修行の旅を許される僧侶にしてはまだ年若いし、服も不自然なほどに真新しい。さらには異常なまでに周囲を警戒している。まるでなにか隠し事をしているかのような……。
「…………」
まさか、と思った義元は遠慮なくその僧侶に近づき、無理やり笠を剥ぎ取った。
「――あっ! 父上! 何をなさいます!?」
「……氏真ぇ」
予想外というか、想定内というか。僧侶の格好をした我が息子・今川氏真の登場に頭を抱えてしまう義元であった。
いや、殿が呆れるのですか? という指摘はグッと飲み込む藤林である。頑張れ。
「氏真。こんなところで何をしておるのだ?」
「ははっ! 件の織田三郎とやらの話を聞き、いても立ってもいられず船に飛び乗りました!」
「何をしているのだ、何を……」
呆れる義元であるが、そういう義元だって僧侶の格好に身を包み船に飛び乗った男である。藤林は「親子ですなぁ……」と呆れ果てていたが声に出しての指摘はグッと飲み込んだ。頑張れ。
「他の者にはなんと言って抜け出してきたのだ?」
「はっ! 悪い風邪だと誤魔化し、周囲の人間を近づけないようにしてから!」
「またそんな……」
陳腐な手を、と思う義元であるが、自分がその陳腐な手を使ったことは都合良く忘れてしまったらしい。頑張れ藤林。
「……まぁ、よい。船に乗ってしまっては熱田に向かうしかないのだからな。どうせ戻るにしても、那古野を視察してからでも遅くはあるまい」
「さすが父上! 話が分かりますな!」
「…………」
「おう!?」
調子に乗っている氏真の頭に拳骨を落とす今川義元であった。
そういう殿は帰ったら太原雪斎殿から拳骨をもらいそうですな、という指摘はグッと飲み込んだ藤林であった。超頑張れ。




