閑話 インガオホー
とある日。
今川の軍師、太原雪斎は今川義元の下を訪れた。今後の今川の同盟について意見を聞きたかったためだ。
雪斎としては今川と北条、そして武田との同盟――三国同盟を推進したいと考えていた。武田とはすでに婚姻関係があるし、北条は近年対立していたが、それも解消傾向にある。つまり、そうなるのが自然な流れでもあったのだ。
しかし、義元は尾張との同盟――否。織田信長との同盟に積極的になり。朝比奈の話を聞き、その想いはさらに強固なものとなっただろう。
こうなれば織田との同盟は前向きに進めなければならない。
だが、だからといって北条と武田の同盟を諦める必要はない。
今川を中心とした、北条、武田、そして織田の同盟。
幸いにして北条も武田も織田と領地を接しておらず、争う理由はない。
武田と織田、というより甲斐と美濃は将来的に信濃で争うかもしれないが……今のうちに同盟を結んでおけば抑止となるだろう。
今川は海を背後に三方を同盟国に囲まれることになる。これ以上の領地拡大は望めないので家臣たちから不満が出るかもしれないが、逆に言えばどの勢力からも攻められず、領地の発展に注力できるのだ。
(一番は婚姻同盟を結ぶこと。どこに誰を嫁がせ、どこから氏真様の妻を迎えるか……。ここはやはり北条か? 織田と争っている三河はどのようにするべきか……。決めるべきことは多い)
故にこそ太原雪斎は今川義元の下を訪れたのだが……。近習(側近)に止められた。
「いえ、その、殿は悪い風邪を引いておりまして。会うことは難しいかと」
「なに? そんなに悪いのか?」
「医師によるとしばらく誰も近づけるなと……」
「…………」
視線を合わせない近習の男に、雪斎は全てを察した。
「――退けぇい!」
老齢とは思えぬ膂力で雪斎は近習の男を半ば放り投げ、義元の私室の襖を開け放った。
中には、誰もいない。
――那古野に行ったのだ。と、確信する雪斎。
「あの、悪童が!」
怒りにまかせ、床板を踏みつける雪斎であった。
ちなみに後日、この部分の床板が破損。ちょうど踏みしめた今川義元が盛大にずっこけることとなる。因果応報とは恐ろしいことである。
◇
義元には忍びが護衛に付いているはず。
だが、何があってもおかしくはないのが戦国の世だ。おそらくは船を使ったのだろうが、海賊に襲われるかもしれないし、船が沈没する可能性だってある。
ここは万が一に備えて氏真にも話をしておくべきか。
そう判断した雪斎は氏真の元を訪れた。
「いえ、その、若様は悪い風邪を引いておりまして。会うことは難しいかと。医師によるとしばらく誰も近づけるなと……」
「…………」
デジャ・ヴュ。フランス語で既視感の意。もちろん戦国時代には存在しない言葉である。
「――退けぇい!」
先ほどと同じように近習の男を半ば投げ飛ばし、襖を開け放つ雪斎であった。
やはり、もぬけの殻。
「――あの、悪童共がッ!」
怒りにまかせ、床板を踏みつける雪斎であった。
ちなみに後日、この部分の床板が破損。ちょうど踏みしめた今川氏真が盛大にずっこけることとなる。因果応報とは恐ろしいことである。




