閑話 少年・今川氏真
今川義元との謁見後。
朝比奈泰能は義元の命で一晩ゆっくり休んだ後、義元の嫡男、今川氏真の元を訪れた。正確に言えばまだ元服も迎えていないので『龍王丸』ではあるが。
この時間は勉学に励んでいるかと思ったのだが、氏真は庭で蹴鞠をしていた。
――今川氏真。歴史においては大名としての今川家を滅ぼしたことで暗君やら愚鈍やらと評価されることになる人物だ。
もしもこの場にプリちゃんがいれば氏真の再評価について熱く語ってくれただろうが、残念ながらいないので以下略だ。
「若様、何をしておられるのですか?」
朝比奈が声を掛けると、氏真は器用にも鞠を頭に乗せてから振り返った。
「おぉ朝比奈! 帰ったか!」
朗らかな笑顔を朝比奈に向ける氏真。なんとも見ていて気分が良くなる笑い方である。
これだ。
この笑顔と、次代の今川当主とは思えぬ気安さで近づかれると、『するり』と懐に入り込まれてしまう。そうなると多少のことは許してしまいたくなってしまうのだ。
人たらし、とでも言おうか?
この『力』は氏真にとって利点にも欠点にもなり得る。今川が勢力を拡大していく場合、氏真であれば労せず味方を増やすことができるだろう。
逆に、誰に対してもこのような気安い対応をしていては、舐めてかかる者も出てくるはずだ。
さらには『普段優しい』人物がいざ苛烈なことをすると――その印象の悪さは二倍にも三倍にもなってしまう。
氏真の利点を延ばすべきか。
あるいは、欠点として修正するべきか。
それは太原雪斎も悩んでいるようだった。
(とにかく、今は注意するべきか)
「若様。今は勉学の時間であるはず。だというのに蹴鞠などするのは……」
「まぁ、よいではないか。今川の次期当主たるもの身体を鍛えねばならんが、父上はいつまで経っても剣聖・塚原卜伝殿を紹介してくださらぬのだから」
「いえ、卜伝殿もお忙しい方ですから。なにせ新たなる将軍に剣を教えていますので」
「う~む、さすがに厳しいのか……。では、わしが京に向かうしかないか?」
「そ、それはおやめくだされ」
氏真の行動力ならば、明日にでも京に立ちかねない。焦った朝比奈は話を元に戻した。
「しかし、身体を動かすならば弓でも乗馬でもいいでしょう? なぜ武家の人間が蹴鞠など……」
「冷泉殿から、これからの武士は貴族風の教養を身につけ、京の貴族とも誼を通じなければならないと教わってな。蹴鞠もその一つよ」
「……左様で御座いましたか」
冷泉――京から下向している貴族であり、今川の外交にも力を貸してくれている冷泉為和は、これからの今川家に足利政権内での活躍も期待しているということなのだろう。と、朝比奈は理解した。
「それにな、皆は貴族趣味だと馬鹿にするが、中々よい運動になるのだ。ははは、実際にやってみなければ分からなかったことだ。これは貴族連中と話す時の話題となろう」
「……左様で御座いますか」
まぁ、氏真なりに今後の今川家について考えているのならいいかと考えてしまう朝比奈だった。
◇
屋敷の中に戻り、朝比奈は改めて帰参の挨拶をした。
「そうか。岡部は戻ってこないか」
「ははっ、中々に難しいかと」
猛将である岡部に懐いていた今川氏真は少し悲しそうな顔をする。が、先に見捨てたような形になったのはこちらだと聞いていたのでそれ以上こだわりはしなかった。まだ齢11だというのに立派なことだ。
「して、那古野にまで足を伸ばしたそうだな?」
もうその情報を掴んでいるのか、と驚きを隠せない朝比奈。さすがにこの年で忍びを従えているということはないだろうから、誰か『善意の協力者』がいるのか……。
「ははっ、勝手な行動をしまして申し訳御座いません」
「いやいや、今川のためを思ってのことなのだろう? しかし、那古野か。父上と一騎打ちしたという織田三郎信長が城主をしているのだったか?」
「ははっ」
信長のことを『うつけ』と呼ばないとは、すでにある程度評価しているらしい。あるいは『敵』を偏見で評価していないのか。
どちらにせよ、これなら正直に伝えても大丈夫だろうと朝比奈は判断した。これで頭の固い人間相手では「しかし、しょせんはうつけであろう?」と真面目に取り合ってもらえない可能性もあるのだ。
「あの三郎という男、傑物でありますな」
「ほぉ、朝比奈がそこまで断言するとは。事実傑物なのであろうな」
「ははっ、まずは熱田湊と那古野に繋がる街道を整備し、人の流れを作り、その人が落とした銭によって巨大なる城を作り始めておりました」
頭のいい朝比奈は理論立てて『そういうものだろう』と理解していた。まさか一晩で城を作るというアタマ・ワルイ方法を使ったなど夢にも思わない。
「わしは道など整備するなと教えられたのだがな?」
「はっ、自らの領地を守るだけならそれでもいいでしょう」
「ほぉ? 面白い物言いじゃな? まさか三郎は自分の領地以外のことを考えているとでも?」
「……ははっ、天下を統一し、南蛮からの侵略に備えるべきと」
これは朝比奈の『賭け』であった。今代の当主と次代の当主が織田信長を認めれば、今川と織田の同盟は現実味を帯びてくる。だが、もしも氏真が信長を『うつけ』と断ずれば……。
「ほぉ。織田三郎信長。真なるうつけか、あるいは傑物か。……朝比奈の物言いからすれば傑物なのだろうな」
と、感心したような声を上げたのは氏真。
正直言って天下統一や南蛮などの話には理解がおよばない氏真である。――だが、朝比奈の表情から、朝比奈が本気であることは察せられたのだ。
(あの頑固ジジイをここまで惚れさせるとは)
会ってみたいものだな、と思う氏真であった。




