閑話 証如上人天狗調伏日記
ずいぶんと痩せたものだ。
軟禁されている証如を久々に見た蓮淳はそんな感想を抱いたが、それだけ。彼にとって証如とは権勢を振るうための都合の良い駒でしかなかった。その駒も顕如という新品が手に入ったのだから、もはや蓮淳が気に掛ける必要もない。
「祖父上、最近は天狗に悩まされているようですね」
「……あぁ、うむ。そうであるな」
天狗の被害も相変わらずであるが、被害と言えば毎日どこかが壊される程度。あとはときどき本願寺に参拝した信者が死ぬくらいか。その程度であれば許容範囲かと蓮淳は放置していたのだが……。
「人心を惑わす天狗は、放っては置けませぬ。ここは拙僧が天狗調伏の加持祈祷を執り行いましょう」
「ふむ……」
調伏は、生半可な腕や覚悟で行っては術者の命を奪う恐れすらあった。元とはいえ本願寺の法主にさせていいものではない。
だが、蓮淳からしてみれば、証如はすでに利用価値を失った男。さらにいえば『術』の才能もある。ここで本願寺を悩ませる天狗調伏に使えるならば都合がいいかと判断した。
「調伏をするならば、ヨリマシが必要か」
ヨリマシ。
あるいは寄り坐しと呼ばれるものは、本来であれば神降ろしの際に神霊を憑依させる人形や童子のことだ。
しかし、ヨリマシとは主に密教の病気治療の加持祈祷において、病の原因となるモノノケといった霊的存在を憑依させるものとして登場する。
当然のことながら人形よりも生きた童子の方が『高等な』ヨリマシであるし、それが汚れのない存在であればなお良しとされていた。
信者の中には子供も多いので、適当にヨリマシとなる子供を選んでもいい。
だが、やはり薄汚い民草よりは、寺で修行する少年僧の方が良いヨリマシとなるだろう。
そして。
蓮淳の目の前には丁度いい少年僧がいた。今日もまた証如の食事を運んできた虎寿だ。
「うむ。丁度よいヨリマシもいることであるしな。早急に護摩壇を用意させよう」
本願寺とは親鸞聖人を祖とする浄土真宗の一派であるが、そこまで凝り固まっているわけではないし、教義であろうが親鸞聖人の言葉であろうが都合良く改変する柔軟性がある。そうでもなければ政争のために信者を動員することなどできるはずがない。
結果として他の宗教や宗派、あるいは里於奈からも様々な『術』を導入していた本願寺は――虎寿少年をヨリマシに、大威徳呪をもって天狗調伏の加持祈祷を執り行うことになった。




