親鸞が助走つけて殴るレベル
「――帰蝶様! これは『チャンス』でありますぞ!」
と、覚行君が声を張り上げた。ちょっと、戦国時代なんだから『チャンス』とか言うの止めてもらえません? 世界観を大切にして欲しいわよね、世界観を。
『世界観に引導を渡した女が何か言っている……』
あら、そんな女がいるの? 郷に入っては郷に従えという言葉を知らないのかしら?
≪……何を食ったらこんなに図太くなるのか≫
「割と生まれつきなんじゃないのかな?」
玉龍と師匠による容赦ないツッコミであった。解せぬ。
それはともかく、覚行君の話を聞きましょうか。
「突如として出現し暴れ回るゴーレム――いや、だいだらぼっち! そのだいばらぼっちを鎮めたのは、阿弥陀仏の化身たる帰蝶様! ……と、いう筋書きはいかがでしょう?」
「……ほぅ、なるほど? 悪くないわね。彼らの信じる阿弥陀仏の化身として、まずは長島の一向一揆から手中に収めてしまいましょうか」
「いくら長島が本願寺にとっての重要拠点とはいえ、大坂とは距離があります。しかも連中は信者から銭を巻き上げ、戦に動員するばかりで信者に還元というものをしません」
「そこに現れる阿弥陀仏の化身。だいだらぼっちを鎮めて信者を守ってみせた奇跡と慈悲」
「本家本元である大坂本願寺の信者は鉄の結束を誇っているでしょう。しかし、遠く離れている長島はどうでしょうか?」
「実際、『史実』だと大阪から遠く離れた加賀では内紛が起こっていたみたいだし。……プリちゃんによると」
「長島の願証寺は伊勢国だけではなく尾張、美濃の一向宗徒のとりまとめをしていた寺。つまり、ここさえ落とせば三国の信者を総取りすることができます。大坂の狂信者からではなく、まずは周りから突き崩していきましょう」
「……覚行君、おぬしも悪よのぉ」
「いえいえ、帰蝶様には敵いませぬ」
くっくっくっと笑いあう私と覚行君であった。
『この人、とうとう自分から化身を詐称し始めた……』
詐称とは失礼な。薬師如来の化身と公認されたのだから、これはもう阿弥陀如来の化身と言っても過言ではないでしょう!
『全世界の仏教関係者に謝れ』
エントシュルディグング!(ドイツ語でごめんね!)
◇
――長島・願証寺。
願証寺と長島城は一応別の小島(輪中)に存在する。
だが、別とは言えすぐ隣の輪中にあるし、長島城の中にも一向宗徒は多い。城主は伊藤氏であるが、実質的には願証寺の支配下にある。それが願証寺と長島城の関係であった。
そんな長島城が、『だいだらぼっち』の襲撃を受けた。
城主や一族は生死不明。生き延びた城兵はすぐ近くの願証寺に助けを求め。だいだらぼっちは弓矢で攻撃された怒りからか長島城の櫓を倒し、杭を引き抜き、城の残骸をそこら中に放り投げはじめた。
願証寺にも残骸が避来し、おそらくは柱であった木材が本堂の瓦を突き破り、あやうく本尊を破壊するほどの被害をもたらした。
「この世の終わりじゃ……」
「長島の連中め、余計なことを……」
「あんな化け物に弓矢が効くものか……」
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ……」
願証寺のある場所は、周囲を川に囲まれた輪中。川を渡るための船はあるが、全員が一気に逃げられるほどの数はない。泳いで渡ろうにも、長良川(木曾三川)の流れは速い。若い男であっても溺れずに泳ぎ切れるかどうか……。
死ねば極楽。
願証寺の僧たちは、そんなことを本気で信じているわけではない。そんなものはあくまで信者を駆り立てるための方便。信者から銭を巻き上げるための偽言。
もしもそれが事実だったとしても、恐れることはない。なにせ念仏を唱えればどんな悪人であろうとも救われると、かの親鸞聖人が説いたのだから。
善行を積んでも、悪行を重ねても、最後にたどり着くのは極楽。ならば、この世の快楽を楽しみ尽くしてから最後に念仏を唱えて極楽に行けばよい。それこそが一向宗。それこそが悪人正機なのだから。
そんな悪僧たちであるが、死を前にすれば素直に仏にすがるのか、誰ともなく念仏を唱え始める。
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ……」
だいだらぼっちは散々に長島城を破壊し尽くした後、今度は願証寺に狙いを定めたようだ。この近くに城に匹敵するような建物は願証寺しかないので、是非も無しか。
木曽の急流をものともせずにだいだらぼっちが進んでくる。――なんという恐ろしさであろうか。小山のような大きさの化け物が、明確な意志を持ってこちらに向かってくる。
巌そのものである腕は櫓すら易々となぎ倒し。数人でやっと運べるはずの大柱を軽々と投げ飛ばしてしまう。
弓矢は効かぬ。
槍や刀などもってのほか。
――念仏など唱えても、どうせ仏は救ってくれぬ。
「えぇい! どうせ死ぬなら酒を飲み干してしまえ!」
「女じゃ! 女を連れてこい!」
やけになった願証寺の者たちが最後の乱痴気騒ぎを起こそうとしているとき――
「――あいや待たれい! 御仏の救いはここにあるぞ!」
若い、若い、少年の声が響いてきた。




