閑話 武野紹鴎の憂鬱
堺会合衆の代表、武野紹鴎は不安を隠せなかった。
覚行を代表として、吉兆教の総本山となる建物を建設していた者たちが堺に逃げ延びてきたのだ。
どうやら一向一揆が向かってきたらしく、帰蝶の指示により堺にまで逃げ延びてきたのだという。
堺に避難されては、一向一揆が堺にまで攻め込んでくる。と、そんな危惧をして門を開けないよう主張する会合衆もいた。
何という愚か者であろうか。
もしここで避難してきた覚行らを受け入れなかった場合。一向一揆とは敵対しなくなるかもしれないが、帰蝶の敵となるのだ。
無数の信者を動員できる大坂本願寺と、理解の及ばぬ力を使う帰蝶。どちらも敵に回したくはない存在であるが、どちらかといえば本願寺を敵にした方が増しであろう。本願寺相手なら最悪商売の拠点を移せばいいのだが、帰蝶であれば地獄の底まで追ってくるだろう。
……いいや。
帰蝶が恐ろしいのは当然のことであるが。それ以前の問題として。紹鴎は一向衆――本願寺を信頼していないのだ。
大小一揆。
かつて加賀国で起こった戦乱――いいや、錯乱のただ中に紹鴎はいた。父が一向宗であった縁で、商人として一向宗を支援するために。
本願寺の内紛に端を発したあの戦乱は越前朝倉氏や能登畠山氏、さらには加賀守護富樫氏まで巻き込んだ、まさしく錯乱としか言いようのない惨状であった。
紹鴎は見た。
ただの内紛を御仏の意志という綺麗事で塗り固めた本願寺の醜悪さを。念仏を唱えながら乱暴狼藉の限りを尽くす信者共を。寺があれば寺を打ち壊し、神社があれば神社から略奪を行った一向一揆の暴虐を。
だからこそ紹鴎は宗旨替えをした。一向宗にほとほと嫌気がさしたが故に。
そして。そんな一向一揆は堺にも攻め込んできた。
大小一揆の翌年。仏敵排除を掲げた一向一揆は10万といわれる数で堺に攻め込み、法華宗の庇護者であった三好元長(三好長慶の父)を自害させ、ついには『堺幕府』を滅ぼしてしまったのだ。
しかも、一向一揆は堺幕府を瓦解させたあと、完全に暴走。本願寺の統制からすらも離れ、『仏敵排除』を大義名分としてて大和へ侵攻。興福寺や春日大社を襲撃し、略奪。興福寺の建物を燃やし、猿沢池の鯉や春日大社の鹿まで食い尽くしたという。
なんという悍ましき存在であろうか。
信仰を隠れ蓑とせず、ただ生きるために他の命を喰らう獣の方がまだマシであろう。
紹鴎は直接この目で見た。
堺の街を蹂躙された。
ゆえにこそ。本願寺の味方になる道はない。少なくとも、紹鴎の目が黒いうちは。
……それに。
帰蝶であれば、このような状況を放置するわけがない。なにか『手』を準備してくれているはずだ。
紹鴎のそんな信頼に応えるかのように。
「――紹鴎様。根来寺の津田監物様がお目通り願いたいと」
そのような報告が上がってきた。




