閑話 覚行の決断
二線級の信者たちが淀川で河童に蹂躙されている頃。
堺にほど近い台地の上で、少年覚行は『吉兆教』の本拠地となる寺社の建設に携わっていた。
とはいえ彼は帰蝶のように魔法を(自由自在には)使えないし、建設に関する知識も乏しいので監督役という名の見学だったのだが。ときどき喧嘩やら資材の取り合いが発生するので、それを仲介するのが仕事と言えば仕事であるか。
帰蝶が手伝ってくれるわけではないので、時間が掛かる(そしてごくごく普通の)建築手順だ。まずは基礎となる地面を踏み固め、雨などで土が流れ出ないよう石垣を組んでいく。そのあとは柱を立てるための礎石を敷き、やっと建物の建築に入れるのだが……今はまだ石垣に使う石を運んでいる段階だ。
帰蝶は急いでいる様子はなかったが、やはり覚えをめでたくするためには急いだ方がいいだろう。
どうすれば効率的な工事ができるか。そういえば豊臣秀吉が城の修復で――と、覚行がそんなことを考えていると、初老の男性が近づいてきた。
木沢相政の家臣、柳生家厳だ。
相政は帰蝶の家臣なので、家厳は陪臣となる。帰蝶の協力者というか弟子というか、そこそこ親しい関係にある覚行少年と無関係というほどの間柄ではないが、親しいという間柄でもない。顔見知りというのが一番正確か。
「これはこれは、家厳殿。いかがなされました?」
「はい、総本山の建築状況が気になりまして――というのは建前でして」
音もなく近づいてきた家厳が、覚行にそっと耳打ちをする。
「――本願寺の信者が、こちらに向かってきております」
「……なんと? まことですか?」
「目的はこの場。本願寺を実質的に仕切っている蓮淳という男の命により、『吉兆教』の芽を早々に摘んでしまおうという目論みのようでして」
「……ずいぶんと、詳しいですな?」
「この地の情勢は本願寺の動きによって大きく異なってきますからな。以前より相応の人材を忍び込ませておりますれば」
「なるほど」
試すような目を向けられた覚行は、少し悩む。
帰蝶に連絡をすれば、たとえ『史実』で多くの戦国大名を苦しめた一向一揆であろうとも簡単に殲滅できるだろう。
しかし、安易に頼るだけでは、帰蝶に見切りを付けられるだろう。
なぜなら帰蝶はこの状況を予言していた。
覚行に、心の準備をする時間を与えていた。
彼女は言った。材料はまた揃えられるし、建物はまた建てればいいと。
彼女は言った。時間を戻しても、命を戻すつもりはないと。
そこまでの『ヒント』を与えられ、覚行が取れる選択は一つのみ。
「――皆の者! 一向一揆がこちらに向かっている! 我らの普請(工事)を邪魔立てするつもりだ!」
腰掛け用の岩の上に建った覚行が、石運びに従事する吉兆教信者に向けて大声を発した。
「なんと! 帰蝶様の正道を邪魔しようとは!」
「大坂本願寺! そこまで堕落しておりましたか!」
「覚行様! ここは目にものを見せてやらなければ!」
「急げば堺から武器を借りられるでしょう!」
「帰蝶様の教えを守るためならば! 我ら命すら惜しくはありませぬ!」
狂気すら纏わせながら気炎を上げる信者たち。そんな彼らの心意気を、覚行は否定した。
「馬鹿者! 帰蝶様は斯様なことを望んではおられぬ! ――逃げるのだ! 堺にまで逃げれば、いくら本願寺でも容易には攻め込めまい!」
「し、しかし覚行様……!」
「それはあまりに無体!」
「帰蝶様が選んでくださった聖地を放棄して逃げるなど……!」
「――材料はまた揃えられるし、建物はまた建てればいい! これこそが帰蝶様のお言葉だ!」
「っ!」
「帰蝶様のっ!」
「何と慈悲深い!」
「帰蝶様は聖地や建物などではなく、おぬしらの命こそを惜しんでおられるのだ! 帰蝶様の御慈悲を、無碍にするつもりか!?」
「覚行様っ!」
「儂らはなんと安直な考えをっ!」
「我らが間違っておりました!」
地面に膝を突き、帰蝶の慈悲深さに涙を流す信者たちであった。
プリちゃんがいればツッコミの一つでもしたことだろう。




