長良川の戦い・7
青銅砲が何度目かの砲撃を終えたあと。
「――む?」
まずは道三がそれに気がついた。
長良川の対岸。
這々の体で川を渡りきった安藤勢へと突撃する騎馬二騎。
いくら敗軍とはいえ、安藤守就は歴戦の将。直接指揮ができるならば騎馬の少数突撃くらい難なく処理できるはずだ。
しかし、二騎の騎馬は止まらない。
まるで絹布を引き裂くように。歴戦であるはずの安藤勢をたった二騎で切り裂いていく。
「……なんじゃ、あれは?」
「……なんなのでしょうな?」
首をかしげる斎藤兄弟。
道三も、道利も、長年戦場に身を置いてきた男たちだ。彼我の戦力を見ればどちらが勝つかは何となく分かるし、それをどうひっくり返せばいいかも経験から理解している。
しかし、そんな彼らから見ても、あの騎馬二騎の『戦果』は理解しがたいものであった。
まず第一に、戦術とか戦略など関係のない兵力差だ。安藤勢は(敗軍とはいえ)まだ数百人はいるだろう。対するは、たった二騎の騎馬。あれだけの差があれば、そもそも勝負にすらならない……はずだ。
さらに言えば、歩兵の間を走り回れば、いくら良き馬であろうといずれは失速してしまうし、槍の穂先が突き出されれば避けようとして体勢を崩してしまう。
騎馬突撃など最初の『衝撃』を与えたあとは即座に戦線を離脱し、もう一度速度を上げ、衝突力の回復に努めるべきものなのだ。
だというのに、あの騎馬二騎は敵陣の真っ正面から突撃し、しかも衝突力に衰えがない。
まったく以て理解できない。
理屈で言えば敵陣の中でも弱い部分を瞬時に見抜き、そこを衝かれたことによって敵が勝手に自壊しているのだろうが……そんなもの、見抜けるものなのだろうか? 相手が戦下手ならばともかく、指揮官は歴戦の安藤守就だというのに。
まったく以て理解できない。
理解できないまま、騎馬二騎は安藤守就の本陣に突撃して――散々に打ち破ってしまった。
また帰蝶が何かをやらかしたか。
あるいは、本物の『軍神』でも降りてきたか。
「――ふむ、行ってみるか」
◇
城下町はまだ炎が巻いていたので遠回りをして、道三たちは長良川の川岸へと到着した。
すでに敗軍である土岐頼芸勢はもちろんのこと、斎藤義龍率いる斎藤勢の姿もまばらだ。大砲による混乱を見事に収め、ここが勝機とみて川を渡り、追撃を行っているのだ。
追撃というのはやり過ぎると手痛いしっぺ返しを喰らうものなのだが、義龍であればそこそこの時点で引き返すだろう。失敗したらしたで、それもまた経験となる。そう判断した道三は小舟を探した。あの見事なる(そしてまるで理解できない)突撃は対岸で行われたので、船を使って川を渡ろうとしていたのだ。
しかし、義龍引きいる兵たちが使ったらしく、こちら側の岸には船が残っていなかった。対岸には乗り捨てられた船が大量に残されているのだが……。
「……お?」
対岸を羨ましそうに眺めていた道三は、こちらに向かってくる小舟を発見した。馬を乗せることができる小型船――馬船とよばれるものだ。
船に乗っているのは艪を漕いでいる若武者と、白い馬。そして、頭巾を被った僧形の人間。道三の目に狂いがなければ女性であり――あの騎馬突撃で先頭に立っていた者だ。
まさか、女だったのか?
あれほどの突撃を敢行したのが、女性だったのか?
道三と道利が唖然としているうちに船は岸に到着し、件の女性が降り立った。
彼女が手にした槍の穂先には、武将のものらしき首が掲げられている。
「……そこの人。ちょっと聞きたいのだけど」
と、道三に声をかけてくる女性。どうやら『斎藤道三』であるとは気づいていないらしい。一応着物には斎藤道三の家紋である二頭立波がついているのだが。
帰蝶も着物の二頭立波を見ても斎藤道三だと気がつかなかったので、似たもの姉妹(仮)と言えるのかもしれない。何のフォローにもなっていないが。
「うむ、なにかな?」
まるで好々爺のように笑いながら優しく応える道三であった。帰蝶が見れば『うわ、キモっ』とドン引きするだろうし、何だったら隣にいる道利もドン引きしている。
「ここは稲葉山城よね? 斎藤帰蝶って子がいると思うんだけど……」
ほぅ、と道三が口角を吊り上げる。
「――儂の娘に、何か用かね?」
「……娘?」
「うむ」
「となると、あなたが斎藤道三?」
「うむ。斎藤山城守である」
「……知らぬこととはいえ、ご無礼をば。拙者、越後守護代長尾晴景が妹、長尾景虎で御座います」
「ほぅ、越後の? そういえば越後には『軍神』がいると聞き及んでいたが……その首は、誰のものであるか?」
「さぁ? 偉そうにしていたのでとりあえず落としておいたのだけど――おいたのですが」
慣れない敬語を使いながら、槍の穂先に括り付けた首を差し出す景虎。それはつまり槍の穂先を道三に突きつけることを意味しており、拙い敬語など吹き飛ぶほどの無礼なのだが……。道三は気にするでもなく槍からぶら下がった首に自らの顔を近づける。
「う~む、どこかで見た顔だが、歪んでおってよく分からぬな。これだから首検分は嫌なのだ」
死の苦悶からか首だけになった男は大きく表情を崩しており、しかも髪も乱れているので知り合いであっても中々判別は難しいだろう。……それにしたって顔くらい分かるはずなので、道三的な遊びなのかもしれない。
「……おそらくは、安藤守就かと」
見かねた武井夕庵がそっと耳打ちした。
「ほぅ、安藤か。あの突撃から敵将の首を落としてみせるとは真に見事。これは礼をせねばなるまい。……帰蝶は今出かけておるのでな、まずは屋敷に招待しよう。帰蝶の作った『湯船』にでも浸かり、旅の疲れを癒やすがよかろう」
「……そうね、そうさせてもらうわ……もらいます」
湯船が何かはよく分からない景虎であったが、とりあえず頷き、艪を漕いでいた小島弥太郎と共に稲葉山城へと向かうのだった。
ちなみにこの景虎、結果的に置き去りとした直江ふえのことはすっかり失念しているのである。斎藤道三という超大物が登場したせいなので是非も無し――と、ふえが思ってくれるかは不明である。さすふえ。




