閑話 忠義と誇り
苗木 (遠山)武景の家老である男は、最初からこの戦に反対だった。そもそもが同族同士の戦いになるし……斎藤の血縁であり、嫡流を側仕えさせている明智家を相手に戦を仕掛ければ斎藤道三が出てくる可能性が高かったためだ。
しかし、美濃守護である土岐頼芸の後ろ盾と、木曽氏との同盟を結んだ武景は驕り高ぶっていた。今なら領地を広げる好機であると判断した。
武景だけならともかく、遠山景前も同調した今。男がどれだけ反対しても決定は覆らないだろう。ならば、明知城を速やかに落とし、襲来する斎藤勢に備えるしかない。
幸いにして土岐頼芸と協力関係を築けたから、斎藤道三を牽制してくれるはずだった。道三も多くの兵をこちらへは割けないはずだった。
だというのに。やってきたのは数千はいるであろう大軍勢。しかも、こちらが明知城を包囲してからたった一晩で移動してきた。
明らかに情報が漏れていたのだ。
しかし、稲葉山城から明知城まで移動したのならかなりの強行軍だったはず。態勢を整える前に強襲すれば、数の不利を覆せるかもしれない。そう判断した苗木と遠山連合軍は斎藤勢に対して戦を仕掛けた。
正確を期するなら、明知城の兵との挟み撃ちを受ける危険が高かったので、それより先に一方を撃破するしか生き残る道がなかったのだが。
数は不利でも、長距離移動で疲れ果てた兵相手ならば。
そんな希望は、鉄砲の集中射撃によって粉々に粉砕された。
たった一回。
たった一回の射撃で我が方の軍勢は潰走し、命からがら岩村城、そして苗木城へと撤退した。
数えるのもウンザリするほどの鉄砲。そして、櫓を一撃で倒してしまう大鉄砲。
苗木城を目前として、悠然と態勢を整える斎藤勢を見て、家老の男は敗北を確信した。そもそも敵はこちらの倍以上いるというのに、まったくと言っていいほど消耗させることができなかったのだ。いくら苗木城が大規模な山城とはいえ、あれだけの兵に攻め立てられればすぐに落城するだろう。
――族滅。
苗木遠山氏の滅亡。
それだけは、何としても避けなければならない。
家老の男は主君である武景を逃がすことにした。同盟相手である木曽氏の領地にまで落ち延びれば、斎藤もそう簡単には手を出せないだろう。そうして体制を立て直し、いつかの御家再興を期待するしかない。
このまま城を包囲されれば脱出するのも困難になる。
だからこそ、男は残り僅かとなった軍勢を率いて打って出た。城の前で敵との野戦を行っている間に、主君を信濃へと逃がすために。
しょせんはただの時間稼ぎ。武士らしい最期を望んだわけではないし、一騎打ちなど夢のまた夢だと分かっていた。
だが、こちらの矢も届かない距離から鉄砲で一方的に虐殺される光景は、もはや悪夢としか思えなかった。
「う、うわぁああぁあああっ!?」
兵が次々と逃げ出す中、男は鉄砲の爆音のせいで暴れる馬を必死で宥めながらその場に留まった。ここで逃げたところで落ち武者狩りにあうだけ。ならば少しでも目立ち、大将首だと思わせ、武景の逃げる時間を稼いだ方がいい。
ただ一人残った男に向けて、再装填を終えた鉄砲の銃口が向けられる。
「――たった一人に飛び道具か! 斎藤家には武士が一人もおらぬのか!?」
槍を大げさに振り回しての挑発。もちろん男としても本気で一騎打ちができると思ったわけではない。ただ、ただ、時間稼ぎがしたかっただけで。こちらに向けられた鉄砲の恐怖を吹き飛ばしたかっただけで。
帰蝶の育てた近衛師団とは、その本質は傭兵である。戦場で目立ったところで土地をもらえるわけではないし、武士の誇りなんてものは最初から持ち合わせていない。
だが。
一人、いた。
帰蝶の家臣でありながら近衛師団の人間ではなく。土地などどうでもいいと考えながらも『武士としての名誉』を何よりも重んじる男が。
「――やぁやぁ我こそは! 斎藤山城守が娘、斎藤帰蝶が家臣、前田慶次郎である! 腕に覚えの者よ、手合わせを願う! いざ尋常に、勝負! 勝負!」
何とも見事な武者振りであった。
絵巻物に出てくる源平武者のようであった。
これは勝てぬ。
あの丸太のような腕を見よ。巌のような肉体を見よ。すでに年老いた自分では勝負にすらならないだろう。
だが、だからといって逃げるわけにはいかぬ。
主君を少しでも遠くへ逃がすために。そして、――自分自身の誇りのために。
「やぁやぁ我こそは――!」
高らかに名乗りを上げた男は、見事なる若武者に向けて馬を駆けさせた。




