閑話 今川、動く
――末森城。
織田信秀(信長父)と織田信光(信長叔父)は膝をつき合わせるような近さで密談を行っていた。
「今川が兵を集め始めたようだ」
「ほぅ、ついに来ますか……。田植え前に一戦かと思っておりましたが、意外に遅かったですな」
「おそらくは松平広忠の動きが予想外だったのだろうな。だが、あちらが動くからにはこちらも準備しなくては。近いうちに広忠からも援軍要請がくるだろうしな」
少々悩ましげな信秀に向けて、信光が潜めた声を出す。
「広忠ですが、見捨てるという手も」
「ほぅ?」
「すでに竹千代(徳川家康)はこちらの手にあるのです。広忠は今川に『処分』してもらい、後々竹千代を旗印に三河を獲るという手も……」
「興味深いが、駄目だな。父親を見捨てれば竹千代も反目しよう。それに、ここで岡崎城を見捨てれば周囲の国人は二度とこちらの味方にはなるまい」
「……それもそうですな」
さして本気の提案ではなかったのか信光が持参した地図を広げた。もちろん帰蝶が用意するような精度の高いものではないが、各地の城や河川の配置くらいは分かる。
「では、合戦ですか。こちらは安祥城を根拠地とすることになりますが……」
「であれば、信広(信長庶兄)に先鋒を任せることになるか」
「……不安ですか?」
「彼奴はどうにも直情的すぎるのでな。勢いに乗っているときは安心だが、そうでないときは……。最前線を任せればもう少し増しになると思っていたが」
「はは、まだ若いですから、そこは儂らが助勢するしかないでしょう」
「で、あるか」
「問題は尾張の守りですか」
織田大和守(信友)率いる清洲衆とは和睦の話が持ち上がっているが、まだ実現したわけではない。今川との合戦に兵力を抽出すれば、その隙を狙って攻めてこないとも限らないのだ。
「道三に援軍を頼むという手もありますが……」
「はっはっはっ、婚姻もまとまっていないのに援軍を乞うてみろ。大和守と共に攻め込んでくるぞ」
「……マムシですからなぁ。大和守と通じていても不思議ではありませぬか」
「で、あるな。……末森城は勘十郎(信勝・信長弟)。那古野城の守りは三郎(信長)に任せる」
「ほぉ、」
勘十郎が任せられる末森城の守りはあまり深く考えなくともよい。清洲衆が攻め込むならば、まずは那古野城を攻め落とさなければならないからだ。
逆に言えば、那古野城は重要拠点となる。信秀方の城の中で敵城(清洲城)から最も近く、末森城を狙うなら真っ先に矢面に立つ城であるからだ。
そんな城の守りを、城主とはいえ信長に任せる。信長を戦に連れて行き、信頼できる者に城代をさせるという手もあるのに、迷うことなく。
(やはり後継者は三郎であったか)
今川との最前線である安祥城の守りを長年信広に任せているから、もしや信広に後継者としての『手柄』を立てさせるつもりではないかという噂もあったのだが……。信光の期待通り、すでに後継者として信長を決めていたらしい。
(三郎も初陣を飾ったことだしな。そろそろ戦の手ほどきを始めてみるか)
そんなことを考えながら信光は信秀と戦の詳細を詰めるのだった。




