閑話 とある牢人の物語
――男が美濃に来て、『近衛師団』に入ってから数ヶ月の時が過ぎようとしていた。
かつて些細な諍いから人を殺め、故郷にいられなくなった男は職を求め、近場で最も発展している美濃稲葉山へとやって来たのだ。
国主・斎藤道三の娘である斎藤帰蝶は女だてらに人を集め、軍隊――『近衛師団』を組織していた。
ある程度の教養がある者なら『近衛』という名前に噴飯するしかないが、実情を知ればあながち笑ってもいられなかった。
まずは、見た目。
自前で準備することも多い甲冑その他の装備はすべて支給品であり、全員が同じ形のものを使っていた。
『制服』という、高価な生地で作られた画一的な服は部隊の統一感と士気を高め、その格好良さは入隊希望者を殺到させているという。
さらには戦闘能力の高さ。
高価な火縄銃を一人一人に持たせていることはもちろんのこと、銃の扱いを教えているのはかの有名な雑賀衆なのだ。もしも戦場に投入されようものなら、自画自賛になるがかなりの活躍を見込めることだろう。
見た目と、力。
あとは『御上』に認められさえすれば、冗談ではなく近衛として活躍することもできるはずだ。
ちなみに支給された甲冑や火縄銃を盗んで売り払えばちょっとした財産を築くこともできるが、そんな『帰蝶を敵に回す』ような人間はいない。……今は、いなくなった。
そんな近衛師団であるが、閲兵式典のとき以外は地味な日常を送っている。
朝起きてからは、甲冑を身につけ、一時間ほど射撃を含めた訓練を行う。その後は甲冑を装備したまま『ジョギング』という駆け足で『現場』へと向かう。
現場に到着後はすぐに甲冑を脱ぐ。
現場でやることはそのときどきによって変わってくるが、基本的には穴掘りをしたり岩を運んだり木を切ったりしている。帰蝶が言うには『土木工事』というものらしい。普請のようなものだろうか。
甲冑を身につけ、駆け足で現場に向かい、汗を流し、昼飯を食ったらまた土木工事。そしてまた甲冑を装備し、駆け足で稲葉山の城下町へと戻る。その後は自由時間なので酒を飲んだりそういう店で楽しんだりする。
正直言ってキツい仕事だ。
普通に足軽でもやっていた方がよほど楽だろう。
最初の頃は現場への駆け足だけで疲れ果ててしまったし、土木工事には今もまだ慣れたとは言いがたい。
そんなキツい仕事を続けられているのは、やはり給料が良いことと、飯が美味いからだろう。
給料は元牢人相手とは思えないほど高く、無料で支給される飯はどれもこれも美味いし、量も多い。『薬師如来の化身様』の許可の元、堂々と肉を食えるのも素晴らしい。
……いくら銭払いが良くても、稲葉山には賭場も多いし、いい女も揃っている。飯はともかく酒は有料なのですぐに銭もなくなってしまうのだが……。男は節制する気なんてなかったし、貯金するなどもってのほかであった。
――牢人や浪人には二種類の人間がいる。
戦場で活躍し、立身出世を目指す者。
出世などしなくてもいいから、日々生きていけるだけの銭と飯、そして娯楽を求める者。
男は、後者だった。
出世欲などというものはなかった。
……いいや、部隊指揮官になりたい程度の出世欲はあるにはあるが、それだって『最前線の兵士より指揮官の方が死ににくいから』という理由からだ。自身の出世のため、命すら投げ出して戦場に突撃していく連中とは、やはり精神性が大きく異なっている。
少しでも長く生きて、酒を飲み、女を抱き、博打ができればそれで良かった。そして現状では出世などしなくとも人生を楽しめるほどの銭をもらえている。
こんな毎日が過ごせれば十分。なるべく戦場には行きたくはないが、傭兵という職業柄、そういうわけにもいかないだろう。
だが、男は昔ほど戦場を恐れてはいなかった。
各部隊には十分な量の阿伽陀(ポーション)が配備されているし、常任で一人の治癒術士がいるからだ。いざ戦ともなればその数はさらに増えるだろう。増やしてくれるという信頼が、斎藤帰蝶に対してあった。
昔に比べれば、死ぬ可能性はかなり低くなった。死ぬ可能性が低いなら、過剰に恐れる必要はない。
さすがに即死してしまえばその限りではないが……。その時は、運が悪かったと諦めるしかない。
まぁ、『即死』したら諦める暇もないだろうが。




