閑話 決意
月明かりの中。長尾景虎は一人酒を嗜んでいた。
まだ越後は田植え前だというのに生温い風が吹いており、今年の夏の暑さを予感させている。
――景虎は悩んでいた。
原因の一つは周りの人間だ。頼んでもないのに兄である晴景を排除し、景虎を長尾家の当主に据えようと騒いでいる。
景虎には常識がないが、それでも、女が当主になるのはないということくらいは分かる。
そもそも景虎は政に興味などない。越後の民がどうなろうが気にならないし、自分が何かやったとしてもいつかの滅びは変わらないと考えている。ましてや『家』の存続がどうこうなど……。
そんな人間が、民草のための政を志している兄を排除して長尾家の当主になるなど……笑い話にもならない。
……その『笑い話』が実現してしまいそうなほど、兄晴景の統治能力が見限られているのだが。
勘違いされがちであるが、晴景は決して無能というわけではない。むしろ、父親の無茶な拡張路線を変更し、外交を主とした『戦わない』統治は見事なものだと感心してしまう。
しかし、結局のところ。戦国の世で重視されるのは『戦の強さ』なのだ。
どんなに素晴らしい政を行おうと、戦に負ければすべてを奪われてしまう。
国を守るためには戦に勝たなければならないのであり。皮肉なことに、もっとも政に興味のない景虎が、もっとも戦に強かった。
そして、もう一つ。景虎を悩ませている原因が――帰蝶という存在だ。
景虎は政に興味がない。どんなに素晴らしい国を作ろうと、いつかは滅びるのだから無意味だと考えている。
そんな彼女が、今、『帰蝶が作る国』に興味を抱いていた。
どんな国ができるのか。
どうやって作り上げるのか。
それを、近くで見てみたいという欲求に囚われていた。
「……………」
盃に酒を注ぐ。白濁とした液体はいつもならすぐに消えてしまうのだが、景虎は盃を傾けることなくじっと酒を見つめていた。
――人間五十年。
五十年の間にどんな名声を得ようと、どれだけ富を得ようとも、それは一睡の間に見る夢のようなものであろう。
一盃の酒は飲めば消えるし、一睡の夢はいずれ醒める。
酒を惜しんでもしょうがないし、夢に浸っても意味などない。
どんなに頑張ってもいつか人は死ぬし、どれだけ民を思ってもいずれみんないなくなる。
ならば。
――楽しいことをやってもいいじゃないか。
どうせ滅びるまでの間。後先考えずに楽しんだっていいじゃないか。
そして、景虎が今一番楽しめそうなことといえば――
「――美濃国、だったわね」




