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閑話 マムシ親子


 ――稲葉山城。


 斎藤道三の居館を義龍が訪れた。

 親子とはいえ、すでに義龍は一城を任された身。用事もなく稲葉山城を訪れることはない。


 久しぶりに息子と会えて嬉しいのか、道三はどこか機嫌が良さそうだ。……ただ単に『愛娘の自慢話』を聞かせる相手がやって来て喜んでいるだけかもしれないが。


 上機嫌なまま道三は湯を沸かし、茶を点てはじめた。さすがは京都の茶匠・梅雪軒に教えを請うただけはあって見事なお手前だ。


 音もなく道三が茶を差し出してくる。


「帰蝶によると、こういうときは『粗茶ですが』と謙遜するらしいな。無論、美濃で手に入る最高級品ではあるが」


「…………」


 道三が手ずから淹れた茶。並の人間では毒殺を疑うところだが、義龍は迷うことなく茶を飲み干した。


 その様子を満足げに眺めてから道三が切り出した。


「おぬしから訪ねてくるとは珍しいな。帰蝶が何かやらかしたか?」


 どこかおかしそうに尋ねる道三。まず真っ先に『帰蝶のやらかし』が話題に出てくるあたり、帰蝶はもう少し生き方を見直すべきであろう。


「帰蝶はやらかしておりますが……それは昔からですので。今日のところは別件となります」


「別件?」


「近ごろ、『斎藤義龍は土岐頼芸の息子である』との噂が美濃の各地に広まっておりますが……。広めているのは、父上でありますか?」


「ほぅ、気づいたか。さすがは我が息子よ」


 満足そうに頷く道三。悪気のない様子に思わずぶん殴り――ではなく、文句の一つも付けたくなる義龍である。


「父上。残念ですが、気づいたのは帰蝶です」


「……帰蝶か。見抜かれるような手抜かりはなかったはずであるが。末恐ろしい娘よな」


「帰蝶から苦言を呈されました。我ら親子は不器用なのだから、たまには腹を割って話し合った方がいいと」


「…………」


 思い当たる節があるのか苦い顔をする道三であった。


「父上。噂を広めた理由は何ですか?」


「知れたこと。――土岐頼芸を討ち滅ぼす『大義名分』を手に入れるためよ」


「大義、ですか?」


「うむ。大人しく鷹の絵でも描いておるなら命までは取らぬところを……。あやつは儂だけではなく、光秀や帰蝶の命すら狙ったからな。その報いは受けさせなければなるまい」


「帰蝶の命を……」


 それは滅ぼさなければな、と即決する義龍であった。残念ながら戦国時代に『シスコン』という言葉はない。


「だが、腐っても元の主で、美濃守護であるからな。下手に手を出しては汚名を被ろう。そのためには大義が必要――いいや、大義にすら至らぬ『小義』でも十分だと考えていた。他の人間が『そういうことならしょうがない』と納得できる程度の理由を得られれば、あとはどうにでもなるからな」


 自分だけならともかく、これ以上悪名を広げては子供である帰蝶や義龍に悪影響が及ぶだろうから。と、口にしない道三はやはり不器用な男であろう。


「…………」


 そして、道三の不器用さを義龍は理解した。


「父上。謀略を練ることは止めませぬが、せめてこちらにも相談していただきたく。……今回の噂でも、ずいぶんと心を乱されてしまいました」


「……そうであったか。すまぬな義龍」


「いえ、こちらが未熟であっただけですので。こうして父上と話し合うきっかけを作ってくれた帰蝶には感謝をしてもしきれませぬ」


「帰蝶か……」


 道三が何とも言えない顔をする。娘のことを誇っているような。けれども、どこか憂えているかのような。


 ふむ、と道三が顎髭を撫でる。


「義龍は、帰蝶をどう見た?」


「年頃の娘とは信じられませぬな。美濃一国だけではなく、さらにその先を見据えております。あれは、まるで――」



「――神のごとき視座。で、あるか?」



「…………」


 道三の言葉に、義龍は帰蝶とのやり取りを思い出した。


 東濃の遠山氏をつつく(・・・)と提案した帰蝶。

 対武田を考えれば東濃の支配強化は必須とも言える。が、一応東濃は戦乱らしい戦乱もない平穏な状態。帰蝶の提案は、それを自らの手で崩すことに――東濃を戦乱に巻き込むことに繋がる。


 当然帰蝶も気づいているだろう。しかし、あえて義龍はその事実を問うた。分かっているのかと。その覚悟はあるのかと。


 帰蝶は、笑った。


 すべてを見通すように。

 すべてを受け入れる仏のように。




 ――それが今後数百年の平和に繋がるのならば。私は、迷いません。




 神のごとき視座だと道三は言った。遙か高き天上から下界を見渡すような視点であると。


 道三は、分かっている(・・・・・・)


 ならば、当然分かっている(・・・・・・)だろう。


「父上。帰蝶は……」


「うむ、危うい。神のような視座を持ちながら、人としての心を捨てきれぬなど……」


「…………」


 その慧眼に、思わず義龍は頭を垂れた。さすがは父上。さすがは美濃国主にまで上り詰めた御方であると。


 この男とならば、腹を割って話すことを躊躇う必要もない。


「父上。帰蝶には側で支える人間が必要ですな」


「で、あるな。儂もせめてもの慰めにと弟妹を側仕えにしようと段取りを立ててはいるが……」


「…………」


 正直、どれだけの効果があるかは分からない。道三の子供という意味では間違いなく『家族』であるが、十年もの間行方不明であった帰蝶にとっては『他人』も同然であろう。


 それを道三も理解しているのか、彼の表情は厳しい。

 しかし、それでも現状では最も期待を持てる手であることに変わりはない。


 ……どこかにいないものか。


 帰蝶の側にあり。

 帰蝶の特異さを理解し。

 それでもなお、帰蝶を支えてくれる。帰蝶がやり過ぎないよう止めてくれる。そんな人間が……。


 言葉を発するまでもなく同じ悩みを共有する道三と義龍。二人の思考が堂々巡りに陥りかけたところで――庭先から、若き声が響いてきた。




「――我が名は織田三郎信長! 尾張那古野より遠路遥々(はるばる)嫁取り(・・・)に参った!」




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