10.親バカ道三
お姫様の一日はけっこう堅苦しい。
まず着替えなどの身だしなみは女中さんがやってしまうし、自分でやろうとすると怒られる。……着物の着付けなんてできないからどっちにしろ任せるしかないけれど。
もちろんお歯黒、引き眉は断固阻止だ。これだけは絶対に譲れない。
『眉を剃られても魔法で元に戻せるのだからいいのでは?』
「そういう問題ではありません。これは乙女心の大問題なのです」
『なぜ敬語……?』
化粧も色々ヤバいけど食事もアレだ。質素というか栄養バランスなんて概念はなく、そもそもの問題として動物性タンパク質が足りない。そりゃあ平均寿命が短くなってもしょうがない。これも近いうちに改革しないといけないだろう。とにかく肉だ、肉を食わせよう。
『古い時代の日本には五畜という考え方がありまして。天武天皇が牛、馬、犬、鶏、猿の肉食を禁じていました。牛は耕作の手伝い、馬は人を乗せる、犬は番犬、鶏は時を知らせる、猿は人間に似ているためだそうです』
「わざわざ禁じたってことは猿を食べてたのか昔の人……」
『禁止期間は農耕期である四月から九月までとされていました』
「結構ゆるいね。まぁ冬場にそんなこと言っていたら飢え死ぬか」
『以降、日本では長らく肉食が避けられてきました。神道による穢れの考え方や殺生を避ける仏教の教えも影響を与えたと考えられています』
「信仰心で健康を害したら世話ないね。宗教ってのは人を救うためにあるのに」
『ただし武士や庶民の間では隠れて肉食がされていたようです。五畜以外の野鳥やイノシシなどはもちろんのこと、五畜でも犬や猿は特に好んで食べられていたようですね』
「やっぱり猿を食べてたのか昔の人……しかも好んで……」
『そもそも戦国時代は小氷河期。飢饉で生きるか死ぬかの瀬戸際にいるときに『でも私は肉を食べません』なんて言える人はごく少数でしょう。そしてそういう高潔な人間から飢え死ぬと』
最後にちょっと毒を混ぜるプリちゃんだった。結論するなら意外と肉食も受け入れられるんじゃないかってところだろう。
まぁとにかく朝起きて着替え、食事ときたらお勉強だ。内容としては武家の作法やら歌、茶道、書道や古典といったものを一通り習わされる。元の世界の貴族作法が応用できるものが多かったのでそれは不幸中の幸いだったかもしれない。
そんな七面倒くさい授業は『父様から命じられた仕事がありますので』と午前中で切り上げて、午後は光秀さんたちを自室に呼び、治癒魔法を教えたりそれ以外の応急処置を教えたりして過ごすことになる。
治癒魔法に使う魔力も有限。小さなケガなら普通の応急処置をした方がより多くのケガ人を治せるからね。
応急処置を習得させたら今度はちゃんとした医学を教えよう。幸いにしてみんなやる気はあるようだし。特に光秀さんなんて『あなた将来医者になるんですか?』ってレベルで勉強しているもの。
『明智光秀は前半生において医者をやっていたのではないかという説もありますからね』
「手広くやり過ぎでしょう明智のみっちゃん……」
日常になりつつあるそんな一日を過ごしていると家臣の男性がやって来て、お父様が呼んでいることを教えてくれた。
◇
「治癒魔法を教えるのは構わんが、帰蝶の部屋に招くのはいかん」
父様に呼び出された私はそんなことを言われた。
「あ、はぁ……?」
「いとこであり小姓である光秀や、元々帰蝶の女中であった千代はともかく、下男の権兵衛が出入りするのは許さん」
怒っている、というよりは不安そうな顔をしている父様だった。
『親バカですね。まぁ行方不明だった娘が――しかも正室にしようとして叶わなかった女性の忘れ形見がやっと帰ってきたのですから必然でしょうけど』
ふ~ん……。
いい機会だなと私の中で悪魔がささやきかけてきた。最近は『お姫様』として一日中城にいて堅苦しい生活をしているけれど、この件をうまく使えば城下に遊びに行けるようになるんじゃないかなぁと。
もちろん私の心の中には天使なんて胡散臭い存在はいないので悪魔の提案に全力で乗っかりますともさ。
「しかし父様。場所がなければ教えることもできません」
「別の部屋を用意しよう」
「これから徐々に才能のある人間を集めていけば、部屋では手狭になります」
「……近いうちに小屋を作らせよう。それまでは城内の部屋で我慢してくれ」
「分かりました。もちろん新しく作る小屋は城の外――城下町に作るのですよね?」
「……はぃ?」
父様が『なんでそうなるの!?』といった顔で私を見つめてくる。分かり易すぎだし取り乱しすぎ。この人本当に美濃のマムシなのだろうか? 同姓同名の別人じゃない?
「父様はおっしゃいました。治癒魔法をいずれは斎藤の一族や家臣だけではなく、城下の者にも教えてやって欲しいと。無関係の人間を稲葉山城に入れるわけにもいきませんし、となると城下町に小屋を作るしかないのでは?」
「……いや、別に城に招き入れても……」
「防衛施設である城。しかも美濃における最重要拠点かつ斎藤家にとっての最後の砦がこの稲葉山城でしょう? そう簡単に第三者を招き入れてはいけませんよ」
城の縄張りは軍事機密。部外者には絶対に知られてはいけないものなのだ。
「……じょ、城下町は危険が多い。帰蝶を行かせるわけには……」
「そのために護衛の光秀さんがいるのでしょう? それに、父様を暗殺しようとした足軽たちを私が排除したことをお忘れですか? 私、これでも結構強いですよ?」
なにせ師匠から『銀髪美少女剣士って格好いいよね!』というどうしようもない理由で剣術も叩き込まれたし。攻撃魔法による遠距離戦から接近戦までこなせるハイスペック美少女なのだ私は。
父様がどこか面白くなさそうにそっぽを向く。
「……帰蝶が城下に行ったら、親子として話す時間も減ってしまうではないか」
もしかしてそれが本音ですか?
「そもそも父様は忙しくて日中はそんな時間も取れないでしょう? その間に城下へ行っても問題はないはずです」
「ぬぅ」
「大丈夫ですよ。夜には帰ってきますから」
「夜はいかん。夕方、いや日が傾きはじめたら帰ってきなさい」
日が傾きはじめたらって、それ、午後になったらってことじゃありません?
「では正午過ぎたら帰ってきますわ。それでいいでしょう?」
「…………、…………………わかった。城下に小屋を準備させよう」
「ありがとうございます。もちろん、すぐに作ってくださるのですよね? わざと建設を遅らせるのなんてダメですよ? 私、仕事の遅い男性は嫌いです」
「…………………………………………………も、もちろんだとも。すぐに準備させようじゃないか」
このマムシ、娘バカすぎである。