26.堺から帰る日
そして翌朝。
「――はっ!? また逆夜這いを仕掛けるのを忘れた!」
帰蝶ちゃん一生の不覚である!
『……実際あなたが一番魂を穢す確率が高いのでは?』
まったく失礼なプリちゃんであった。こんな純真無垢な私がどうやって他人を穢すというのか。
『そういうところです』
こういうところらしい。解せぬ。
まぁとにかく、みんなが起きてきたところでアイテムボックスにしまっておいた贈り物を取りだし、宗久さんに協力してもらって目録を作っておく。うん、ちょっと買いすぎて小山になっているけれど、気にしないことにする。
『実際、敵国の姫が急にこれだけの贈り物をしてきたら怪しいことこの上ないですよね。しかもマムシの娘が』
完全な善意もマムシの娘というだけで疑われてしまうらしい。おのれ美濃のマムシ、許さんぞ。
『そういうところです』
こういうところらしい。解せぬこと山のごとし。
と、私とプリちゃんのやり取りが聞こえたわけじゃないだろうけど。平手政秀さんが内緒話をするように近づいてきた。
「……帰蝶様。これだけの贈り物となれば、信秀様 (信長父)ならばともかく、他の者が見ればいらぬ誤解を与えましょう」
「うん?」
「不躾な願いであることは百も承知ですが、ここは帰蝶様からの贈り物ではなく、信長様からの贈り物であるということにしてくださらないでしょうか? 無論、信秀様には真実を伝えます故」
ははーん?
「……なるほど。三ちゃんがこれだけの贈り物をしたともなれば、今まで『うつけ』と侮っていた連中も評価を改めるしかなくなるでしょうね」
大量の贈り物を買えるだけの資金力と、珍しい品々を集めることのできる商人との繋がり。どちらも『戦国大名』をするには必須と言えるものであり、それらを有していると織田家の人間に示すことができるのだから三ちゃんの家督相続に有利に働くことでしょう。
「……さすが、帰蝶様ですな」
なんだか『さすが腹黒』とか『さすが道三の娘』的な評価をされている気がする。いや気のせいよね。私ほど腹の白い人間はいないのだから。
『……人間?』
プリちゃん疑問に思うのはそこなんですか? せめて腹白って部分に突っ込んでくれませんかね?
『最近って『黒』のことを『白』って言うようになったんですか?』
どういうことやねん。
まぁプリちゃんと決着を付けるのは後にするとして。約束通り、尾張の那古野城に三ちゃんたちを転移させることにした私である。
『……本人が同行しない、五人以上の集団転移。しかも堺から尾張まで……いえ、主様の非常識さに驚いても仕方ありませんか』
驚いてくれていいんですよ? 私、驚かれて伸びる子だから!
『なんという傍迷惑な』
自己顕示欲が強いといってもらいたい――いや人聞きが悪すぎるわね、これだと。
ま、いいや。
「はいは~い、集まって~。舌を噛むと大変だから歯を食いしばって~。初めてだと目を回すかもしれないから目を閉じてね~」
私の引率通りに皆が集まったところで大気中の魔素をかき集め、一気に魔力へと変換する。
「――ゆく道に幸福を。ゆく先々に安寧を。修羅道中の狭間にて、僅かばかりの安らぎを」
呪文を唱えると三ちゃんたちが光に包まれ、次の瞬間にはその姿はかき消えていた。
一応探知してみると――うん、ちゃんと那古野城まで転移できたみたいね。さすがは帰蝶ちゃんである。
おっと、賄賂……じゃなくて、築城記念のお祝い品も転移させないとね。三ちゃんと同じ場所に転移させて~っと。ふっ、完璧。これでお義父さまからの好感度はうなぎ登り間違い無しね。
『……あの、』
うん? どうしたのかなプリちゃん? 私の完璧な仕事っぷりに惚れ直しちゃった?
『そもそも惚れてないのでありえないですね』
辛辣な友である。
『そうではなくて、ですね……信長たちと同じ場所に贈答品を転移させたら、信長たちの頭上に贈答品が現れ、落ちてくるのでは? 唐糸や昆布とかならともかく、太刀やら金貨やら精銭となると……』
「あ、」
ま、まぁ、名だたる武将たちなんだから何とかするでしょう、きっと。
三ちゃんたちを全面的に信頼した私は何も気づかなかったことにした。すべて世は事も無し。
『あなたがいる時点で天変地異が起こりまくっているのでは?』
どういうことやねん。
◇
腹の中をねじ曲げられるような不快感を経た後、信長たちは奇妙な浮遊感に襲われた。
慌てて目を開けると、自分たちの身体が空中に投げ出されていることに気づく。
「ぬわぁああっ!?」
そこそこの高さからの着地となったが、そこはさすが戦国の世に名を轟かせることになる武将たちである。ケガ一つなく地面を踏みしめることに成功していた。
そうして一息つき、周囲を見渡す余裕ができた信長たちは……一瞬状況が理解できなかった。
眼前に存在するのは、間違いなく見慣れた那古野城。先ほどまで堺にいたはずなのに、今はもう海もなければ帰蝶の姿もない。
堺から尾張まで、一瞬で。
「…………」
たとえば、この“力”を軍事に応用したらどうなるだろうか?
遠く離れた城から城への正確かつ瞬時の情報伝達。
籠城する城へ水や兵糧を運び込むこともできるだろう。
安全に敵地へと潜入し、情報を集め、確実に国元へ持ち帰ることもできるはずだ。
あるいは、敵対者の暗殺だって……。
そこまで考えた信長は、それ以上考えることを止めた。帰蝶の発言を思い出したためだ。
『あとねぇ。――私の“力”目当てで寄ってくる男とか、ほんと無理』
口調は軽く。深刻さは微塵もなく。だというのに信長は帰蝶が泣いているように見えた。それ以上帰蝶を放っておけなかった。だからこそ刀の鯉口を切り、帰蝶と義輝の間に割って入った。
帰蝶の側にいたいなら、帰蝶の“力”を利用してはならないし、したくない。
信長がそんな想いを抱いていると――不意に、空が暗くなった。
周囲は明るいのに、信長たちの周りだけ暗くなるという奇っ怪な状況。
訝しんだ信長が頭上を見上げると――、降ってきた。
太刀が。
金貨が。
昆布が。椎茸が。唐糸が。その他帰蝶が買い集めた贈答品の数々が降ってきた。よりにもよって信長たちめがけて。
「お、おのれ帰蝶ーっ!」
せめて場所はずらして送ってこい! という信長の言葉は最後まで発せられることはなかった。落下してきた贈答品の山に埋もれてしまったためだ。
奇跡的に死者はなく。
奇跡的にケガ人もいない。
まぁつまり、すべて世は事も無し。帰蝶がやらかしたにしては被害が少ない方である。