第六節
一週間程度、散らかり放題だった家のゴミたちを、ある程度の片づけを終えたマミは、ムムをリビングの椅子に誘導した。散らかった原因の一つが、ルミが最近はまっている折り紙によるものだが、マミはルミに片づけを求めたりはしない。自分が姉であるという強い責任感を持っているからだ。
昨日とは違い、コーヒーの缶を手に持つ。ドロップしている間の時間も惜しいと言わんばかりに、作業途中だったマミのことを椅子に座らせたムムは、目を赤く光らせたまま聞いた。
「マミちゃんから見て、どんな人だった?」
「昔は普通のお母さんだった、と思う。厳しいとこもあったけど、その分優しかった」
「……それが変わってしまったのはいつ?」
「詳しくは覚えてない。でも、ルミが生まれてすぐだった事は分かる。ルミが生まれてから、始終家に閉じこもりきりで。お父さんは頻繁に帰ってこないし、気づいていなさそうだったけど。それからは、ほぼすべての家事を私がやりました。できないとルミも私も生きていけないし。余裕がなくなった感じでした」
「マミちゃんに心当たりはある?」
「心当たり、はないですけど。でもお母さんの秘密なら」
「秘密?」
「お母さんは、お父さんのこと好きじゃないと思う。お父さんの片思い」
片思い。ムムはマミの言葉を一言一句聞き漏らさないようにしながら意味をゆっくり咀嚼していく。
モミジと初めて会ったとき、幸せそうに見えた。奥さんがいて、守るものがあって、子供にも恵まれて。スピード婚だったと記憶している。確か、そう。マミがお腹に宿ったから結婚したのだと。別に望まない妊娠だという感じでもなかった。ムムはユズに会ったことはなかったものの、モミジとは頻繁に会っていたからか、その過程の話をなんとなく知っている。とても嬉しそうに話すモミジの顔が蘇った。
ムムは言葉を選びながら慎重にマミに聞く。
「お母さんを最後に見たのはいつ?」
「私が六歳か七歳の時です」「マミちゃんとルミちゃんは今いくつ?」
「わたし七さい」「私は十二歳です」
つまり、五年ほど前。
「お母さんは私たちのことが嫌になったんじゃないですか? だから邪魔になった私たちを置いてどこかに行った」
「想像力があるのはとてもいいことだよ。きっとマミちゃんは探偵に向いているかもね。あとは……そう、証拠が必要だね」
「証拠?」
「マミちゃんの仮説を真実へと導くためには、君たちが愛されていなかったという証拠が必要だ。でも、そんな感じには見えないよ」
そう言ってムムは両手を広げた。
「君たちが生まれる前後くらいに、木は子供に良いというマーケティングが流行った。今ではそんな古い思想を持つ人は減ってしまったけれどね。だからここはこんなに木がいっぱいなんじゃないかな? 君たちの名前が彫ってある家具もいくつかあったし」
ムムの言葉にマミは少し顔を歪めた。
「君たちの出産は望まれていた、というのが私の仮説だ。だからこそ、原因は他にあると思った」
マミは何も言わない。ムムの魔法にかかったように黙ってマミに耳を傾けている。
「マミちゃんが感じた、その“片思い”には納得したよ。お母さんにとっての“一番”が変わってしまったのかもしれないという新しい仮説も立つ。小悪魔的だと、お母さんは、そんな表現をされるぐらい魅力的だったらしいし、可能性は大いにあるだろう。だから今度はその相手について知りたい」
ムムの言葉を理解したマミは、あからさまに目を細めた。自身の母親が誰かと駆け落ちしたなどという仮説を聞かされれば誰だってそうなるだろう。
ムムには言葉の中に必要な気遣いが、欠落しているのだ。
「お母さんは浮気したの?」マミは冷たく吐き捨てた。
「可能性の話だよ。勿論そうじゃないという可能性だってある。こういうのは仮説を組み立てて、そして証拠を元に取捨選択をしていくと案外、上手くいくんだよ」
「探偵さんはそういう可能性があるって思ったの?」
「うん。失踪した原因なんて、現状が納得できないからって、そんな感じでしょ」
「じゃあやっぱり浮気?」
マミは不安そうにルミを見た。
ムムはそんなマミに、同情した。結局マミはどうなったとしても、ルミのことを一番に考えているのだ。そして自分のことなど何も考えていない。向こう水だ、とムムは思った。この歳でこうなってしまうというのは、一体どんな経験が彼女をそうさせたのだろう。ムムはモミジへの苛立ちを感じた。
「相手の性別を男と断定するのは気が早いよ。女かもしれない。親しい間柄と考えれば、家族や親戚といった可能性もある」
ムムの言葉にマミは口をはさむ。
「お母さんの家族はもういないって……お父さんが」「へぇ」
実に興味深い。ムムは舌なめずりして少し考えた。理由不明な失踪、そして失踪して五年後に突然送ってきた手紙。小悪魔からの手紙ともいえるだろう、その手紙で夫は感情を揺さぶられるほど、未だ失踪した妻を愛している。スピード婚したが、しかし、子供から片思いと言われる始末。しかも親戚は存在しないと。
「大体把握したよ。君たちのお母さんのこと」
突然のムムの言葉にマミとルミはそろって顔を傾ける。
ムムは二人の顔を見ながら考える。しかし、そう仮定するなら彼女たちの母親はもうこの江ノにいる可能性は低い。いや、まてよ。手紙には、宛名も、ましてや送り主の住所も書かれていなかった。モミジの職場に直接投げ込まれた可能性が高い。
ムムが一人で思案している間、マミは冷めきったコーヒーを啜る。ムムが無理やり作業中のマミを座らせたせいで、コーヒーは薄くなってしまっていた。しかしそんなことも気づかずにマミは考える。ムムから言われた言葉が未だに腑に落ちずにいた。私たちの出産が望まれていた? 本当に? ムムの言った通り、家具たちは確かにマミとルミの名前が彫られている。でも、それらを購入したのはルミが生まれてからだ。
彼女の言葉を借りて言うなら、ルミは望まれていたかもしれない。じゃあ、私は? 望まれていたの? マミはムムが説明した事実がどうしても納得できない。自己否定したいわけじゃない、でも感じていたのだ。母であるユズからの娘であるマミに対する嫌悪感を。
言葉では表すことができない、その居心地の悪さを。
「探偵さん。やっぱり私、納得できない」
マミの言葉に顔を上げたムムは、マミの瞳に映る悲しみを再度理解した。そして、マミの気持ちなど理解しているといった口ぶりで笑った。
「問題ないよ。マミちゃんのその感情もすべて納得できるような結論を探してくるのが探偵の役割だから」




