執行
頭が狂った時本当に僕は何をするのか分からない。
そうならないように、綺麗に、綺麗にただ綺麗に処理していく。
一度の過ちならまだしも何度かやってしまった後悔は僕を操るのには十分だった。
手が震える。力がこもる。握りしめる刃物。
まるで言い訳のような役割を行う。
そうならないように、僕は今日も綺麗に処理していく。
僕は、僕が怖い。
『幸せな日常を知らない男』
目を覚ませば僕は冷暖房一つついていない部屋で。
硬いベッドから起き上がる。
お気持ち程度の掛け布を払い除け足を地面に置く。
冷蔵庫から水を取り出しコップに注いだ後思い出したようにリストをチェックした。
【執行人役 風間 切
対象人物 桜花町1丁2番地目ヨザクラマンション206号室 梨里沢 晴人
執行時刻、場所 午前11時黒い森にて
容疑 婚約者殺害】
必要最低限の情報しか書かれていないそれを、水を飲み込みながら死んだ魚のようだと言われた真っ黒の瞳で見た。
水を飲み終わると執行服へと着替えて小さいお気持ち程度の刃物を胸ポケットに入れ安楽死用の液が入った注射器をポケットに入れて黒くて硬いマスクをつけ、執行人の印の赤く光るダイヤの形をしたピアスをつけて家を出た。
「桜花町ね…中々起きないけど、起きるもんだね…」
独り言を呟くと周りは僕を見て怯えた顔をして振り向いた。
この服とマスクとピアスは目立って仕方がない。
下手にアパートやマンションに住むとその物件が空くので有り余る広い一軒家を借りて僕は生きている。
配慮してやっているというのに近所に住むのすら恐ろしいようで辺りのマンションは空きが多いとこの前上司に茶化され言われて若干のため息をつかずにはいられない。
「まぁ、それだけ犯罪者が多いって事か」
職業柄一人で過ごすことが多いと独り言が多くなるものだ。
僕が駅まで行くとホームは僕を中心に穴が空いたかのように人が避ける。
電車に乗ると溢れている人は隣の男は冷や汗をかき、女は潤んだ目で怯えきっていた。
[まもなく桜花駅]
アナウンスが流れ、電車から降りると周りはあからさまに安堵の表情を落とした。
今日は自分じゃないとでも思っているのだろうか。
そんなことを思いながらヨザクラマンションに向かう。
指定された時間は11時。
現在時刻は9時45分過ぎ、まぁ、余裕はある。
206号室の鍵は既に手に入っている。リストに執行人の鍵番号が書かれているのだ。
206号室についた時インターホンすら押さず淡々と番号を打ち開けると部屋の中は空っぽだった。
「はぁ…」
よくあることだ。
悪いことをした自覚があるやつは逃げて回るもの。
心の中でなにかが疼く感覚がした。
「ダメダメまだ」
僕は歌うようにそう呟くと部屋を出てタブレットで執行人の場所を確認する。
執行人が逃げずにいるか確認するまでが良心的な行為だと思うから、現在地が動くのがよくよくわかりやすく見える地図をここに来るまで確認しないのは僕の最大級の配慮だ。
「へぇ…」
どうやら執行人は自ら黒い森へ入っていったようだ。
黒い森は唯一この街から他の街へ行く時に通る森だ。
「そうか…だからわざわざ黒い森でねぇ…」
目を細めて動く点を突いた。
黒い森はここから少し遠いのだがわざわざ元々電車など乗らずしてもすぐ行く事が出来る。
というか、それが出来ないと仕事が成り立たないというものだ。
僕はタブレットの点を強く押す。
これは合図で、司令を出す上司にここへ行きたいというコンタクトのようなもの。
目の前に電子的な扉が映される。
それを通れば簡単に対象人物のもとへ行ける、が現在の時刻に割と時間があったためわざわざ少し場所をずらして僕は扉を潜った。
扉は一瞬すごく光る。
それが眩しくて瞬きをすると場所が変わり黒い森にたどり着いている。
全くこの街の進歩は著し過ぎる。
数年前まではどれだけ苦労して探していたかと毎度思うものだ。
黒い森は名前には似合わず光がたくさん入る安全で明るい道のある森だ。
神秘的な木々の葉から漏れ出す光は美しく来るたびになにかを感じさせられる。
「こんな場所で死ねるなんて、死刑執行には少し勿体ないような気もするな…」
なんてぼやくと近くでガサリと物音がした。
後ろからで、明らかに人の気配だった。
しかしながら…。
僕は少し考え込む。
ここは道になっているので数カ所の道から外れた場所を選ばなくてはならない。
面倒な場所を指定してくれたものだとため息をつくと近くの道でまたガサリと物音がした。
これもまた人の気配だ。
「あぁ、だから、まだ早いんだよ」
少しため息をついてその気配の後を追った。
この格好は目立つからすぐ見つかってしまう。私服に変えてほしい、が。
僕が犯罪者に間違われたら嫌なので黙っていつも制服を身にまとっている。
人の気配は森の一番明るい道でピタリと止まった。
そこには探していた紛れもない執行対象人が立っていた。
上を見上げている。
そしてその右手には大きいナイフが握られていた。
思ったより関係のない一般民が危険だと判断し気配を消して後ろに回った。
幸いな事に今日はこの道をこの時間に通っている人は居なかった。
「執行対象梨里沢 晴人で間違いないよね?」
僕がそう言うと対象人は驚いた顔をしてこちらを振り返った。
逃げるでもなく、こちらに刃物を向けるでもなく、彼は僕を見て数秒程動かない。
そして口を開いた時、彼の手は震えていた。
「あぁ…そうだ。俺が梨里沢晴人だよ。執行人さん。やっぱり俺も死ななきゃいけないんだろう?」
諦めでもなく、泣きそうな顔で笑ってこちらを見る彼はとても若いように感じた。
20代前半といったところだろうか?
「まぁ…そうなるね。ただ時間はまだあるんだ。早く終らせても正直、問題は無いんだけど、僕、結構神経質でね?そういうの気にしちゃうんだよ。だからさ、君の事教えてほしいんだ」
僕が悪びれもなく笑って見せると対象人はすぐ殺されると思っていたようで度肝を抜かれたような顔をしていた。
「確か…婚約者の事、殺しちゃったんだよね?それはなんで?」
本来、このような事を知る必要は僕には無いし義務もない。だけど僕には今回の対象人はとても興味深い人物だった。
「なんでお前に話さなきゃいけないんだ?」
怪訝そうな顔、そして少し怯えた顔で僕を見た。
「僕には大切な人なんていないし、ましてや、好きになったことすらない。だから人を好きになって婚約までした人間がその婚約者を殺すまでに至った経緯がすごく気になるんだよ。死ぬ前にさ、ご教授いただけないかな?」
何を言っているんだという顔で僕を見て彼の視線が刃物へ向いたのを僕は見逃さなかった。
「…最も、早く死にたいならご希望に沿わなくとも…ないんけどね?」
その言葉が聞こえなかったのか対象人は僕に向かってナイフを向けて思い切り振りかざした。
だから僕もナイフを持ち歩かないといけないんだよな…なんて思いながら彼より幾分も小さいナイフで対象人の右親指を少し深く切りつけた。
「う、うわあああああ…!!」
対象人はナイフを放し大した傷ではないのに森いっぱいに声が響くかのような声で叫んだ。
「叫ばないでよ。じゃあ、ちょっと場所を変えようか?」
僕がニッコリと笑って首を引きずるように黒い森で唯一本当に暗い場所へ向かった。
「死ぬ…!死ぬっ…!」
対象人は怯えたように親指を大事そうに守り振りほどこうとするが、そんな程度の力で振り払えるような僕だったら仕事にならないといったものだ。
黒い森の一番暗いところ。
そこは道を外れて百メートル程歩くとすぐ見える。
ここでは犯罪が度々起こりやすく、一般のものが近寄る事は滅多にない。
対象人の体がこれ以上汚れないように、というのと、対象人がこれ以上逃げないように先程彼が落としたナイフで彼の服を木に刺して簡単には身動きが取れないようにした。
時計を確認すると10時20分を刺そうとしているところだ。
「さて、じゃあ、先程の話に戻るんだけど、君のその犯罪に至った経緯を教えてもらえないか?」
「わぁああああ!やめろっ…!死にたくないっ…!」
僕が顔を近づけてよく見えるように笑いかけただけでこのザマだ。
どうやらまともに話せる状態ではなくなったみたいだ。
「…まぁ、教えてくれた人なんて誰もいないよね。だって僕に回される執行対象人ってやつは…」
全て、酷い死体を生み出す者ばかりだから。
なんて口には出さずに僕は注射器を出した。
「これ、なんだと思う?」
「やめろ…!やめろ…!わぁああああ!!!」
僕はひどく心外だと思いながらその注射器の液の中に対象人の血を少量入れた。
「これね?安楽死出来る液体なんだけど、実は科学の発展でさぁ」
対象人の左腕を探って刺しやすい血管を見つける。
「血を混ぜると、殺した人間と一緒の死体になるように、出来てる」
そういうと対象人は今日の中で一番の暴れ方をした。
服は千切れナイフから開放されたが、僕が注射器を刺す方が早かったらしい。
「…。そんなに彼女を…残虐に殺したんだね?」
僕がそう言うのと同時に対象人の体に変化が起きた。
「これには少し、時間が掛かってね?大丈夫。執行時間頃、終わるから」
そういって木に寄りかかって対象人と時計を交互に見る。
対象人は僕にすがるようにじわりと近づいてくる。
まるで助けてくれと言わんばかりに。
「君が悪いよ。だって教えてくれたらただの安楽死で済まそうと思っていたんだから」
悪びれもなくそういうとさらにすがりついて僕の体を揺さぶる。
力は強くなるどころか段々と弱くなっていく。
そして時間はただ過ぎていって、時計はぴったり11時を指していた。
揺さぶられていた体も平穏を取り戻し、足元にずしりと重たく死体になった対象人が倒れていた。
「…はい。終わりました。…えぇ?死体?運び屋に頼ませますよ。だって今回は…」
「とっても汚いから」
足で蹴り上げて死体を避ける。
そこには焼けただれた死体が上を向いて転がっていた。
「…やっぱり愛なんて、存在しないのだろうか?」
そう言って僕は黒い森から去った。