藍沢さんの友達
サクラキリメの新曲、『ティーフレミング』のイントロが流れ始め、笑顔でステージへ走り込んできた梨郷は大きく手を振って、マイクを構えた。
僕は人混みから少し離れた木の下で遠くのステージの様子を見ていた。ちょっと遠いけど、日向は暑いからな。
~きっとあの場所へ。儚い想いと君が雲より空より高く。消えて行く気持ちが色づく~
伸びやかな澄んだ声、中学生とは思えない圧倒的な歌唱力、なんて言われてるけど、小学生なんだよなぁ。
ダンスは最小限に抑えて、歌に全振りしてるところ、普通のアイドルのスタイルとはちょっと違う。
「今日、張り切ってたんだよ、茅部君が来るってね」
どこからか歩いてきたのはサクラキリメのメイク担当藍沢さんだった。Tシャツにジーンズというかなりシンプルな格好だ。
「あ、こんにちは」
僕が頭を下げると、笑って軽く手を振る。
「ほら、水分取りなね」
渡してくれたのは、ストロー付きカップに入った飲み物だった。ちなみに中身はリンゴジュース。
「ありがとうございます。僕が来るって聞いてたんですね」
藍沢さんは何度か頷き、
「大体茅部君とのことは話してくれるからねー。実はチケット渡してきなって言ったの、あたしとマネジャーなんだ」
藍沢さんはともかくマネージャー? 僕は会ったことないぞ。
「あいつ、そんなに僕のこと喋ってるんですか?」
藍沢さんは木に背中を預け、腕を組んだ。
「自分から喋ることもあるけど、リンちゃんの機嫌が悪かったり、浮かない顔をしてる時にあなたの話題を出すと、元気になるんだ。最近はマネージャーがよく使ってる手だよ」
「……精神安定剤みたいな扱い、止めてください」
「そうそう。今度、マネージャーがお礼に食事に誘いたいって言ってたから、美味しいものを食べられるかもね」
そんな笑いかけられても。
「いや、別に僕、何もしてないです」
そもそも会ったことがないんだって。
ふと、藍沢さんの左手に指輪が光っているのに気づいた。結婚指輪、か。
この前はしてたっけな? 最近婚約したのかもしれないけど。
「あ、ほら、茅部君?」
藍沢さんの視線の先はステージである。梨郷が嬉しそうに手を振っていた。完全に僕達へ向けている。
大勢のファンの前で何やってんだよ。
僕は仕方なく手を振り返す。ファン達が梨郷の視線に気付き始めたところで僕は手を下ろした。
「特定の人にあんなことして良いんですか?」
「はは。じゃあ、茅部君から言っておいてね」
完全に他人事だ……。 アイドルの教育がなってないんじゃないか。
「そうそう、例の友達。あれから小学生に逃げられなくなったってさ」
「ああ、不審者に間違われてた人ですね。逃げられなくなったって……そうなんですか?」
「うん、ちゃんと身なりも整えたしね」
僕はぽかんとしてしまった。
「整えた? お友達さんがですか?」
「そうだけど、なんで?」
いや、そういう格好してる人って注意されても中々止めないだろ。 それくらいで止めるなら、そんな格好しないし。
「そうだ、報告ってわけじゃないんだけど、ほら」
藍沢さんは左手の指輪を僕の前へ。やっぱり最近だったんだな。
「つい一週間前に入籍したんだ」
「そうだったんですね、おめでとうございます」
「うん、ありがとう。これからもリンちゃんをよろしく。仕事中は旧姓で呼ばれるからそのままで大丈夫だよ」
「そのお友達さんが旦那さんですか?」
藍沢さんは体の動きを止めた。目を瞬かせる。
「……ん? え、なんで?」
この反応は当たりらしい。
「話の流れからそうなのかなって」
「えー、あ、別に隠してたわけじゃないけど、分かりやすかった?」
藍沢さんが激しく動揺している。始めてみるな、この顔。
「分かりやすいというか、そのお友達さんは結構酷い格好をしてて、藍沢さんが注意して考えを改めたんですよね?」
もちろん、藍沢さんは頷く。
「長年そういう格好をしてきた人がただの女友達に言われたくらいで直さないと思うんですよね。だから、彼女さんか奥さんが強制的に直してあげたっていうのが自然かと思って」
その友達の話題の後に結婚報告をしてきたのも大きい。
「あの相談の時はもう、付き合ってたんじゃないですか?」
「……その通り。うん。全部正解だよ。リンちゃんにはまだ相手のことは言ってないのに」
藍沢さんは苦笑気味に言って、
「やっぱり、やるね、茅部君」
僕の肩を叩いた藍沢さんは手を振りながら去って言った。




