墓石の周りの人魂2
学校帰りでランドセルを背負った梨郷が『エコール』に乗り込んできたのが四時過ぎ。
バイトが終わるやいなや、連れ出されたのは田中露ちゃんが入院している病院だった。
話によると、塾の帰り道に人魂に襲われ、右足を火傷してしまったのだとか。
「ちゃんと謝るのよ?」
自動ドアをくぐると、梨郷はそんなことを言ってきた。手に持っているのはお見舞い。ドライフラワーをアレンジした花束だ。
「謝るって何を」
「わたし達がちゃんと調査してれば露ちゃんはこんなめに遭わなかったかもしれないのに」
「本当にそう思うのか?」
「はぁ? 尚がでたらめで誤魔化したからこうなったんでしょ?」
酷いこじつけだな。
「もちろん、露ちゃんに関しては可哀想だと思う。実際に怪我してるしな。でも、僕達が調査して人魂に遭遇してれば、確実にこの状況を回避できたと? 僕とお前だけで百%退治出来たと本気で思ってるのか」
「うぐ……」
「露ちゃんの怪我は保護者の不行き届きだ。僕には関係ない」
「……」
僕はうつむいてしまった梨郷の頭に手を置いた。
「でも、相談されてた身としては気分が良くないから、今からでも調べてやるよ。手伝うだろ?」
「! な、なんか大人げない」
正論で叩きのめしたことを言ってるのか?
とその時。
梨郷の上着のポケットでケータイの着信音がなった。スマホを取り出し、耳に当てる。
「もしもし……はい。え、そうなんですか? ……はい、わかりました。それじゃ」
梨郷は僕を見上げた。
「ごめん、仕事で緊急の打ち合わせをやることになっちゃった。悪いけど、一人で行って話を聞いてきて。はい、これ。ちゃんと渡してよね」
「仕事ってサクラ」
「しっ」
口に人差し指を当てた梨郷が睨んでくる。
「だから、シークレットアイドルってやつなの。周りに人がいるのに止めてよ」
なら、なんで僕に正体バラしたんだ? こいつにメリットないだろ。
「じゃ、よろしくね」
よほど急ぎなのか、病院から出るとそのまま走り去ってしまった。
仕方ない。
僕は一人、梨郷から教わっていた病室へと向かった。
どうやら一人部屋の個室のようで彼女の名前はすぐに見つけた。
ノックをしてから返事を待ち、ドアを開ける。
「あ……」
ベッドに体を起こした状態で座っていた露ちゃんが驚いたように目を瞬かせる。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。あれ、どうしたんですか? 喫茶店のおにーさん、ですよね?」
店ではなく、学校の制服なので一瞬分からなかったようだ。
僕は後ろ手にドアを閉め、露ちゃんへ視線を向ける。
「梨郷も一緒だったんだけど、用事があって帰ったんだ。これ、お見舞い」
「そうなんですか。ありがとうございます」
露ちゃんはベッドに座ったまま、深々と頭を下げた。それから笑顔を浮かべる。
礼儀正しいのは大事だよな。梨郷のやつも露ちゃんを見習えば良いのに。
「入っても良いかな? 都合が悪ければすぐ帰るけど」
実際は部屋の中に入ってるけど、礼儀というか。相手、女の子だし。
「大丈夫です。どうぞ」
「お邪魔します」
僕は花束を持ってベッドへ歩みより、近くの台へそれを置いた。
「梨郷から聞いた。例の……人魂に追いかけられたんだって?」
露ちゃんは目を伏せて、掛け布団の上で両手を組んだ。
「はい。あ、おにーさんのおかげで気持ちが楽になって、あれから夢は見てないんですけど」
やっぱり人魂の夢は精神的なダメージから来るものだったらしい。
だが、実際に露ちゃんに火傷を負わせた人魂の問題とは別。
最初に露ちゃんが見た人魂が襲ってきた人魂と同じかどうか。そこも気になるところだけど、今回の件は人為的だろう。多分、犯人がいる。
「もう少し詳しく聞きたいんだけど、良いかな。思い出すのがイヤなら、いいけど」
「大丈夫です。えっと、前に見た駅西のお墓の辺りでした。墓石の上をふわふわと飛んでいるのを見つけた途端、凄い勢いでわたしの方へ近づいてきたんです。逃げたんですけど、追いつかれて、足に」
布団を捲る露ちゃん。右足は包帯が巻かれ、周辺の肌は赤身を帯びている。
火傷したのは右の脛全体?
「その人魂はどんな風に動いてたか覚えてる? 僕はふわふわ浮いてるイメージなんだけど」
「凄いスピードで、真っすぐに向かってきました」
真っすぐね。漂ってる感じではないみたいだ。
「そっか。怖かった、よな。思い出させてごめん」
「そんな、大丈夫ですよ」
笑顔。前に店へ来た時と違って、なんだか明るいな。人魂のことも淡々と説明してくれたし。
そんなことを考えていた僕は露ちゃんをじっと見つめてしまっていたらしい。
「あ、私、変ですか? ここのところ塾とか習い事で疲れが溜まってたんですけど、入院して長い時間眠ったら調子が良くなっちゃって。お姉ちゃん達にも驚かれました」
確かに疲れが抜けている感じがする。顔色も良いし。
と、病室のドアが開いた。
「あれー。露ちゃんのお友達にしては大きくないかな?」
入ってきたのは、来たのは……た、田中さん?
僕と同じ高校の制服を着た女の子、それは隣のクラスの田中庵さんだった。つまりは同級生。
栗色の髪のロングヘア、ヘアピンで横や前髪を留め、眼鏡をかけている。大人しそうなイメージだが、いつも見かける彼女は元気いっぱいという言葉がぴったりだったりする。制服は少しだけ気崩していた。
露ちゃんと田中さんは姉妹だったのか。
……うーん。どうしよう。多分、彼女は僕のこと知らないよな。
僕は田中さんに向き直って、頭を会釈をした。
「お邪魔してます。実は知り合いが露さんの友達で、お見舞い品を届けに来たんですよ。もう帰りますので」
田中さんは眉を寄せた。
「知り合い? 本当に? そう言って、無断で入ってきた……とかじゃない、よね?」
凄く疑われてる。当たり前か。
「お姉ちゃん、失礼だよ。このおにーさんは梨郷ちゃんの彼氏なんだから」
フォローを入れてくれるのはありがたい。だけど、そうじゃないだろ。
ほら、田中さんが疑いの眼差しから不審者を見る目に。
「か、彼……し……。高校生なんだよね、君。小学生とつ、付き合って」
「いや、普通の知り合いです」
バイト先の喫茶店について説明しようとも考えたが、止めた。
「それじゃ、僕はこれで」
僕は二人に会釈をして、露ちゃんの病室を飛び出たのだった。
○
なんか通報されそうな勢いだったけど、多分露ちゃんが説明してくれるよな。
僕はエレベーターへ向かいながら一人、頷いた。
さて。
人魂の件を調べるんだったな。梨郷にも言っちゃったし、やらないわけにも行かない。
僕はエレベーターへ乗り込んで、思考を働かせた。
「やっぱり現場に行ってみるか。火傷するってことは熱を持った何かなんだから……あー、火傷の状態を詳しく聞けたらな」
「探偵か何かなの? 君」
「!」
エレベーター内で振り返ると、そこには田中さんが立っていた。
ええ……。いつの間に。ていうかなんでいるんだよ。
「そんな驚かなくても」
田中さんは肩をすくめた。それから、顔を近づけて来る。
「で、うちの妹に雇われた探偵君てことでOK?」
妙に嬉しそうに言うので、困惑する。でも、ちゃんと否定しないと。
「いや違う。僕は」
「隣のクラスの茅部クンだよね。あたし」
「……田中庵さん、だろ」
僕のこと知ってたんだ。それなら気を遣う必要もないな。
「なんだー、お互いわかってたんだね。当然か、同じ学校だしね。あ、そうそう、君とはよく目が合うよね。廊下とかで」
それはまぁ、僕が田中さんのことを見てるから、な。本人には言えないけども。
「それでさ、どこまで調査進んでるの? 協力しよっか?」
この謎の食いつきは一体なんなんだ。顔が近いと僕の脈が若干速くなるからやめてほしい。
「調査とか大袈裟なもんじゃないから」
関わると面倒くさい感じになってきた。適当にあしらって、エレベーターが一階に着いたら逃げよう。
「ふーん。あ、そうだ。なら露ちゃんの火傷の、お医者さんの診断書の内容、教えてあげよっか?」
……まぁ、有力な情報を聞き出してから逃げてもいいか。