廃墟と白い影1
日曜日、梨郷はいつものように『エコール』店内のカウンター席へ座り、忙しく動き回る尚を見ていた。今日はライブのリハーサルが急遽中止になったのだ。
「ねえ」
アイスカフェオレのストローを指で弾きながら、目の前で五つのパフェを同時に作っている尚に声をかける。
「ねえってば!」
「うるさい。こっちは忙しいんだよ」
現在、『エコール』店内は満席の状態でかなり賑やかだ。何人か、外で待っている客もいるらしい。
開店と同時に訪れた時は空いていて、尚も相手をしてくれたのだが、今は余裕がないようだ。
それでも構ってもらいたいと思ってしまう。ワガママだとわかっていても。
「何よ、せっかく怪しい噂の話を持ってきたのに、邪魔みたいに」
「いや、今のお前は邪魔以外の何者でもないだろ」
梨郷は頬を膨らませた。
「私、常連なんだけど?」
「だからどうした。見てわかるだろ。注文品作ってたんだよ。ちょっと大人しくしてろ」
「……そう。そういう態度なわけね。じゃあ、いいわ。あの廃墟にはわたし一人で行くから」
「ん? 廃墟? どこの?」
「教えないわよっ」
梨郷はそっぽを向いてカウンター席から降りると、そのまま店を出て行ってしまう。
呼び止める声がした気がしたが、聞かなかったことにした。
プールへ行く時に見つけたトンネルのそばにある謎の洋館。調べてみると、そこはやはり廃墟で、妙な噂があることがわかった。
肝試しに行った若者が未だに行方不明らしい。そして夜な夜な聞こえてくる叫び声。若者達が幽霊に捕らわれて、助けを求められているのではないかという噂だ。
時刻は午後七時半。辺りはすっかり暗くなっている。
「尚なんかいなくたって」
懐中電灯を手に、意を決し、壊れかけの柵の間から中庭へと入った。芝生が敷き詰められ、壊れた石像の破片が散らばっている。
梨郷は、中庭は探索せずに、一直線に館の方へ。隠れても仕方がないので、玄関の扉から中へ入ることにした。噂によると鍵はかかっていない。
豪華な装飾が施された扉を開けると、エントランスホールが目の前に広がった。くすんだ赤い絨毯、埃まみれのシャンデリアに黒ずんだ壁、この空間を満たしているのは湿っぽいカビの臭いのようだ。
梨郷は息を飲んだ。もしも尚と一緒ならしがみついて目を瞑れるのに。
「あーもう、なんで尚のことを思い出すのよっ。……バカ……」
そうは言いつつも心細いし、寂しい。
仕事の関係で、仲の良い田中露とも頻繁には遊べない。彼女は彼女で塾の友達とよく出掛けているようなのだ。
尚と出会う前はどこにいても孤独を感じていた。アイドル活動を辞めれば済む話だが、大好きな仕事だし、辞めたからと言って学校の友人と上手くいく保証はない。もし上手く行かなかったら、すべてを失ってしまう。さらに孤独になるかもしれない。
「尚は……私のこと……」
実は、尚の印象は梨郷の中で今でもあまり良くない。
しかし、一緒にいると居心地が良いのだ。まったく気を遣っていないだろう、容赦ない言葉を浴びせられる時もあるが、それでも。
「ううん。見返してやるんだから」
再び気合を入れ直し、二階から探索することを決めた。ホールの中央にある螺旋階段へと歩み寄った。
「大丈夫」
自分に言い聞かせるように言って、一歩踏み出した。階段を上る。二階廊下につき、通路を左へ折れると、長い廊下が奥に続いており、等間隔にドアが並んでいた。
「本当に捕まってるのかな」
もし事実なら助けなければならないだろう。
と、その時だった。
ーあはははっ
ーははっ
月あかりの照らす薄暗い廊下に突如として響きわたったのは男性の笑い声だった。しかも複数。不気味ではなく、若者が集まってばか騒ぎをしているという感じだ。
梨郷は足を止めて目を見開くが、不思議と怖くはなかった。むしろ楽しげだとも思った。梨郷は誘われるように声の聞こえる、ドアの前へ。
「……ここから……」
絶えず笑いあう声は梨郷の抱く孤独感を洗い流していくようだった。もし、仲間に加わることが出来たら、こんなに嬉しいことはない。
ノブを回し、ゆっくりとドアを開く。
「……あ……」
そこは客間のようだった。部屋の中央には丸くなって座る若者達の姿が。しかしよく見ると、老若男女問わずいた。梨郷と変わらない年齢の子や祖父より年上らしい老人など。一升瓶やらジュースのペットボトルやら、床にお菓子やせんべいも広げられている。彼らの中央には柔らかい光を放つオレンジ色のランタンが置かれていた。その様は花見のようでもあり、キャンプ場の夜のような雰囲気もあった。




