二階へ続く血痕3
警察に聞かれたのは黒服の男の特徴、現場や発見した時の状況など。恐らく、監視カメラの映像だけではわからない、イートインスペース内の状況を知りたかったのだろう。三十分もかからなかったと思う。すぐに解放された。
詳しく聞いたわけではないが、どうやら近くの路地裏で若い女性がナイフで刺され、亡くなってしまったらしい。犯人は現在逃走中。普通に考えて黒服の男は犯人だろうか。
「ねぇ、犯人はどうしてお店に入ってきたのかしら」
帰り道、隣を歩く梨郷が深刻そうな顔で聞いてきた。
「逃げるためだろ?」
「でも、わざわざ二階へ上がって、窓から飛び降りるなんておかしくない?」
結局警察は、窓から飛び降り、逃走したという結論を出したようなのだ。現場の見た目まんまだが、あの店の二階はそんなに高くないし、あり得ないことでもないだろう。
「それにあの人、たまたま入ってきたわけじゃないんじゃ」
「あの清掃中の看板か?」
「う、うん」
確かに何故あの看板が置いてあったのか謎だ。あれのせいで二階は無人になっていた。犯人が上る途中で置いたとしたら、まったく意味がない。
つまり、あの看板を置いたのは黒服の男ではない。だからと言って無関係とも思えない。何しろ、あの看板があったからこそ、目撃者がいなかったのだから。
「……まぁ、その内犯人は捕まるだろ。証拠も多いしな」
「ちょっと、何他人事みたいに言ってるのよ。早く犯人を捕まえないと、わたし達が疑われるのよ?」
「なんでだよ。状況から考えても僕達はただの客だっただろ」
「何もわかってない! あの清掃中の看板が置いてあったってことは共犯者がいたのよ。警察だって気づいてると思うわ」
「それで?」
「わたし達、一階にいた全員が共犯者って可能性も十分考えられる。そしたら疑われるのよ?」
「いや、なんだその無茶苦茶な可能性は」
「最近読んだの。オリなんとか急行。それとなんか似てる!」
「気のせいだ」
まったく最近、推理小説の知識を入れてきたな。ていうか、有名なやつじゃないか。
「……でもまぁ、共犯者はいたんだろうな」
「やっぱりあのお店にいた人の中の誰か?」
「そこまでは僕にもわからない」
「じゃあ、やっぱり今回も調べるしかないわよね!」
「そのうちな」
頭を撫でてやると、梨郷は頬を膨らませた。
「そのうちって何!? またばかにしてるー!」
「してない。ほら、着いたぞ」
リス顔の梨郷が玄関を入っていったのを確認し、僕も帰路に着いたのだった。
○
翌日。
例の事件はテレビのニュースで大々的に放送されているようだ。結局犯人は見つかっておらず、逃げ込んだ先の店の奇妙な状況も手伝って怪奇事件などと騒ぎ立てられている。
僕は僕でいつもと変わりなく。『エコール』へと出勤してきていた。
「お疲れ様です」
午後五時半。店のドアを開けると、店長というかマスターの津上さんが笑顔を向けてきた。
「お疲れ」
「すみません、急遽シフト変更して」
「学校の用事だったんだろう? 仕方ないさ」
今日は四時半から出勤予定だったが、遅らせてもらったのだ。
「じゃあ、後を頼めるかな?」
「はい、予定通りラストまでですよね」
「よろしく。そうそう、茅部君。そこのソファに」
「ソファ?」
店の一番奥に誰かいるのか? そっと近づいて覗き込むと、
「り、梨郷……」
何してんだ。ソファ席で寝息を立てている上、毛布までかけてある。
「三時半頃からずっと待ったんだよ。カウンターで寝ちゃったからそっちに移動させたんだ」
「それにしたって、ここでって……休憩室の方が良いんじゃないですか?」
「私の腕力の問題があってね」
津上さんは病弱でひょろっとしているので、そう言われると言い返せない。
「まったく、こいつは」
「今居さんから聞いたんだけどね」
唐突に切り出したマスターへ視線を向ける。
「梨郷ちゃんは芸能界で孤立気味らしいんだよ」
「梨郷のこと、マスターも知ってるんですね」
「まあね。今居さんとは長い付き合いだから」
僕がバイトで入った頃から、かなり親しげだったっけ。
「……で、孤立って? まぁ、こんな性格なので驚きはしませんが」
「あぁ、いや。そうじゃなくて。梨郷ちゃん、他のアイドルの子達によく思われてないんだよ。ほら年齢を偽ってるだろう? 今時アイドルなんて小学生も中学生も珍しくないけど、どっちつかずだからね。で、プロデューサーなんかもそれを分かってるから、腫れ物に触るような扱いなんだってさ。テレビ番組の打ち上げなんかも声がかからないことが多いらしくてね」
「そのストレスで僕に当たってきたんですかね?」
「私がいなかった日だろう? 聞いたよ。あの時は人間不信が極まってたんだってさ」
マスターは苦笑を浮かべる。
「で、茅部君は何か言い返したんだろう?」
「お嬢さんて呼ぶなって言うんで男なんですか? って聞いたことですかね」
「ぷっ」
マスターは思いっきり吹き出した。
「あっはは、なるほどね。そんなこと言ったんだ。失礼だね」
僕は肩をすくめた。
「そういう解釈も出来ると思ったんです」
「まぁ、それが良かったのかもね。面と向かって清清しいくらい失礼なこと言われたから」
「え……こいつMなんですか?」
真逆な性格しててマジか。
「いやぁ、茅部君のそういうところが好きなんじゃない?」
「僕、ロリコンじゃないんで」
「君はぶれないねぇ」
これ以上、梨郷のプライバシーを話させるわけにはいかないな。
僕は梨郷の肩に手を置いた。
「おい、起きろ。軽く営業妨害だ」
「あはは。じゃあ、着替えてくるから」
マスターは休憩室へと引っ込んでいった。
「んー……」
うっすらと目を開けた梨郷は数秒の間ぼんやりと僕の顔を見つめ、はっとして体を起こした。
「尚! あんた遅いのよ、待ちくたびれたじゃないっ」
「わかったわかった。カフェオレ作ってやるから。それで何の用だ?」
そう聞いておいてあれだけど、予想はついている。




