二階へ続く血痕1
七時過ぎ。
僕は戸締まりをして、バイト先の喫茶店を出た。
「ガス栓、給湯器、電源、窓と入り口の鍵……後は」
帰路に着きながら、最後の確認をする。マスターに変わって最後の戸締まりを任されるときは中々のプレッシャーだ。
「よし、全部締めたな」
「あああっ!」
「!」
みると、前方に子供用のボストンバッグを抱えた梨郷が立っていた。なんて顔してるんだ。驚きすぎだろ。
「なんだ、どうした? 仕事帰りか?」
歩み寄ると、不機嫌そうに頬を膨らませた。
「なんでお店締めてるのよ。今から行こうと思ってたのに」
「今日は水曜日だ。水曜は六時半閉店なんだよ」
「聞いてないっ」
「だろうな、言ってないし」
そもそも『エコール』は客が入らないと早めに閉めてしまったりするのだ。
「カフェオレ飲みたかったのに。仕事帰りの一杯……」
僕が作るカフェオレは梨郷好みに甘さを調節してやっているので、かなり気に入っているようなのだ。まぁ、悪い気はしない。
「店は開けないけど、別の店で奢ってやるよ」
「えっ、いいの?」
僕はスマホを取り出した。
「今居さんには僕から連絡してやる」
梨郷はジト目で僕を見てきた。
「だからなんでおじいちゃんとメールアプリを」
「お、七恵さん返信早いな」
「なんでママともやり取りしてるのー!?」
「ていうか、グループ組んでる」
「!?」
メッセージを三人で共有できるよう設定してあるのだ。
「あ、あんたいつの間に」
「お前、小学4年生の分際で、そう簡単に親に隠し事できると思うなよ? 今日は七恵さんも今居さんも遅くなるかもしれないってさ。夕飯でも食べるか?」
「な、納得行かない」
結局、夕飯を一緒にすることになった。共働きらしい梨郷の両親は今居さんに梨郷を預けることが多いらしいが、今居さんは今居さんで友達が多いから夜も出歩きたいのだろう。たまにはこういうのも良い。
「バイト代入ったから今日はおごってやろうか?」
「いいの!?」
僕が奢らなくても払えるんだろう。仕事してるからお小遣いは多めらしい。ただし、きちんと考えて使うこと、とキツく言われてるみたいだ。まあ、たまには、な。
○
僕は自発的にファーストフード店を訪れることはない。外食なら断然ファミレスだ。正直そっちの方が安いし。
「ど、どれでもいい?」
ハンバーガーショップのレジカウンターにて、メニューを見ながら目を輝かせている梨郷に笑いが漏れる。
こういうとこは小学生だなぁ。
「ああ、どれでも奢ってやるよ」
しばらく悩みそうだな。まぁ、客は少ないし、良いだろ。
「いらっしゃいませー。って茅部か?」
レジに立ったのは知り合いだった。クラスメートの男子である。
「ああ、そうか。バイト先ってここか」
坊主に近い短髪、元祖日本男児ってな顔をしている。それでいてキリリとしているので、イケメン……の部類に入るんだろうな。
多馬崎晶だ。
「珍しいじゃんか。お前がハンバーガーなんてさ。……妹?」
梨郷はメニューを見ながら考え込んでいる。
「親戚の子なんだ。今日はちょっと頼まれて」
「へぇ。で、何にする?」
「普通のハンバーガーとコーヒー」
「ポテトも買えよ。安くしねぇけど」
「仕方ないな。じゃあ、Sサイズ」
「Lだろ」
「これ以上は譲らない」
「たくっしゃーねぇなぁ」
こいつなんなんだ。
「さて、そっちのお嬢様はどう致しますか?」
「ベーコンと目玉焼きの照り焼きバーガー、ポテトのMサイズ……飲み物はコーラで!」
「誠にありがとうございます!」
Lじゃないだけ良いけど、お嬢様扱いは良いのかよ。僕に対する態度と大分違う。
そして多馬崎も。言っておくが、梨郷の分も僕が支払うんだからな?
「ん? どうしたのよ、尚」
つい、顔に出てしまったか。大人げない。
「なんでも」
とりあえず代金支払って、一階のイートインスペースへ。
「ハンバーガーなんて久しぶり。このジャンクな味が堪らないのよね」
がさがさと包装紙を外して、一口。
「んー!」
次にポテト、コーラを口に運ぶ。
「ここでよかったのか? ファミレスの方が色々あるだろ」
お子さまランチとか。
「尚が失礼なことを考えそうだから嫌だったの。ていうか、こういうの禁止されてるのよね。今日は仕方ないわ。はむっ」
「なっ、禁止? つまりその、仕事関係でか?」
「そう、食事制限。ほらプロポーションとか維持しなきゃいけないでしょ」
あー、やってしまった。僕が何も知らないのを良いことに。
「大丈夫よ。内緒にするから、言っておくけど、共犯だからね」
悪知恵が働くな。
と、近くでパトカーの音がし始めた。窓の外を見やると、赤い光が点滅している。
「んむんむ。何かあったのかしら」
「さあな」
しばらく雑談しながらそうしていると、
「いらっしゃいませ」
多馬崎の声がして、一人の男が入ってきた。黒いジャンパーに黒いデニム、帽子を目深にかぶり
、何故か腕を押さえている。
しかし、レジカウンターを素通りし、僕たちのそばをすり抜け、二階のイートインスペースへと登って行ってしまった。
当然だけど店員達がざわざわしている。
「きゃあっ」
レジカウンターのそばに座っていたOLらしき二人組の女性が悲鳴を上げた。床を見ると、赤い液体が点々と階段の方へ続いていた。
「な、尚」
梨郷も青ざめている。
色々な可能性はあるが、これは血か……?
「おいおい、なんじゃこりゃ」
多馬崎がイートインスペースへ入ってきて、目を見開いている。
「血、なのか?」
多馬崎も動転してるな。
「いや、まだわからないだろ。イタズラかもしれないし。でも……ケチャップではなさそうだな」
「そ、そうだよな。えーと、そうだ、茅部、舐めてみろよ。ペロッと。それでわかるだろ」
「どこの漫画の名探偵だよ」
その名探偵だって得体の知れない血液を舐めたりしないだろ。
ふと、床を見ると、梨郷がやろうとしていた。
「バカ、何してるんだ」
梨郷の両手首を拘束する。
「離してっ、誰かがやらないとわからないでしょ!」
「色々な意味で汚いだろ!」
と、女性の店員がイートインスペースへ入ってきた。
「た、多馬崎君、なんなのこれ」
「副店長、一応警察に電話を」
「そ、そうね」
多馬崎は僕に視線を向けてきた。
「茅部、悪りぃけど二階に」
「ああ、一緒に行く」
「わたしも!」
梨郷は置いて行きたいところだけど、縛り付けておくわけにも行かないしな。
僕は梨郷の手を握った。
「離すなよ」
いざ、二階のイートインスペースへ。




