独りぼっちだった私を救ってくれた恩人たちに敬意を込めて
「ピピピピピピピピ……」
騒々しくなる目覚ましを止めて、私は洗面所へと向かった。
洗面所の窓から、雨が滴り落ちるのがみえた。
「今日も、雨か……」
じめじめとした天気が私の気持ちを一層、憂鬱にさせる。
「朝ごはん、何にしようかな」
私は両親が共働きで朝、早くに家を出るため朝食とお弁当を自分で作っている。
「いただきます」
今日も朝のニュース番組を見ながら朝食を食べる。何だかニュース番組をみているとこれから学校に行くという事を再確認させられているような気分になる。
お弁当を詰めて、鉛の様に重い足で学校に向かった。
「えっ……」
教室のドアを開け自分の机をみるとそこには落書きされた私の鞄が置いてあったのだ。
「その落書きどうしたの?」
隣の席の高崎さんが尋ねてきた。
「分からない。誰かにやられたのかもしれない」
うつむきながら言うと、彼女は心配するような表情を見せたが
にやけているようにもみえた。
一時間目の授業が絵画だったので私は落書きされた絵画用の木製の鞄を持って絵画室に向かった。私はその間、鞄の事で頭が一杯になっていた。
「今日は、絵画の鞄は使わないので隣の教室の棚にしまってきて下さい」
先生の指示に従い、皆んなは移動した。隣の教室は真っ暗で居心地の良い場所だとは思えなかった。
「ねぇねぇ! 聞いて! さっき菜月が棚にあった絵画の鞄、落としてそれが私の頭に当たったの! めっちゃ痛かったー!」
麻里が訴えかけるように言ってきた。私は鞄をしまう手を止め
「大丈夫? 怪我はない?」
といって背後にいる麻里の方に目をやった。その時だった。
「バチーン」
物凄い物音と共に激しい痛みが襲ってきた。麻里が背後から絵画の鞄で私の頭を叩きつけてきたのだ。
「こんな感じー!!」
と麻里は悪びれる様子もなく言った。
「痛い……どうしてそんな事するの? 自分がやられて嫌だった事でしょ。菜月ちゃんだってわざとやった訳じゃないのに」
私は堪えきれないほどの怒りが込み上げていた。
麻里は高笑いをしながら
「だって、しょうがないじゃん。痛みは言葉じゃ表現できないでしょ」
と言った。私は麻里を睨み付けた。悔しくて仕方なかった。
絵画の授業が終わり、教室に戻ると授業のチャイムがなる前にも関わらず英語担当の先生が入室していた。
「今日は、小テストを実施する。みんな席に着け」
先生の指示に従い皆んな、席についた。テストが終わると先生は隣の席の人とテストを交換して丸つけをするようにいった。丸つけ終わったテストが返され、見てみると書いたはずの答えが一部消されてばつがされている。
「ねぇ、ここの問題、答え書いたはずなんだけど……」
私は、高崎さんに尋ねた。すると高崎さんは
「いや、最初から消された状態だったけど」
とさっぱりとした口調で答えた。
私は流石に怪しく思い数日後、返却されたテストを持って学校にある相談室に行く事にした。
「どんな相談でいらっしゃったの?」
相談室の先生が優しい口調で言った。私は今まであった出来事を全て話した。そして相談室の先生に
「自分では言いづらいので、先生にこのような事実があったことと今後の小テストは成績にも関わるので、先生に丸つけをして頂きたいと言っていたと伝えて欲しい」と頼んだ。その時私は、それで全て解決すると思っていた。
あれから何日か過ぎ、待ちに待った英語の授業の日になった。私は先生がどう対処してくれるのか緊張と期待の気持ちで胸が一杯になっていた。
ところが先生は授業の最後に
「小テストのことだが、これからも隣の席の人と交換で丸つけをしてもらう。以上」
とだけいってチャイムと同時に去ってしまった。とても残念で悲しい気持ちになった。私は、今まで先生は皆んないつも生徒の事を考え、どんな時も正しい判断をしてくれる無敵な存在だと思っていた。けれどこの時から先生だからといって人として出来た人だとは限らないのだと思うようになった。
ある朝、教室のドアを開けるとクラス中の人たちが私に対して冷ややかな目を向けてきた。私は、何が何だか分からずとても不安な気持ちになった。
「ねぇ、これあんたが指示したんでしょ」
そういって麻里が送られてきたメールを見せつけてきた。そこには〝死ね〟という文字がひたすら繼られていた。
このメール昨日、高崎さんが送ってきて、どうしてこんなの送ったのかって問い詰めたら
「ゆいちゃんに送るように指示されたの……拒否したけど脅迫されて送らざるを得なかったの。ごめんね」
って泣きながら言ってたんだよね。高崎さん、本当に可哀想だよね。
「あんた、ホント最低ー」
麻里が嘲笑うかのように言った。
「私がそんな事する訳ないでしょ! どうしてそんな事頼まなきゃなんないの?」
私は必死に誤解を解こうとした。けれど、周りからは白い目で見られてしまった。高崎さんに本当の事を吐かせるのは難しい。無理に吐かせたら、また何をされるか分からない。先生に相談しても何もしてくれないだろう。私は辛くてたまらなかった。
だけど、私には大切な友達の由梨花がいるから頑張れた。由梨花は優しくて非の打ち所がないと言っても良い程、良い子だ。由梨花に相談したいことは山ほどあるけれど優し過ぎるが余り、人のことも自分の事のように考えてしまうところがあるので相談出来ないでいた。彼女は私がいじめられている事には全く気づいていない。何故ならいじめは陰湿なものだからだ。
私はいつも由梨花と一緒にお弁当を食べている。
「由梨花のお弁当、凄い美味しそうー!!」
と褒めると
「今日は私の好きなハンバーグ入ってるんだ」
と嬉しそうに言った。
「ゆいちゃんは自分で作ってるんでしょ! 私だったらこんなに上手に作れないよー。流石だなぁー!」
「そんな事ないよ」
私は照れ笑いしながら言った。
体育の授業が終わり廊下にいた時だった。
「ねぇ、由梨花ってなんか良い子ぶっててウザくない? 休み時間もぼっちだし」
萌子が私に擦り寄るようにして言ってきた。
「あのねぇ。由梨花は良い子ぶってるんじゃなくて本当に良い子なの! それに休み時間は好きで独りでいるだけなの!」
「本当にそうなの?誰も友達いないから独りでいるだけじゃないの?」
その時、由梨花が教室から出てきた。きょとんとした顔で私達を見ていた。
「由梨花は私が、誘っても〝休み時間は独りでいたい〟って言って来ないから」
と冷静に言い返した。それを聞いた由梨花は悲しそうな顔をして去っていった。誤解されてしまったかもしれない。由梨花は私が彼女の悪口を言っていたと思ったに違いない。
昼食の時間にいつもの様に由梨花の席でご飯を食べようとすると由梨花は私を避けるように他のグループの席に行ってしまった。今まで一度だって一緒に食べなかったことはないのに。私は何とかして誤解を解きたかった。けれど、由梨花は私を避けてばかりで話す機会もない。今、誤解を解こうとしたところで言い訳にしか聞こえないだろうし、話の切り出し方も分からない。私への信頼が厚かった為に彼女の心の傷はより深く傷ついてしまったのだろう。とうとう私の友達は誰もいなくなってしまった。私には休み時間に話す友達はいるが、それら全員、上部だけのニセモノの友達だ。仲良さげに話してくるが裏では悪口ばかり。私は、人間不信に陥っていた。
中間試験が終わりついに結果が返ってきた。毎朝、4時に起きて勉強し、放課後は毎日図書館で4時間勉強していたのにも関わらず、結果は散々だった。
私はいつもそうなのだ。小学生の頃から人一倍努力しているのにも関わらず皆んなに追いつけず、周囲の人たちからは馬鹿にされていた。それは勉強に限った事ではなくスポーツにしてもそうだ。持久走やマット運動にしてもそう。大縄大会では毎晩の練習の成果も虚しく、悪口を言われるという結果に終わった。クラス対抗のリレーでは河川敷での練習を重ね、挑んだが、くじでアンカーになってしまい、私のせいで遅れをとってしまった。皆んなからは
「どうしてあいつがアンカーになっちまったんだよ。あいつじゃなければ勝てたのに」
「高田さんのバトンパス下手くそでホント渡しづらかったー」
「――ねぇホントに最悪」
などと心無い言葉をかけられてしまった。
「どうして私はこうも上手くいかないんだろう。私は生きている価値もない人間なのかもしれない……どうして生まれてきちゃったんだろう。こんな人生が続くならいっそ死んでしまいたい」
いつからかそう思うようになっていた。
家に帰ると父がテストの結果を尋ねてきた。仕事で忙しい父がこの時間に家にいるのは極稀だ。私がテストを差し出すと
「お前はなんにも出来ないなー。顔も悪い、頭も悪い、勉強も出来ない。お前に出来ることはなんにもねぇじゃねぇか」
と罵った。私は悔しかった。普段の私の努力も知らず、結果だけをみて判断する父が憎らしかった。
ある日の事だった。母が近所に出来た塾のチラシをもらってきた。
「ゆい。ここの塾通うよ」
私は、淡々という母に驚いてしまった。私は以前、集団塾に通っていたのだが、そこは偏差値70前後の学校を目指している頭の良い子ばかりで私は浮いてしまっていたのだ。出来の悪い私は先生からも生徒からも良く思われていなかった。私は精神的に耐えられずやめてしまったのだ。その経験から私は塾がトラウマとなっていたのだ。
「絶対に嫌だよ。また嫌な思いするの目に見えてるよ」
私は必死に抵抗したが、母の強行手段に負けてしまい入会することになった。この塾はマンツーマンか生徒2人に対して先生一人で教えてくれるらしい。
初めてこの塾に行ったのは授業説明の時だった。説明をしている室長からは前の塾にいた先生達と同じ臭いがした。私はとても嫌な予感がした。
初回の授業の日になり私は再び塾に行った。私は席に案内され担当の先生が来るのを緊張を抑えながら待った。
「数学を担当させて頂く関口です。宜しくね」
優しい声が聞こえて振り向くとそこにはショートカットの女性が立っていた。
「高田ゆいです。こちらこそ宜しくお願いします」
そう言って私は軽く会釈をした。
「早速だけどもう中間テスト返ってきてる?」
先生はにこにことこっちを見ながら尋ねてきた。
私は消え入りそうな声で
「はい」
と答えると恐る恐るテストを差し出した。
私は先生の笑顔が薄れていくのを感じた。先生は固まったまま動かなかった。驚きを隠せなかったのだろう。しばらくして仕切り直したように
「じゃあ直し始めよっか」
と言った。私は先生が点数について何も言わなかったのでどうすれば良いか分からず
「私、馬鹿だから…良い点数とりたいのに全然思い通りにいかなくて」
と言った。
すると先生は
「ゆいちゃんは馬鹿じゃない! 自分を変えようと必死に戦ってる人に馬鹿なんていないんだよ。だからもう自分の事を馬鹿なんて絶対に言っちゃだめ。一緒に頑張ろう!」
と言ってくれた。私の事を馬鹿じゃないと言ってくれる人がいた。私の気持ちを受け止めてくれる人がいた。私の味方になってくれる人がいた。私は今まで我慢していた悔しさとか悲しみとか寂しさとか自分では分からない色んな感情が爆発して涙が止まらなかった。唇まで流れた涙の味が余計に私の感情を揺さぶった。先生は私の背中をそっと擦ってくれた。
私はその日から週に3回塾に通うようになった。先生の教え方は今まで教わった先生とは全く違った。
私が板書をとろうとすると
「板書はとったらダメ! その場で覚える!」
と言ったり、公式を覚えようとすると
「タイマーかけるから1分以内にこの公式全部覚えちゃって」
と無茶を言ったりした。タイマーがなると直ぐに公式のテストをされて出来ないとまたやり直し、それでも出来ないとまたやり直しと何回もテストさせられた。凄く大変だったけれど段々と出来るようになっているのが実感できて辛さが楽しさに変わっていった。自分は出来ない人間じゃないんだと思えた。何より嬉しかったのは先生が私を見捨てなかったこと。理解に時間がかかる私に嫌な顔ひとつしないでいてくれた。今まで教わった先生には
「こんな問題も分からないの?」
とか
「だからあなたは出来ないんだよ。」
とか自分を否定することばかりいわれていたけれど、先生はそんなことはひとつも言わなかった。それどころか
「ゆいちゃんなら出来るよ!」
とずっと私を励まし続けてくれた。
ある日の事だった。数学の授業で小テストがあった。
「これ、塾でやった内容のだ。凄い! すらすら解ける!」
私は嬉しくて仕方なかった。今まで恐怖の時間でしかなかったテストの時間が楽しい時間だと初めて思えた。
数日後、テストが返却された。結果は満点だった。
その日の放課後、私は週番で戸締りの確認をするため教室を巡回していた。1年A組の教室に入った時、教室に一人ポツンと座っている男子と目が合ってしまった。何だか気まずくて目をそらして教室を出ようとしたとき
「ねぇ、ちょっと待って! 」
と呼び止められた。
「1年生だよね? この小テストってもうやった?」
と尋ねられたので
「うん」
と頷いた。その小テストは今日、返された数学のテストだった。すると彼は
「俺、点数悪くて再提出になっちまって。良かったら教えてくんねぇ?」
と拝むようにお願いしてきた。戸締りのチェックが終わると下校の放送までしばらく時間があるので私は彼に教える事にした。
「えっと、この問題は文字=数字の式に直せば良いの。左辺にはXとかyみたいな文字しか入れちゃいけなくて右辺には数字しか入れちゃいけないっていう決まりがあるの。でもこの問題は右辺に文字が入っちゃってるでしょ。だから左辺に移動させてあげるの。これを移項っていって移項する時は必ず符号がマイナスに変わるの。だから……」
「すげー! 分かりやすっ! 俺、先生に教えてもらっても全然分かんなかったんだよー!」
彼は目をキラキラさせながら言った。
「本当? 良かった! じゃあ、次の問題は自分で解いてみて!」
私がそういうと彼は張り切った様子で問題を解き始めた。
「うわぁー! すげー出来る! 出来るよ!」
彼は興奮した様子で私の方を見ながら言った。私は少し自尊心が芽生えた気がした。
「もう下校の放送かける時間だからいくね。」
私がそういって席を立とうとした時
「名前は? 名前何ていうの?」
と彼は焦った様子で尋ねた。
「高田ゆい」
とだけ答えると私は急いで放送室に向かった。
放送が終わって教室に戻ろうと職員室を通りかかった時、さっきの男子と数学の先生が話していた。さっきの男子が私を見つけて呼び止めた。
「分からない問題、高田に教えてもらったんだ。高田、めっちゃ教えるの上手いんだぜ」
と彼は先生に自慢する様にいった。
「ありがとう。助かったわ。小林君が再提出で満点とるなんて初めてだから可笑しいと思ったのよねー」
と先生は、からかうようにいった。
「先生、それは流石にひでぇーよ」
と小林君は不服そうに笑いながら言った。
「高田のお陰だよ。ありがとな」
といい、小林くんは微笑んだ。私は何だかくすぐったい様な気持ちになった。
職員室の窓からは茜色のあたたかい光が射し込んでいた。
続く