逃げの一手
朝。カーテンの隙間から射し込む太陽の光が眩しい。雀の鳴き声が聴こえる。自分のベッドは汗でびちゃびちゃ。なんか臭い。
「そういえば昨日の夜は今年最初の熱帯夜だとかなんとか…」
とかつぶやいて、起き上がりたくないなーとか思ってしまう。たとえ汗臭くても。
なんとも普通の朝である。
よっこらせ、と起き上がるといつも通り汚い、生活感の溢れる部屋が見えてくる。時計も見える。ん?
8時、11分…嘘だろ!
やばい、いつもならもう学校に着いている時間だ。小学生から遅刻欠席一度もしなかったという、俺の数少ない自慢が!!
ダッシュで行けば間に合うか?
急いで支度を済ませて、家を出る。
「行ってきます!」
こうして、ちょっとだけいつもと違う高校一年生、松尾 悠来の一日が始まる。朝ごはん食べたかった。
「はぁ…」
と、最近『行ってきます』の代わりになっていた単語が漏れる。
一体何だってこんな酷い目に合わなきゃいけないんだろうか…
中学校を卒業して、頭の良い高校に進学して、彼女作って、毎日がリア充、なんてのは酷い妄想だった。
我ながら甘すぎた。まず頭の良い学校なんて俺の学力で行けるはずもないのにな…今通っている高校はここらの地域では名前を出すだけで『ゲッ!!』という顔をされるほどのバカ校である。ちなみに僕の学力は、そのバカ校に受かれるかも危ういという悲惨なものだった。そして彼女なんて作れる訳もなかった。
第一まず…ここ男子校じゃねーかチクショウ。
あー、いきなり曲がり角から黒髪ロングの美少女とか現れないかな…なんてまた気持ちの悪い妄想をしていたらいつの間にか到着。10分遅刻だ。まぁ、このクラスでは遅刻なんてあって当たり前だから何も言われないんだけど。
俺は、高校に入学してから日々オタクの道へと突き進んでいた。
最近は、片っ端からラノベを読み漁っている。家でも。学校でも。今日もいつも通り、クラスの1番端っこの席で黙々と読書だ。
そうそう!最近は異世界物にはまりまくって……って……うわ
「や〜あ!おはよう!悠来く〜ん!」
突然俺に声を掛けてきたのは、このクラスで1番頭のおかしい奴、
天部 時久。この間、担任をぶん殴って2週間停学処分を食らっていた、いっちばん警戒しなければならない人物。に、もう目を付けられてしまっているんだが。
「やぁ、お、おはよう…」
「なんだよ!元気ないなぁ!朝っぱらからさぁ!…ん?んん?なぁに、また本読んでんの…ちっ、つまらねーなー(笑)!」
天部は大声で、わざとらしくそう言うと俺から本を取り上げ窓の外に投げ捨てる。
「あっ…ごぉめん!手が滑っちゃった!許せ!ハハハ!」
天部の高笑いに合わせて、自分が標的にならないように、クラスのみんなは、便乗し、笑う。
あ、やばいかも。俺は悟った。
このままエスカレートしていくやつだ…これ。
なんとかしないと、だけど自分にはなんとかする力も、もちろん知恵もない。何しろ俺は、学期始めの体力テストで握力11という素晴らしい結果を叩き出した強者だ。高1だぞ、握力11って…
笑えねぇな。
「さぁてと…これから遊ぼうよ!安俊くぅん!」
あぁ、もう帰りたい…あと、6時間もこんな所にいないといけないのか…地獄だな…バカ校らしいといえばらしいけど。
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その日は頑張って、なんだかんだでやり過ごした。
下校の時間だ。たぶん、いや、絶対奴に絡まれる。なんとか振り切って帰りたい。帰らねば、何をされるかわからない。
担任の、もはや独り言と化しているホームルームも終わりに差し掛かり、
「それでは、皆さんさようなら」
誰も礼なんてしない。騒がしい。ここに紛れよう。よし、このまま気づかれないように抜け出してしまおう。
「どこ行くの?なに?逃げてんの?」
見つかった!!!
「あっ…いや、早く帰りたいなーと…」
「いいじゃん、ちょっとぐらい。ついてこいよ。」
いきなり声のトーンが変わった。怖がらせようとしてるのか?
実際怖い…すごく怖い…足がすくんでしまっている…けど。
よし、一か八か!勇気を振り絞って!
「用事あるんで!お先っす!」
と、言って猛ダッシュ。それはもう全力疾走。掴まれそうになったが運良く避けて、下り坂ダッシュである。
「オラ!待てよ!何逃げてんだよゴラァ!」
とんでもない形相で追いかけてくる天部の顔を見て更にスピードを上げる。
驚くことに、振り切れたのだ!松尾悠木万歳!ビバ悠木!
と、ハイテンションな心情とは裏腹に、
「あー…死ぬかと思った…」
久しぶりに全力で走った悠木の体力は家につく前に尽きようとしていた。
家の扉を開けるのですら酷く重たい。悠来は汗臭いベッドに身を委ねる。
「いやー、今日はよく寝れそうだ」
……………
いや待て、寝れない
「明日からどうしよう」
ちょっとこれはマズイことになった。明日あいつに会ったら何をされるだろう、ボコボコにされる?!いや、まず手始めにカツアゲとかされるかも…
お得意の妄想が広がる。
しばらくして、松尾悠木は結論に至る。
あぁ、学校に行かなければいいんだ。
どうせ小学生の頃からの皆勤賞は今日で途切れ、授業なんか真面目に受けてないし、本読んでるだけだし、一応都立だから行かなくたって私立校ほど損はない。
あぁ、行く意味ないじゃん
「ははっ、こうやってニートになっていくのか。」
今の悠木の言葉には、あの場で天部をボコボコにして黙らせることもできず、ましてや言い返すこともできず、ただただケツを向けて情けなく逃げるしかなかったという、自分の無力さに絶望した負の感情が含まれていた。
「クソッタレが。」
そう吐き捨てると、勢い良くベッドに倒れ込んで、
「本でも読むか。」
そう言って、半分ほど読んでいた異世界物のラノベを探すが、
「あ、窓の外に投げ捨てられたんだっけ。」
追い打ちをかけられるように嫌なことを思い出す。
ニートねぇ……両親はニートなんて許してくれるのだろうか?ふっ、もうなんか、どうでもいいや。
「明日から記念すべきニート生活の始まりだな。」
悠来は、半ば自暴自棄になりながら寝てしまった。