異世界へ
◇
「ここはどこだ?」
俺は、様変わりした風景の中にいた。
玉砂利を踏んでいたはずの靴の下の地面は、石畳に変わってしまっている。
石畳の道の脇には運河が流れ、小舟が行き交っていた。
煉瓦造りの建物の屋根は急な傾斜をしている。ほとんどの建物から煙突が出ているのも、俺には珍しい。
至るところに、段差や、小さな坂があって街並みが立体的なのも俺には馴染みのない要素だ。
建物に二階建て以上のものが見当たらないせいか空が広い。
広場の真ん中には驚くほど巨大なと表現したくなる、広葉樹の大木が立っている。
「来たか軍師!」
「時間がない指示をくれ!」
いきなりまくし立てられ、俺は混乱した。
指示だと?
中世の騎士風の鎧姿をした男たちが二人、こっちを見ている。
「どうした軍師?」
「そうだ、命令がなければ戦えない!」
命令と言われても‥
「すみませんお二方、軍師様にはまだなーんにも説明してないんです!」
さっきの浮遊する猫が現れて、騎士たちに言った。
もふもふした毛並みが、動きに合わせて揺れている。
「そうなのか? 早くしないと戦闘が始まってしまうぞ」
「わかってますよ!」
みんな何かを急いでいるみたいだ。
俺には何のことだかさっぱりだが。とりあえず、軍師扱いされていることだけは確かだ。
「軍師様、この辺に数字が見えませんか?」
猫が俺の視界の右上当たりを示す。
確かに、何故か空中に半透明の数字が浮いている。
「ある。えっと、150。あ、今、149になった」
「その数字が0になったら強制的に戦闘開始です。覚えていてください」
「はあ?」
「申し遅れました。わたくし、軍師様のために、この世界の理を解説させていただく務めを仰せつかりました、ビーナといいます。この名前が、デフォルトなんです。変えられますが、どうします。一度しか決められませんよ?」
「ん? いや、いい」
時間がないと、言っていたと思ったが。
どうも別世界に連れてこられているらしいことを、だんだん認めはじめている自分がいる。信じる信じないのレベルの話ではなく、実際に起きてしまっていることは、受け入れていくしかないだろう。
「見た目も変えられますよ?」
ビーナは、猫から犬、犬から鳥、鳥からカブトムシへと、次々に姿を変える。共通するのは、飛んでいることか。
まあ、これもどうでもいいな。
「はっ! はっ! こんなのもありますよ!」
ビーナは調子がでてきたのか、どんどん見せてくるが、徐々にグロテスクなのが混ざり始めたので全体的に劣化していく傾向にあると言っていいだろう。
こうしている間にも時間は減っているのだが。
しかし、俺は俺の感性に鋭く突き刺してくる姿を、絶え間なく姿を変え続けるビーナのなかに、ついに見てしまった。
もう少しでデフォルトに戻させてしまうところだった。
「待て、今の、戻せるか?」
「これですか?」
「違う。もうひとつ前だ」
「はい、これ?」
ビーナは、身長が20~30センチの妖精風の姿になった。
「ニンフという精霊さんの一種ですね。妖精さんという説もあります」
「もうちょっと露出度を上げられるか?」
「できますよ?」
ビーナは、ビキニ風の衣装に早変わりする。
なんでも言ってみるもんだ。という一例だろうか。
「巨乳はそんなに好きじゃないんだ」
「え? まあ、できますけど」
「かといって、胸はないのもダメ」
「こだわりますね。このくらいですか?」
「そう。あと顔はもう少し若くして、おしとやか系がいいな」
「こんな感じで?」
「いいな! すごくいい!」
「あのー、ちょっといい?」
「うわっ」
突然、横から榎本さんの声が掛かって、俺は驚いた。
「いたんだ」
「いたわよ」
一緒に来てしまったようだ。
今の、一連のキャラメイクで、俺の趣味を垣間見たせいか、引き気味の表情をしている。
むしろ、やや飽きれ顔というべきか。
榎本真希菜。俺の2つ歳上。
オタク女子なのだが、外見からはあまりわからない。普通の女子大生に見える。
友達からは『地方局の女子アナ』みたいな見た目という、言い方をされた経験があると聞いたことがある。知的で美人だが、全国局に出てくるほどの華がない、という意味だそうだ。
そんなに間違ってはないのかな、と思う。
けれど、時々だが、榎本さんは驚くほど綺麗に見えるときがあった。それを本人に、直接に言える勇気はないが。
中世風の街に、旅行中の女子大生が立っているのは、はげしく違和感がある状態だ。
というか、完全にテーマパークに遊びに来てる人みたいになっている。
「ずっと、いらっしゃいましたよ。これは不幸な事故ですね。巻き込んでしまって、申し訳ないですが、しばらく我慢していただくしかないですね」
俺は違うのだろうか。
俺には申し訳ない気持ちは微塵もないのだろうか。
そもそも、これは俺の世界では立派な犯罪なのではないか。誘拐という名の。
俺はふと、榎本さんの頭の上当たりに、緑色の横棒が浮いているのに気づいた。
「それが、生命力のメーターですね。大事なことです。それが減って赤くなって、さらになくなったら死亡です。死んだ人は滅多なことでは生き返りませんから気を付けてください」
ビーナは当たり前のことのように解説する。
俺にも同じのがついてるのか?
俺は自分の頭の上を見ようとするが、首を上げたらメーターも頭と一緒に動くのだとすれば、それは視界に入らない位置にあった。
しかたなく、頭の上を指差して榎本さんに聞いてみた。
「見えます?」
榎本さんは怪訝な顔で、首を横に振った。
「嫌だなあ、見えるわけないじゃないですか! ウケる!」
何故かビーナにウケた。
楽しいやつだ。
見た目も気に入ったものにできた。
背中の羽根は蝶のそれだが、派手な模様ではなく、モンシロチョウに似たほとんど白のシンプルな柄をしている。
赤紫の髪は長く、それこそ全身と同じ長さだ。最初は眼がものすごくつり上がった眼で、洋風というかバタ臭い感じだったのだが、少し変えてもらっただけで日本人の俺にも受け入れ易い顔になっている。ブルーの瞳が黒目がちなのも神秘的な印象を高めるのに役立っている。
全身はクオリティの高い美少女フィギュアを思い起こさせる。女性の身体というのは、たぶん性的な魅力を越えたレベルで美しいと思う。神が造りし芸術の最高峰。曲線が描く瞬間ごとの輝き。
地球連邦を苦しめた、ブランド品みたいな名前の宇宙兵器に乗っていたあの人だって言っていたではないか。「美しいものが嫌いな人がいて?」と。
あとはもう少し、スタイルを微調整したかったのだが。
だがもう時間がなかった。
「ウケる! 嫌だなあ、軍師様にしか見えないから、軍師様の存在価値がある‥ハッ! あ、時間は?」
「あと、5」
「仕方ありません、戦いながらわたくしが解説をさせていただくしかありません!」
「‥3‥2」
「始まりますよ!」