聖地から
SRPG(シミュレーションRPG)というゲームジャンルがある。
RPGのストーリー性とキャラクターへの感情移入度の高さ、SLGの戦略性とユニット育成の奥深さを合わせた、ひとつのゲームをやり込みたいゲーマーにとっては魅力的なジャンルである。
実際、名作と名高いタイトルも多い。
通常のRPGに比べて、システム上、敵味方合わせての登場人物が多彩でかつ多数になることが約束されているため、そこからより複雑でドラマ性の高い人間関係が楽しめるのだが、一方で、難易度の高さから手を出さない者、始めてはみても途中で挫折してしまう者も少なくなく、人を選ぶジャンルでもある。
勿体無いことである。
しかし、ゲームとしての難しさはクリアの達成感を高め、苦労して育てたキャラクターには並みならぬ愛着が湧くというもの。
だからゲーマーは、このジャンルを愛するのだ。
自分が得た感動を、どうか多くの人にも知って欲しいという願いを抱きながら。
この物語は、そんなSRPGに限りなく似た世界に、『俺』が連れ去られてしまったときの体験が描かれている。
◇
三月も下旬ながら、空気はまだ冷たかった。
それでも陽射しがあるせいで、いくらか和らいだ気分になる。
俺は、石段を一歩ずつ、丁寧な足取りで登っていく。
足場の悪いところを歩くのは久しぶりだ。
俺の両足は、酷使されて既に悲鳴を上げ始めていた。
普段の生活圏ではすっかりバリアフリーが行き届いて、雪でも降らない限り足許に注意を払って歩行するという習慣が、俺の感覚には根付いていない。
世界が優しいおかげで、俺は一個体の生物としては限りなく脆弱でいられることを許されているんだと思う。
生きるために獲物を狩り、毎日を死と隣り合わせに暮らす。そういう、野生の遺伝子が、俺の身体に残っているかは甚だ疑問だ。
つい数分前、道路の脇を歩く俺のすぐ横を、猛スピードで一台の車両が通り過ぎていった。
歩道らしい歩道がない上に、急な登り坂がやや緩やかになった辺りだから、不自然でもなかったし、俺の身に何かあったわけでもないから問題はなかった。
しかし、ふと俺は、たまたまそこで石か何かに躓いて、少しでも車道にはみ出していたら、自分の命がなかったことに気がついた。
たかだか30センチメートル横を、俺の死が通り過ぎていったのだ。
俺は怖かった。
死、そのものがではなく。自分が死の恐怖、危険をまったく実感できなかったことを、俺は怖れた。
冷静に理屈の上では、俺は俺の死を認識できていながら、動物的な感覚では驚くほど鈍感になってしまっている。そう思った。
でも、文明に飼い慣らされた人間なんて、そんなものかもしれない。
それに滅多に外出しないせいで、思考が過敏というか、おかしなことになっているのだ。
俺は、新田勇輝。普通のオタクの高校生だ。
小柄で華奢、髪型も長めなので私服だと女子に間違われることが少なくない。最近、一部の同級生から「男の娘」とやらの活動の同志にと、熱心に誘われているのだが、あいにく興味がなかった。
俺は見ていたい側で、見られたい側ではないからだ。
基本、学校にお勤めをする以外の時間は、ほぼ自宅の自室に引きこもり状態で、ゲーム、アニメ、映画、小説と、俺を楽しませてくれるものは何でも拒まず貪欲に楽しむ。そういう生活を送っている。
まったく二次元にしか、興味がないわけではない。
俺の基準は、自分で面白いと感じられたかどうかだ。
最近、ゲームから派生した興味で、戦国ものにハマっている俺は、贔屓の武将、竹中半兵衛ゆかりの聖地めぐりを楽しんでいた。
岐阜県垂井町というところなのだが、たまにはこうして遠出するのも悪くなかった。
実のところ、俺一人でそんな行動力があるわけではなく、歴史好きの仲間として交友のある、大学生の榎本真希菜さんという女性に誘われたから同行させてもらっているだけなのだが。
本当は榎本さんの友人も来るはずだったのが、急病でキャンセルになってしまい、二人旅になってしまっている。
俺たち二人は、他人からは女子大生二人組に見えるらしく、途中、二回ほどナンパされて気まずい感じになるという出来事もあった。
石段をやっとのことで登り終えた俺に、離れたところから手を振るロングスカートの女性。
榎本さんだ。
「勇輝くーん! こっちー!」
俺とは違い元気なものだ。
彼女は活動的なタイプのオタクなのである。友達とは声優のイベントなどにもよく行くらしい。
俺のために、竹中半兵衛関係のゆかりの地をまわったあとは、榎本さんが観たがっている名刀を所蔵している博物館を訪れる予定になっている。
そうして、俺たちは、竹中半兵衛の墓を訪れた。
実在しない二次元の登場人物に日々、感情移入している俺からすると、その延長線上で親しんでしまっている戦国武将のような人物の足跡を、こうして目の前にするとどうにも不思議な気分になってしまう。
彼らとは、時間と風土で繋がっているのだ。
実体と、残されている記録には多少の誇張があるかもしれない。それでも、彼らが実在したという形跡は、何か俺の心に迫るものがある。
天才軍師でありながら志半ばに、この世を去った竹中半兵衛。
手を合わせながら、その人生に思いを馳せていたとき‥
「あなた、軍師に憧れていますね!」
声を掛けてくるものがあった。
人の言葉を話すが、人ではない。
まるっこいふわふわの生き物。
あえて言うなら、空飛ぶ太った猫だろうか。
可愛いもの好きの女子なら、思わず触りたくなったかもしれない。
まるであざとい感じがする女児向けキャラのぬいぐるみみたいに見える。
だがそれは、女子に見られがちな俺にとっては生来避けるように心掛けてきたアイテムに分類される。心まで女にはならないのが、俺の人生のテーマなのだ。
どちらかと言えば、ゆるキャラで、ネタに走ったのか、真面目なのかわからない、地元アピールに気持ちが入りすぎてかえって変な感じになってしまっているシュールなやつとかのほうが俺好みだ。
どちらにしても、得たいの知れない物体が、場違いなところで浮遊している。
それにしても、軍師とは甘美な響きだ。
ただ強いだけの男に憧れる時期もあったが、今の俺は、もう気づいてしまったのだ。賢いやつが一番格好いいということに。筋力よりも、知力こそが本当の強さだ。
大陸の方で昔いた三義兄弟の末弟で、戦闘能力はずば抜けているくせに、知力が低いせいで簡単に敵の挑発に乗って突出し自滅しがちなやつがいたが、ああいうのが最悪だ。髭とか体毛も不必要に濃い。
寡兵たりとも、己が知恵のみで大軍に勝り、戦いを逆転させてしまう軍師。
確かに、それに憧れがないかといえば嘘になるが、どうして謎の生物にそんな質問をされないといけないのだろうか。
「え? あ、まあ」
中途半端に肯定してしまったのが、後になって考えればいけなかったのだろう。
はっきりとキッパリと、断る勇気があればよかったのだ。
「では是非ともお願いします。軍師、引き受けちゃってください!」
「は? 強引だな。やるなんて一言も言ってない‥」
何もなかった空間に黒く空いた穴。ものすごい引力が働いているみたいで、俺は何の抵抗もできないまま、そのなかにひっぱりこまれてしまった。